紫-2



葉は青々として影の色が濃くなる。季節が夏に向かっていく。

半袖になる生徒も多い中で、彼女だけがずっと長袖だった。


「日焼け対策だよ〜」


なんて言葉に、クラスメイトは「分かります」「女子力高いんですね」と相槌を打っているけれど──俺は本当の理由を知っている。


女だと思われて《マキママとして》聞いた話なので、彼女の名誉のために敢えて言わないけれど。


運動場で固まる女子を見ていると、席が右斜め前のヤツが俺の横に来た。


「紫乃さんな〜、美人だよな、つい見ちゃうよな」


わかる分かる、と勝手に組んできた肩を振り払う。


「遊びに誘ってみたいけど恐れ多いし……そもそも帰るの早いんだけどな」


お前、なんか知らない?

そう言ってくるヤツと俺の視線の真ん中には、葉賀紫乃がいる。


「知らない」


知ってるけど、言うわけないだろ。


軽く流した俺に、体育の授業中なのに暇を持て余すヤツは続けた。


「お前は彼女とか興味ないもんな〜! から告られまくってたのを、コスパとタイパ悪いから、って全員振ってただろ!?」


「だってそうだろ」


付き合うだのなんだの、コスパもタイパも悪い。

結婚とかするって決まってるならまだしも、高校生の恋愛なんてどうせ別れる。

時間と金の無駄だ。

その時間があるならパソコンに向かってた方が稼げる。


「もったいねえなあ。男子高校らしい欲望はないよかよ」


下世話なヤツは、胸の辺りを揉むふりをしながら俺を茶化した。

ないことはないけど、そんなん一人でトイレででも適当に発散させるわ。ほっとけ。



***



足りない自分の分を知りながら、最後の一枚として渡されたプリントがまた一枚と増えていく。


「葉賀」


俺が後ろから声をかける。振り向いて俺を見つめる目は大きい。


「足りない分は一番後ろの俺が取りに行くからもらっちゃっていいよ」


「こういうのはお姉ちゃんが取りに行くものだからいいよ!」


別にそんなことないと思うんだがな。


そうやって配られるプリントが家の机で重なっていく頃、別のクラスの美化委員会が教室の入口にやってきて大声で言ってきた。


「美化委員は明日の放課後浜ソーでーす」


うわ。いよいよか。

辺の清。略して浜ソー。ゴミ拾いの活動のことである。


葉賀紫乃は女子グループで話していたが、それを聞いて席に座っている俺に声をかけた。


「だって、小田巻くん。明日よろしくね」


「ああ、よろしく」


返事をすると、彼女はまた女子グループの話題に戻っていった。

聞こえる話の内容的に、どうやら一人が失恋したらしい。彼女はその子の頭を撫でる。


「止まり木のように待ってみよ」


なんだそのアドバイス。スナックかよ。


……恋愛経験ないって言ってたのにな。

俺は配信を思い出す。


『お姉ちゃんキャラだからかめっちゃ恋愛相談される……私全然経験ないのに!』


どうすればいいのママ!? なんて言ってたがどうしようもないだろそんなん。

俺はいつものように配信を聞いていた。


『苗字で呼ぶだけでドキドキする人間にアドバイスなんてできるわけないよね!?』


誰の苗字だよ。なんて聞けるわけがなかった。

くそ。そんなこと言ってた声は──教室で見える澄ました表情とは絶対違う気がするのに、分からない。



***



浜辺の清掃。浜ソー。

まだ夏本番前だと言うのに、遮るものがない砂浜は暑い。海が近い高校は海に最適化されたルールを持っていて、浜ソーはビーサン等サンダルで来るように言われている。


美化委員の俺たち十数名の生徒は、浜辺に並んで教師の話を聞いている。熱中症気をつけろよとかそんなのを、ゴミ袋とトングを順に持たされながら聞いている。


今日も彼女は長袖長ズボンのジャージ姿だ。砂浜にいるからか足元の裾は捲り上げられていて、ローファーでも運動靴でもなくよく見える彼女の足首は白い。


「おい小田巻」


それぞれがゴミ拾いをすることになると、隣のクラスの美化委員の男子が俺に話しかけてきた。ソイツは去年同じクラスだった。ジャンケン負け組っぽいな。


「あれがお前のクラスにいる先輩?」


「あれって言うなよ」


ソイツが肩で示した先には、少し離れた場所でゴミ拾いをする葉賀紫乃の姿。

ハーフアップで大人っぽい茶髪の彼女に、長袖長ズボンの少し芋っぽいジャージは全然似合ってない。


それでも。


「やー、廊下でたまに見てたけどやっぱ可愛いよなー」


彼女は確かに目を引くのだ。


「彼氏とかいる? いた? 知ってる?」


「知らないよ」


いないなんてことを、ソイツにわざわざ言うことでもない。いるなら言うけど。


「ふーん。帰り早いしもしかしたらって思ってたけど」


