黄-3


***



次の日の朝。

昨日も遅くまで起きていてしまった。

それでも、俺の家から学校に行くにはあまりに早い時間に家を出るのは、今日も彼女を迎えに行くためだ。

眠い目を擦って、欠伸を噛み殺す。


コンビニの前にいる人たちの中に、既視感のある顔はない。

どうやら、たった一日で効果が出たようだった。

我ながらタイパのいい作戦だった。


あの男の彼女への執着は一夜で冷めたようだった。


──半値戻しは前戻し。相場は戻る。行き過ぎた感情は元に戻る。熱しやすく冷めやすい。


正確に言えばあの男の熱くなり過ぎたしょうもない思いは行き先を変えただけなのだが。

きっと猫耳のキャラクターはあの男を上手く制御する。

時に甘えて、時に冷たく、猫のように翻弄するだろう。

思い通り、なんてギフトに舌を舐める猫耳が想像に容易い。


猫派の男は猫を愛でていればいい。

犬に向かってもっとこうして、ああしてと言っても、犬は首を傾げて尻尾を振るしかできない。

素直だから。


……猫にハマるのが似合ってるよ、紅蓮ショータロー。


「おはよー!」


「おはよ、紫乃」


俺は駆け寄って会いにきてくれる犬派なんだ。



***




『俺がママをやってるもう一人の配信者のところに、特定して会いにきたリスナーがいる』


『直凸ですか!』


『とつ……? うん。中の人間が女子高生だと分かると会いに来てしつこく話しかける大人だ。俺たちと同じ県にでも住んでたんだろう』


『え、身近な話!? そうなんですか……』


『ごめん、怖いよな』


『いいえ。むしろそういうタイプって桃の経験だと……』


『経験だと?』


『ハマると激アツなんですよ』


『……なるほど』


『桃の方は県さえもバレないようにちゃんと自衛してます。喫茶店の地域限定メニューとか、隣の県行ったりして写メ撮りますもん』


『苦労してるな』


『苦労する価値があるんですよ。それに相応の価値を見出してもらえないと投げ銭だって得られません。配信者なんていっぱいいる時代ですからね』


『コスパだな』


『ですです。で、つまり? もしかして……』


『その通りだ。そのリスナーに桃の配信を紹介するから…………繋ぎ止めてほしい』


『いいんですか? 桃は捕まえたら離しませんよ。後からポイントが恋しくなっても譲りませんよ?』


『大丈夫、その配信者は……そのリスナーがよく投げてくるギフトにもあまり執着がタイプで』


『そうなんですか。まあ、気まぐれにやってる人にそういうファンがついてるのは癪ですからね……いいですよ』


『大丈夫か?』


『任せてくださいよ。桃はなんてったって、日本一の配信者になるんですから!

