黄-2



放課後になるチャイムが鳴って、俺はすぐに廊下に出て彼女を捕まえた。


「送るよ」


「危ないよ」


「尚更だろ」


今更だろ。

何度言わせるんだよ。

なんで一人で行こうとするんだよ。

廊下から窓の外を見て、一つ提案をする。


「少し学校に残ってくのは?」


「そうすると、お店の支度遅れちゃうんだよね……」


「……わかった」


頷いた俺に、それじゃあまたね、と彼女はスカートを翻した。


「一緒に帰ろうって言ってるだろ」


引き留めると、驚いたような顔をした。

──まるで大事にされてないかのようだ。


「俺のお願いきいてよ……なあ」


お姉ちゃん? と甘えるふりをしようとして、それはさすがにやめた。

多分今それをしたら壁ができる。ここまでなかったものだから。


「しょうがないなあ」


俺の言葉に、そう言ってくれた。


「こう言わせてくれて、ありがとう」


やっぱり一学年上は伊達じゃないな──と、自分のガキさに少し恥ずかしくなった。



帰り道で、確かに刺すような視線を感じた。

刺されて分かる。これは確かに不愉快だ。


普通の道路なのにその景色にピントが合う気がしない。振り向いたら──もし何かをされたら、と思うだけで体の芯から冷たくなるようだった。

広い道なのに、まるで逃げ場のない迷路に閉じ込められたような気分だった。


険しくなった俺の顔に、隣を歩く紫乃が気がついた。


「ごめんね」


「謝ることないだろ。なにも」


だって俺たちは俺たちなりに、箱の中で静かに生きてただけなんだ。それをいきなり大きな人が掻き乱して──箱の中の人はたまったものじゃない。


なんでいきなり現れて、乱暴に奪おうとするんだ。


周りにはたくさんの人がいるはずなのに、どこか遠くの世界に追い込まれて閉じ込められているような気がした。


会話が途切れた。

俺たちの間しか聞こえないような声で話し出したのは紫乃だった。


「初めて声かけられた日、無視してたら今まで投げ銭したの返せよって言われたんだよね」


怖かったなあ、と呟いた。


「いきなり大声で言われて──そんなこと言われると思わなくて」


その声は震えていた。

震えをとめたかった。これが漫画の中なら多分抱きしめていた。

けれど今は、そんなことをするわけにはいかなかった。


執拗に紫乃を狙っていた相手だ。激昂される可能性もある。

だからハンカチを貸すので精一杯だった。


「ありがと」


受け取ったハンカチで、彼女は丁寧に目元を拭いた。洗って返すね、と引っ込めた彼女に、ふと俺は思い出す。


「……そういえば俺、紫乃からタオル借りっぱだよね」


「……私はジャージ借りっぱ」


二学期になる前のことだった。

二人で思い出して笑った。


「いつでも返せると思うとつい」


「明日こそ、って思うと忘れるよね」


そうやって歩きながら進んで、朝待ち合わせたコンビニを通り過ぎる。

ここでいい、と彼女は言っていたけれど、俺は全然良くない。


誰にも助けを求められず、自分の影すら敵に思えるほど、孤独だっただろうと思う。

せめて建物の中に入るまで見送りたい。


「恥ずかしいなあ……ここなんだ」


そう言って彼女が指し示したのは、一階が店舗になっているアパートだった。目の前が駐車場になっていて、エアコンの室外機の上にはよく分からない置物が置かれている。

スナックの丈夫のアパートメント部分が住居らしいが、どこの部屋かとは言わなかったし、俺も今は聞かなかった。


「じゃあ、お店の準備もあるし、行ってくるね」


大丈夫か。その間に入られたりしないか。


「開店までは鍵かけてるから、大丈夫」


立ち去らない俺に、紫乃が笑った。


「ありがとう、アオイくん」


ハーフアップの後ろ姿が店の中に入ったのを見送って、俺は帰路についた。



もう嫌な視線は感じなかった。

そういえば途中から気にならなかったな、と思い出す。



男がいれば簡単に引っ込むような男だ。しょうもない男なんだろうな、と思う。朝見たのは一瞬だったから、年齢は分からなかった。

