桃-2



***



夏休みがもうすぐそこに迫ってる。


窓から入る風は段々と熱を孕んで重たくなってきた。もうクーラーつけてくれてもいいだろ、と思うのにまだつけてもらえない。


重たい夏の暑さに机に突っ伏した俺の右斜めのヤツが呟いた。


「せっかく最後の夏休みなんだし、思い出作りしたいよなあ〜……」


それな。確かに。

机の上で突っ伏したヤツの前後左の奴らが口々に賛同した。授業中だぞ。


「だろ、みんなでカラオケ行ったりゲーセン行ったりしたいよなあ」


さっきと同じような賛同の声が上がる。大丈夫? 高三の授業中だぞ?


「なあ〜、アオイ、安くていい店知らね〜?」


「二十人くらいで騒いでもいいところ〜」


「夏休みに開いてるところ〜」


やめろ。俺は食べ○グじゃない。


「ポイントつくところ〜」


ホットペッパーグ○メとかでもない。

口々に言われる。


だからまあ、しょうがないな。

俺はスマホを取り出してクラス全員で遊べる場所を探してみる。


「あー……」


画面をスクロールして、高校生でも遊べそうな場所をあげていく。


「商店街のカラオケ」


「ありだね!」

「あたしそこ出禁なんだよね〜」


なんで出禁になるんだよ。


「次。……ボーリング場」


「え〜なんか騒ぎづらい」

「オレ出禁なんだー」


だからなんで出禁になるんだよ。普通に使ってたらそうはならないだろ。お前ら不良かよ。


「あー、なんかあたしが歌うと他の人たちが部屋の前に来ちゃうみたいで……」

「そこ所属のプロボウラーが元カノで……」


そういう理由なんだ。そうだよな悪い奴らじゃないもんな。治安いいもんなこのクラス。どっちもちょっと気になるけどなんのフラグでもないから突っ込むのはやめておこう。


「あー、じゃあレストランの大個室……」


「食べたら解散しなきゃじゃん」


長居しないのはマナーだもんな、うん。

なんなんだよ。ホテルでパーティーでもやるしかなくなるだろ。

スクロールする画面で飲食店を見ながら俺は気付く。


「あ」


カラオケ。ボーリング場。レストラン。他にはクラブなども運営する全国チェーンの大手飲食店グループ。


「今言った会社がやってる海の家の割引券持ってる。焼きそばとかかき氷とか、浮き輪のレンタルとか安くなるけど…………どう?」


教科書やらノートやらが落ちる音がした。それが気にならないくらい、わっと教室が沸いてみんなが飛び上がった。


「え!? いいじゃんいいじゃん海で!」


「近いしめっちゃ騒げるし!」


何する、とか、ビーチバレーしよう、とか夏の予定で教室が盛り上がり出す。バナナボート持ってくわ、とかヤツが浮かれたことを言っている。


「……いいなあ」


後ろの席だったから。風で揺れた髪の毛が背中から落ちたから──だからその小さな声に気がついた。

画面越しじゃないから気づける声に、俺も声を返した。


「いいなじゃなくて、行こうよ。葉賀」


大人びた顔は、子どもみたいな表情をしている。


「…………海、行きたいって言ってなかった?」


「え? 私言ってたっけ?」


「あー、いや。行きたそうだなって」


「いやけど……ここは同級生のみんなで心置きなく……」


なんでそこでそういう遠慮の仕方するんだよ。

なんて返そうかな、と考えていると前の方から女子たちの声がかけられた。


「紫乃さーん! いつ行けますかー!」


「え!? あ、えーっと……」


慌てる様子の彼女に、女子たちは後で教えてくださーいとまた近くの席の者同士で談笑をしだす。

彼女は照れくさそうに頬をかいている。


「ほら俺たち、同じクラスの同級生だろ」


俺の言葉に、ええ、とか、でも、とか。水分を含んだ艶のある唇がもごもごと動く。


「けど、年上の人といると気つかわない?」


カーテンが揺れて、窓の外の景色が見えた。白い雲は大きく膨らんで、海の青さによく映える。


「……葉賀ってなん月生まれ?」


「四月」


「へえ、早生まれなんだ」


俺が笑いかけると、えへへと小さく言った。

は言われなかった。


「あの……授業中……」


教師が弱々しく呟いているのは──……一番後ろの席だから聞こえないふりをしてもいいだろ。




***



新しい通知音は、犬耳の配信者の通知アラーム。

コメントも流れてなくて、俺が入室しても気付かずに無言。

ただ時々瞬きをするだけのキャラクター。俺にはまるで実家のような安心感。



『ママだ〜!』


珍しく俺の他にも見てる人がいた。視聴者二人か、さっきの配信とは桁が違うこの過疎具合に安心してしまう自分がいる。