そのリスナーさんは幸運ですね、今なら桃の古参になれますからね。

先輩が責任取ってくれるから、安心してやってきます』



***



そして桃花との打ち合わせを終えて、俺は自分のSNSを開く。

投資アカウントの方だ。


毎日呟いているので、インプレッション数も多い。

俺は今日の相場の所感を書いてから投稿した。


『この子の配信めちゃくちゃ癒されました。今が推し目!」


最後のは投資の『押し目』と言う言葉と『推し』をかけたトレーダージョークだ。やだな。けど浮かれた感じは出るだろ。


『そういうのも見るんだ』『あざとい萌え系』『よさげ』


知り合いたちからコメントがついた。

これでこの後また配信が始まった時に見てくれる人は増えるだろう。


有名人の──自分で言うのもなんだけど──宣伝の威力は絶大だ。時間もかからないコスパもタイパも良い宣伝。知名度は金になる。



しばらくして紫乃の配信が始まった。

二十三時前。思ったより早い時間なのは僥倖だ。


『さっきはありがとう! 今度はカラオケでデュエットできたら嬉しいナ!』


……それでも十分遅いし、この時間まで彼女にとっては長かった時間だろうけど。

配信が始まってすぐにコメントしたのは紅蓮ショータローだ。


『犬耳つけたら似合うよネ!』


『あはは……それはどうも』


『というわけでコレは犬耳カチューシャ代ワラ』


画面に花火が光った。

『紅蓮ショータローさんから一万ポイントの花火が送られました』


花火のモーションが終わって、苦笑いをするような声とただ揺れる犬耳に──俺はコメントを送信する。


『別の配信者は、ギフトをもらうとそれに合わせてちゃんとリアクションしてて可愛かったんですよ〜』


ごめん嫌味っぽくて。


『実はママの別の子でして……きのこねこちゃんって言うんですけど、葉っぱちゃんも勉強になると思うので見に来てください』


桃花が言っていた。

配信者との出会いの入り口は、絵に惹かれたか、紹介されたかが多いと。


──そのリスナー、多分先輩の絵が好きだったんじゃないですか?

──なら同じ絵師でもっと萌えキャラのわたしなら、確実に好感触だと思います。


『紅蓮さんも一緒に見に行ってみてください。JKらしい年上に素直な感じの子でしたよ』


──しかも中身が女子高生……あ、年齢だけは公開してるんでいいですよ。何より……桃なら確実にトリコにできます。


俺が立て続けで送ったコメントに、へえ、へえ、と犬耳が相槌を打った。


『ソッカー! それは葉っぱチャンも勉強になりそうだネ!』


よかった。

紅蓮ショータローは俺のコメントで興味を持ったようだった。


『じゃあ、配信切るんでよかったらそっちに……』


よし。

彼女の言葉はナイスタイミングだった。


『オッケー! また明日ネ!』


『紅蓮ショータローさんが退室しました』とテロップが流れる。

久しぶりに、彼女葉っぱちゃんマキの二人きりになった。


はあ、とスピーカー越しに聞こえた音は声だと認識されなかったようで、犬耳のキャラクターは静かに笑っている。


俺はコメントを送る。


『配信中に他の方の話をしてすみませんでした。気をそらせるかな、と思いまして』


『うう〜ママ〜……! むしろありがとうございますすぎる……』


きっと紅蓮ショータローは今ごろ桃花の配信を見ているだろう。

自分が好みの絵柄のキャラクター。

遥かに多い閲覧者数。

その中で──特別扱いされる快感を与えられているだろう。


桃花は言っていた。

多分承認欲求が強いタイプだから、たくさんの人が見ている配信で特別扱いすればよりハマると思う、と。

絵師ママから話を聞いたていにして特別扱いする。

他のリスナーとも上手くやる。他の視聴者からもギフトを稼ぐ呼び水にもできそう──まあとにかく桃のファンにして見せるんで任せてください、と。


『もしかしたら、あの人こっちに戻ってこないかもしれません』


紅蓮ショータローのことだ。

念のため確認する。投げられるポイントがなくなってしまうよ、と。


『いいですよ』


犬耳のキャラクターが笑った。


『けど現実リアルまではどうかはわかりませんね』


大丈夫ですか、怖くないですかと聞いた。


『怖くないです』


返事は早かった。


『実はあのクラスの男子が……昨日から心配して迎えに来てくれるんです。だから全然、怖くないんです』


…………それはよかった。


『喜んじゃだめだけど、ほんとは朝から会えるの嬉しい』


……そうですか。


『うー、夜遅いけど声聞きたいなあ……電話かけちゃダメかなあ。


お前もか。

同じことを思っていたよ。



***



結局夜遅くから始まった電話のせいで寝不足だった。

眠たい、今日の午後の授業で寝そう。

紫乃とそんなことを話しながら通学路を歩いた。


今朝の登校は嫌な視線を感じなかった。

躊躇いなく名前を呼んで、書き留める必要ない話をした。


彼女が耳からこぼれた髪を一筋耳にかけ直す。風が吹いて、校舎が見えてくる。

校門の近くに一台のタクシーが停まった。

中からするりと降りてきたのは──桃花だった。

降りてすぐ俺の姿を見つけると、小さな体を跳ねさせて大きく手を振った。


「せーんぱーい!」


「ごめん、紫乃……ちょっと行ってくる」


「え、あ、うん……?」


「後で教室で」


校門に紫乃を一人で潜らせて、俺は桃花に駆け寄った。


「桃花。どうしてタクシーに……」


まさかさっそく身バレしたのか。

俺の心配そうな声と裏腹、キョトンとした顔で言った。


「いや、投げ銭めちゃくちゃもらえたからお金持ちのふり風登校してみただけです」


そんなことある?