けど俺たち、ずっとずっと年上だ。

随分年下の女子高生に執着するなんて、どうしようもない奴なんだろうなとも思う。


けど、しょうもなくてどうしようもない大人でも、俺たち子どもを危ういところに追い込むことができる。

ただの年齢──経験値に基づく年齢。


厄介だな。


彼女の家の店の入り口には『高校生および十八歳未満の入店は禁止』と赤文字のプレートがかけられていた。



厄介だ。俺はガキだから、入れない。


それでもなんとかしたい。

手の届くところにいる女が困ってるんだ、助けたいなんて──男なら思うだろ。


家に帰った俺は、SNSを開く。

紅蓮ショータローのアカウントを検索かけたが、それっぽいアカウントはなかった。


だめか。

対応法はないか、経験談を書いていないかと、他の配信者を検索してアカウントを覗いていく。


流し見ていた検索の中に、知っているアイコンがあった。


『きのこねこちゃんだにゃ〜! 今日はスタバででぶ活にゃ』


そう投稿しているアイコンは、俺が描いた絵。

黒とピンクを基調とした猫耳の女の子。

──桃花か。


アイコンの向こうの顔を知ってる手前、なんか気が引けるな。

そう思いつつも指は彼女の投稿を追う。


『FJKの夏! ほぼ部活! けど蛇口の水掛け合いしてアオハルって感じで最高にゃ』


『好きな食べ物? 欲しリスから送ってくださいにゃ』


『先輩見るとメロついてしまう。ちょろすぎにゃんだが草』


とりとめのない話題だが、どれもフォロワーからのリアクションがついている。またそれに桃花が返信して、どれも会話が長く続いていた。


彼女のアカウントのフォロワー自体は千未満。

変なやつもいるんじゃないか、なんて邪な気持ち混じりに見たが、そんな人はいなかった。


そして彼女の投稿自体も、ちゃんとキャラを保ちつつ女子高生とさりげなくアピールもしている。

しっかりしている、と思った。

自由奔放なだけの投稿に見えて、ちゃんと個人情報は隠している。

コンビニで買ったものの写真には、バーコード部分に画像加工スタンプを貼っているし、ローカルな話題もまったくない。


まさに見本というべきネットリテラシーの高さだ。紫乃は見習ったほうがいい。……そんなこと言えないけど。


『このあと二十一時から配信耐久するにゃ! 今夜は十二星座耐久〜みんな何座か教えてにゃ〜!』


告知もしっかりしている。

元々事務所に所属したいると言っていたな、指導を受けたのか本人がしっかりしているのか──うまいな、と思う。

具体的にどううまいかと聞かれると難しいけど。


そして二十一時を過ぎて、桃花の配信が始まった。


『あたしを見たら離れられない! 胞子を飛ばしたにゃーん! きのこねこのこ、こんばんわ!』


画面上で猫耳のキャラが笑い、耳をぴくぴく動かして名乗り口上をあげた。

それから配信に入室した人の名前を順番に呼び挨拶していく。


『ママ〜! にゃあの配信見にきてくれてありがにゃ〜ちゅっ!』


うわすげえ。投げキスのモーションだ。

そんなこともできるのか。


『みんにゃあ! 今日は十二星座耐久! リスニャーのみんなで十二星座揃うまで配信終わりません! みんにゃのことを教えてにゃ!』


視聴者がコメントを次々送って、彼女がそれを読み上げていく。


『えーっと、おひつじ座、てんびん座……ちょっと、キミ正座ってどういうことにゃ!? しろってことお!? してるってことお!?』


『ナイスボケ』『正座耐久?』

彼女の言葉にリアクションも多い。


視聴者と一体感のある配信だ。


『えーっと何座が出てないのかにゃ……ママは何座だにゃー?』


さっきもうあがったてたよ。


『にゃあは猫座にゃ』


うみへび座とポンプ座の間にあるやつな。


『にゃあは数ある星じゃなくて月? ……リスニャーありがとおおお! ちゅっ』


流れるコメント欄に対応しながら、リスナーに話しかけていく。


『もう揃ってる? ……はっやー!! リスニャー優秀すぎんか!』