……いつも画面上で数字と心を削ってる俺にはちょうどいい。なんて思ったら失礼だろうか。


『聞いて聞いて! クラスのみんなで海行けることになったの! 嬉しい〜!』


その跳ねるような声に『そうなんですね』とスタンプを送ると、素直な犬のようにうんと頷いた。


『去年のことがあるから今年は遊ぶの諦めてたけど、一回くらいならきっと大丈夫だしすっごく楽しみ〜!』


去年のこと?

学校では話さないことを、顔を隠して場所を隠して彼女は迂闊に話す。


『わあ!? なにこれ!? ……ぎ、ギフト?』


画面の点滅が終わった時に『紅蓮ショータローが千ポイントの花火ギフトを送信しました!』と文字が流れた。


『点滅したからびっくりした……ポリゴ○ショック思い出しちゃった……』


古。

俺は先ほど桃花の配信を見たからそれは投げ銭というようかものだと分かったが、彼女はギフトの意味も分かっていないようだった。


『懐かしいナ〜あれからテレビにテロップが出るようになったんだよネ!』


流れてきたコメントの語尾がカタカナだ。嘘だろ、めんどくさくないのか? 俺の父親でもそんな文章打たんぞ。

けどお礼強要することもないその…………なんか長い名前のやつはたまたま聞いただけの彼女の境遇に同情してるからか。


『そうなんですね〜』


相槌はそれ一つ。


『さすが〜よく知ってますね〜』


続けて犬耳の葉っぱちゃんが喋った口で思い出す。あ、これモード入ってる。

配信でそんなモードになることはなかったのに。

というか相手は投げ銭までくれたのにその対応は配信者としては致命的だな。


『でね、海行くから今度オダキューに水着買いに行こうと思ってるの!』


話題もあっという間に変えてしまった彼女に、まあ別に有名になりたいとかじゃなくて──……ただ女友達に話を聞いてほしいだけなんだな、とよく分かった。

いやマキママは男なんだけどな。


『……どんな水着ならあの人にいいって思えわれるかな……』


そんなこと配信で言うなよ。


『本当はちょっと甘めなデザインが好きなんだけど、やっぱ年上としてはクール系で行くべきかな?』


『クール系のセクシーなデザインいいと思う!』


紅蓮ショータローがコメントした。おい。セクシーは余計だ。


『あー、そうだよね〜うーん……』


唸る犬耳に──甘めだとかクール系だとかどんなものか想像がつかなくて何もリアクションができない。


『チダキュー買いに行く前に、クラスメイトに聞いてみてもいいかな……?』


チダキューは地元の百貨店だ。確かに水着を買うならそこだな。


唸ってから出た彼女の言葉に、俺は『いいですね』スタンプを押した。

ショータローは『こらこら』とコメントしてきた。お前さあ。


『うーん、ちょっと考えてみます』


そのまましばらく、と普通の電話のようにおやすみなさいと配信が切られた。


……くそ。クール系セクシーってなんなんだよ!

そのままスマホで検索したら、布地の少ない紐みたいな水着ばかりが出てきた。画面はほぼ肌色。

くそ、ショータローめ。



次の日、学校で。前の席の彼女が振り向いて、昨夜と同じ声で俺に聞いてきた。


「どんな水着がいいと思う?」


「……甘いのでいいんじゃないか?」


残念だったな、ショータロー。

画面の中は現実の外の世界に敵わないんだよ。

なんで俺に聞くんだよ、なんて野暮なことは言わなかった。



***



「おーだまーきせーんぱいっ!」


「うわ」


昼休みに教室を出ようとしたところで、突然人影が下から現れた。


「桃花か、びっくりした」


黒髪のボブカットが揺れて、せっけんの匂いがする。丸くて大きな目を猫のように細めて、ふふー、と笑った。


「図書委員のヤツに用事?」


俺は教室内を向いて、声を上げてヤツに手を振って合図をする。


「いえ! ふふー、小田巻先輩に会いに来ました!」


「ごめんお前じゃなかった」


なんだよ! と言いつつ自分の椅子に戻って行った。その近くで葉賀紫乃は椅子に座って他の女子たちと話している。


「先日はありがとうございました、ふふふ」


一年生の榎園桃花だった。


「夜にアレ渡してもらえて助かりました!」


「ああ、アレな」


お願いされていたイラストのことだ。

伏せてくれているのはイラストを描いていることを大っぴらにしないでほしい、と言ったからだろう。


彼女の依頼は、今まで猫耳のキャラクターを使っていた。キャラデザなどは変えなければいけないが、それはアイデンティティとして引き継ぎたいので全く違うキャラデザで猫耳の女の子を描いてくれ──ということだった。