「秒で稼げる資産家さんには分かりませんか……一晩で驚きの額もらえて浮かれた桃の気持ちが!!」


「分からんでもないけど」


買った株が急騰して確かにそんな気持ちを味わった。


支払いを済ませたタクシーを見送って話を聞くと、どうやら紅蓮ショータローは随分なポイントを一晩で使ったらしい。


「めちゃくちゃ可愛がってくれましたよ。ふふー、ラッキーです」


思った以上にハマったようだ。

行き過ぎもまた相場。

紅蓮ショータローは彼女にそれだけの価値をみつけたのだろう。


「ふふー、これでいっきにランカーです。転生して短期間でここまで戻れるとは思いませんでした」


桃花は得意げに笑った。

ボブカットの黒髪が揺れて、石けんのにおいが鼻についた。


「これが配信者ももねこきのこの伝説の始まりだった……とモノローグをつけといてくださいね」


考えておく。

お前が俺のヒーローだよ。

きっとこれが漫画なら、ヒーローはお前だ。


「先輩?」


俺はせいぜいママ役だな。

いいじゃないか、子に安らぎを提供する立派な役だぞ。



***



いつも通りだな。

ママ。スピーカーから聞こえるその鳴き声に、日常が戻ったのだと安心する。


『ママあああ〜!! 聞いて聞いてえ〜!!』


聞いてるよ。

俺は『そうだね』スタンプを押す。


『あの男の人、今日はまったく姿もなくてお店にも来なかったよ〜! うう〜、嬉しい〜!』


よかった。

けどまだわからない。明日は現れるかもしれない。


『油断できる状態になってよかった〜今日は一日お皿洗いと調理だけで済んだよ……』


予断は許さないけど、油断できるようになった。

帰り道。昨日は重い気分の帰り道だったが、今日は嫌な視線も感じることがなかった。


『ありがとう、ママ』


お礼を言われることはしてない。

むしろ俺はひどいことをした男だ。

知らないからそんな声で笑いかけてもらえる。

それでもいい。


──たった一人を守れるなら。


『それでね、聞いてよ〜! 朝送ってくれた男子がね、他の女の子見てすぐそっち行っちゃったの……』


そのたった一人には今誤解されているけれど。

俺は桃花のことも守る義務ができてしまったからなあ、これに関してはあまり言い訳ができない。


『年上だし、駄々こねられないから、うんって言うしかないけどさあ……ほんとは悔しかったし、寂しかったよお……』


言い訳はできないけど──言いたいことはある。


『優しいから、私以外にも優しいのはわかってるけど……一緒に帰ってるときもついついその朝のこと思い出しちゃって……』


電話かけてみたらどうですか、とコメントする。


『え、え〜……だって連日かけてるし……』


そんなの今更だろ。


『なんか甘えすぎてる気がしてよくないかなって……』


そんなの毎日だっていいんだよ。


『だめかなあ……? ねえママ、いいと思う……?』


俺がそのスタンプを押したらすぐに配信は終わった。


スマホは置かない。

時間の表示が動く。

まだ日付は変わらない。

どこかに出かけたら、その場で日付が変わるぐらいの時間帯。


待つだけの時間っていうのはタイパが悪いな。何もできない。

そうじゃない。

俺が勝手に待って──何も手につかないだけだ。


あんな誘導ずるいよな。

待ってるだけなんて、格好良くないよな。


持っていたスマホで、通話アプリを開いて発信する。


──ワンコールもなかった。


『あ、アオイくん?』


「紫乃」


早いな、と俺が言えば、電話しようかなと思っていたところ、と答えた。


「タイミングいいな」


そう。タイミングがいい。

一件落着して、やっとこの日を迎えられた。


「…………会いに行っていい?」


『ふえっ!?』


どんな顔か見られないのが残念だ。


『…………いい、よ』


だから。


「すぐに行く」


待ってて。


「タオル持ってくわ」

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