『じゃあ今から正座耐久』『おしおきで草』


そんなコメントが流れて、いちいち彼女は大きなリアクションで答える。それを面白がってコメントが流れる。そんなループだった。


『ん〜! ちょっと今日は終わります! 明日は晩ご飯のメニュー聞くからちゃんと食べてからくるんにゃん!』


そう言ったところで、画面に花束のマークが現れ『五十ポイントギフトが送信されました』と流れる。


『ああクンクンいいにおいだにゃ〜……へっくちん! ギフトありがとにゃ!』


すごいな。送られたギフトに合わせてリアクションを変えているのか。

ネット越しに投げ銭をもらうって簡単じゃないもんな。……葉っぱちゃんは未だにその価値を理解してないぞ。


『みんにゃはにゃあの原木! 一緒ににょきにょきにゃあにゃあ過ごそうにゃ! おつのこにゃ〜!』


その挨拶で配信が終わる。


すごいな。

コメントもマメに拾っていた。

俺が一視聴者だったらこっちに来る。

ただ、彼女は俺の初めての子だから──葉っぱちゃんのママだから。

もうずっと見ているから、もうそれだけではないけれど。

けれど確かに、始まりはそこだった。


俺のスマホにメッセージが来た。


送り主は桃花だった。


『せ〜んぱい! 見に来てくれてありがとうございました! 楽しんでもらえましたか?』


『すごいと思ったよ、ファンも多いんだな』


素直に返信する。


『ありがたいです! けどギフトが少ないのが悩みですね……ポイントがランキングになったりするんで』


なるほど。大変なんだな。


『やっぱここらで太客……わたしだけの石油王がほしいですね。誰が候補かは言いませんがゲッフンゲッフン』


……誰かいい人がいるといいな。


『ちゃんとギブしてもらった分テイクを心がけてるんですけどね〜、みんな優しいですけど、有名になりたいのでもっとポイントが必要なんです』


けっこうシビアとした世界なんだな。


『そういう太客……リスナーは厄介だとかないの?』


『ないです。桃にとってはポイントは愛情に等しいのでむしろありがたいです』


そういうやつに執着されないのか、と聞いてみる。


『執着上等。長く桃だけのファンになってくれるってことじゃないですか。むしろ激アツです』


特定されたりするかも、という恐怖心はないのか聞く。嫌なことを聞いている自覚はある。


『ないですね。投稿するときはコップの映り込みにも気をつかってますし。事務所所属の頃にちゃんと指導されました』


俺のメッセージへの返信は誠実だった。


『わたしめーっちゃプロ意識高いんですよ? ファンになってくれました?』


ああ最高だな。

強くて輝いている。

そんなお前に、最低のお願いをする。


『桃花、お願いがあるんだけど』


『いいですよ。ふふー、絵を教えてくれることと……』


なんでいう前に承諾するんだよ。

それにそれだけじゃ──足が出るな。


俺のSNSアカウントは二つ。

ろくに動かしていないイラストアカウントと──投資用の、フォロワーが万単位のアカウント。


『俺がお前を有名にする』


『やったあ〜! 現役高校生トレーダーのお墨付き〜!』


お墨付きなんてものじゃない。

お手付き寸前の紹介をしてやろう。

俺がお前を有名にする。


『さあ、なんでも任せてくださいよ。どんなお願いでもウィンウィンです。それに』


彼女のメッセージは続く。


『何かあったら守ってくれるんですよね?』


『もちろん。責任取るよ』


『え!? それって結婚!?』


何言ってんだよ。


『リスニャーを裏切らないので配信者として引退するまではちょっと…………あ、けど先輩なら』


得意げな顔が目に浮かぶ。

猫のような丸い目を細めているんだろう。


『特別に予約させてあげますよ』


本当に危なかった。

俺が猫派だったら、危うく手を挙げるところだった。

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