「おかげで全然眠れなかったぞ」


こんな感じでいいかとラフ絵を送ったところ、夜にも関わらず電話がかかってきて通話口で喚かれた。


『今までが黒と白の猫イメージだったからせっかくだし黒とピンクで!』

『あっ、目はもっと猫目でまつ毛長くお願いします!』


リテイクが多く、やっぱり絵を副業にするのは辞めてよかったと思った。苦労が多すぎる。俺にはコスパが悪い作業だ。金を稼ぎたいなら今までの副業で充分だとつくづく思わされた。


「耳元でにゃーにゃー言われて大変だった」


「すみませんでしたー……初めてだったんで」


絵師さんと直接話してやりとりできるなんて。

と付け足されたのは、俺に配慮しての小声だった。


「直接お礼を言いたいなあ、って……ありがとうございました! 先輩!」


「今夜! ぜひ来てくださいね!」


そんなすぐに配信ってできるのか。まあ元々事務所に所属していたぐらいだったから、設備も準備も整っているのだろう。


分かったよ、と返事をすると彼女は三年生よりも短いスカートの裾を翻した。スカートの中に恐れなど知らないような太ももが見えて目を逸らす。


「待ってますよー!」


廊下の奥に消えていく桃香を見送って、それから元々行きたかった手洗いを済ませて教室に戻った。席に座ると右斜め前のヤツが振り向いた。


「榎園さんのこと名前呼びしてたよな!?」


「だって名前で呼んでいいって言われたから」


「どういうことなんだよ! どうして新入生一の美少女と仲良く話してるんだよ!」


同じ委員会の俺でさえそんな仲良く話してないのに! とヤツが頭を抱える様が面白いので誤解を解くのはやめておく。


「し、知らなかった〜あの子と名前で呼び合う関係だったんだ……」


髪を耳にかけながら、彼女が俺の方に振り向いた。


「どんな会話してたか、ぜひお姉ちゃんに聞かせてくれる?」


「お姉ちゃんじゃないだろ、葉賀」


軽く笑ってそう流して、あっという間にチャイムが鳴って昼休みは終わってしまった。

カーテンが揺れて、窓から入る風があっという間に時間をさらってしまう。



***



二十一時半過ぎ、パソコンの画面から離れてスマホを手に取った。


一人の家で俺を呼び出すのはスマホの通知音だけだ。メッセージの受信音。桃花からだった。


『小田巻先輩! 素敵なイラストありがとうございました!今から配信します!』


ハートマークがたっぷりのメッセージだった。


あれだけ苦労した絵が動く様は確かに確認しておきたい。

送られてきたリンクをタップすると、『転生、新規立ち絵公開』と知らない言葉がタイトルになっていた。葉っぱちゃんはいつも『雑談』だけだからあまりの違いに驚く。


読み込み時間も長い気がする。

パッと画面が開くと、俺が描いたピンクと黒を基調とした猫耳のキャラクターが動き出した。


『あたしを見たら離れられない! 胞子を飛ばしたにゃーん! きのこねこのこ、こんばんわ!』


うわ、すごい。視聴を開始した途端になんだこの名乗り口上。しかも始めたばかりっぽいのにすでに視聴者が多いようでコメント欄がすぐに流れていく。


俺の入室のお知らせが入ると、猫耳の二次元美少女は確かに俺に笑いかけた。


『マキママぁ! 見に来てくれてありがとうにゃ、ゆっくりしたくなる胞子飛んでけにゃ〜ん!』


そしてコメント欄に『ねこんばんわ』『ねこんばんわー初見さんいらっしゃい』など俺への歓迎ムードが流れて驚く。

すごいなこの空気感。みんなでお喋りしてるみたいじゃないか。


『この人はきのこねこのママにゃよ〜! みんにゃも仲良くしてね〜!』


桃花の声に合わせて『御母堂降臨』『聖母キター』『ぱいおっぱいおっ』とコメントが流れていく。

その勢いに何もリアクション出来ないでいると、桃花がまたすぐに話し出す。


『はあお腹空いた〜! カレーの気分なんだけど、みんにゃはどんなどんなカレーが好き!? あたしはい○ばのタイカレー!』


『缶詰で草』『これ晩御飯代』『ナイギフ』


話題のたびに流れるコメント。コメントが途切れるとすぐに出される新しい話題。


猫耳の桃花の配信は──……犬耳の葉っぱちゃんとまったく違って驚いた。

配信中には俺の絵についても褒め言葉が多く……コスパは悪いけどウェルパはよい仕事だったな、と俺はしばらく見ていた。


違う通知音が鳴ったから、俺は退出しようとした。


『あっ、待って!』


なんだよ。


『マキママはまたあたしの原木、また一緒ににょきにょきしたくなる胞子を飛ばすにゃーん』


それから俺が産んだ猫耳の美少女は、俺に投げキスを食らわせてきた。


『ふふふ、マキママにだけはちょっと照れちゃうにゃん』


すごい衝撃だった。

俺が猫派だったら──確かにファンになっていた。



新しい通知のリンク先を開くと、犬耳の美少女が俺の入室通知に耳をピクっと動かした。


『ま、ま、ママああああ〜!!』


先ほどの配信に負けない熱烈な出迎えだった。

他に誰もいない配信ルーム。葉っぱちゃんの雑談。

俺がなんのリアクションもする前に、心を許してるママという存在の俺に彼女は喋り始めた。


『聞いてよお〜……訳わかんないよお〜……』


なにが。そんな鳴くほどのことか。


『なんかさあ、告白してきたっぽい女の子がいるって話したじゃん? ……ほら、えっと……私に唯一タメ語で喋ってくれる男子』


…………俺か。

天を仰ぐ。うん、俺だな。


『それがさ、その一年生の子とはなんともないって言ってたのに今日仲良さげに話してたんだよ!?』


『なんか二人だけにしかわからない会話してたし! 夜とかなんとか言ってたし! 会ってるってこと!?』


結構聞こえてたんだな。……あの騒がしい教室で。


『しかも名前で呼んでた! ずるい、ずるい〜! 訳わかんないよお〜』


また鳴く。

ああ、もう。スピーカーから聞こえる声は教室よりもずいぶん高い。


『そんな仲いいんだったらなんともないなんて言ってほしくなかった……私に対しては苗字呼びなのに、そんなの、私より仲良いじゃん……』


ずるい、ずるい。

そればっかり繰り返す。……参ったな。

だんだん気弱になる声に、画面越しなことがもどかしい。


『もうすぐ夏休みで新学期には席も変わっちゃうのに……』


どーしよ。小声で言ったそれから閃いたようだった。


『………………ねえ、思いついたんだけど、これ年上に言われたら威圧感あるかな?』


なんだよ。早く言えよ。


『名前で呼んでいい? って……聞いてもいいかな……?』


──そんなの。


『私のことも名前で呼んでってお願いしてもいいかな……?』


鳴くような声に、俺は『いいね』スタンプを押した。

──お願いされたら、いいに決まってるだろ。



***



朝のホームルームが始まった。


「夏休みの過ごし方のプリントを配りまーす」


老眼鏡をかけた教師がそう言いながら、適当に束にした紙を席の先頭の生徒に配っていく。

配られたプリントが、前から順に一枚いちまい取られていく。


「はい。…………小田巻くん」


彼女が振り向いて、俺に一枚の紙を手渡した。

──まだ彼女と、今日は一言も話してない。

振り向いた顔は何か言いたそうなのに、やっぱり何も言わない。


「ありがと。…………葉賀」


だから俺はそのままプリントを貰うしかなかった。

受け取ったのは一枚だけ──あ、と。そこで気がついた。


「せんせー! プリント一枚足りません」


プリントを取りにガタッと音を立てて彼女が席を立つ。

気がついたのは、プリントに貼られた文字が書かれた一枚の付箋。

──名前で呼んでいい?


「悪かったなあ、葉賀」


彼女が前にいる教師からプリントを受け取って、自分の席に戻ってきた。

一枚足りなかったプリントを、後ろの席の俺に譲ってくれたようだ。


「…………ありがとう、紫乃」


戻ってきた彼女にそう声をかけると、


「だ、大丈夫…………アオイ、くん」


俺の名前をぎこちなく呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る