家の仕事があるからな。

とは、知ってても言わない。

ソイツの話はまだ続くみたいだ。

砂浜は暑いし肌がベタついてくる。


「なんか去年、怪しいバイトしてたせいで謹慎が長くて出席足りなくなって留年したって本当なのかな?」


──それは。


「知らないな……」


俺は彼女が長袖長ズボンの理由でさえ知っているのに、彼女の留年の理由は知らない。


俺がそう言うと話し甲斐がなかったとばかりに、ふーんと鼻とトングを鳴らしてゴミを拾いに離れて行った。


いつの間にか彼女の姿は見えない。

俺はアイスの袋をトングで拾う。

アイスの棒もあった。これはチキンの袋だな。

コンビニで買い食いして捨ててったんだろう。


で、葉賀は……どこ行ったんだ。


周りを見回すと一年生の姿もない。

周囲を見回していると目が合ったソイツがゲッツしてきた。庶民サンプルじゃねーよ。


どこか物陰になってる場所にでも行ったのか?

開けた砂浜にそんな場所なんてないだろ、と思ってる俺の目が、日陰になっている場所を見つける。

堤防──テトラポッド。

なんでそこにいるんだよ。女子数人と、よく目立つジャージ姿があった。


くそ。なんでそこに──。

──なんでテトラポッドに登ろうとしてんだよ!


見つけた葉賀紫乃の姿は今まさにテトラポッドに登ろうとしている様子だった。

駆け出すとゴミ袋がうるさい。トングと共にその場に落とした。あとで拾う!


「どうなってんの!?」


テトラポッドの周りにいる女子に話しかけた。一年だ。


「えっ!? あの小田巻先輩!?」


数人がそんなリアクションをしたが今はそんな場合じゃないんだよ。俺は息を整えて、事の経緯を問いただす。


「今はそんなんいいから。何を──」


「あー、こらこら、年下いじめないの!」


やっと後ろに来た俺に気付いたようだった。

テトラポッドの低い部分に足を乗せている。俺を見ても慌てる様子もなく、むしろなぜか俺が頬をふくらせませられている。


「ゴミ袋が飛んで引っ掛かっちゃったんだって。先生もいないし、さっと取りに行っちゃおうかなって」


見ると確かに、連なったテトラポッドの高い部分に汚れたビニール袋が引っかかっている。


平常そうに話す様子と、語られた理由に少し落ち着く。


「……危ないだろ」


「大丈夫、ここ登ったらあとは手を伸ばすだけで──」


彼女は手を場しても届かないとわかると、さらに上に登ろうとする。


「だから、そんなん危ないだろ」


俺の言葉に一応動きを止めたが、けど取らなきゃなあ、みたいな顔をしている。ほっとけよ、どう考えてもコスパ悪いだろ。

けど頼られた手前──後輩が飛ばしてしまった手前取りたい気持ちはわかる。


俺の身長なら……そうだな。

すぐそこに落ちてる長い流木を見つけた。


「そこの流木で取れるから、だから早く降りてこい」


「分かったよ、ありがとう」


やっと納得した彼女に、俺は手を差し出す。

彼女は一瞬驚いたような顔をしてそれから、柔らかく微笑みを


「ふふふ、大丈夫だよー、一人で降りられるって」


何言ってんだよ。少女漫画なら緊張しながら手を取って降りるだろうに、どうやらやっぱりそういう世界ではないらしい。

足元を確かめながら降りようとする動きは辿々しい。

これが猫なら高いところから落ちても安心だからそのまま手を引っ込めるけど、そうじゃないだろ。


「……あのさ、猫じゃないんだからさあ」


俺は強引に彼女の脇の下に手を入れた。


「ひゃあっ!?」


「女の子なんだから」


脇の下は暖かくて柔らかいけど、そんなの浸ってる場合じゃない。

俺は脇の下を抱き上げるて、ゆっくりと平らな地面に降ろした。


「気をつけろよ、せめて男に言えよ」


テトラポッドはコンクリートブロック。表面はざらついた道路みたいなもんなもんだ。引っ張り寄せて擦り傷ができたら危ない。……なかなか重量があったけど、もちろんそんなの表情には出さなかったぞ。


「…………先生何やってんだよ」


俺の声に、俯く彼女よりも先に後輩が返事をした。


「あ、先生ならコンビニにアイス買いに行くって言ってました」


ほっといて行くなよ。

はあ、と溜息をつくと彼女がやっと顔を上げた。


「ごめんね、私が一番年上だからやらなきゃな、と思って……」


「年齢とか関係ないだろ」


俺は本来ひと学年上の彼女に言う。


「同じ三年生のクラスメイトだろ」


「あ……うん」


ごめんね、もうちょっとしっかりするね──と彼女が頬をかいて笑った。

……全然分かってないな。


「言えよ、頼っていいんだよ。頼れよ」


彼女は俺の声に答えない。

ただその目で俺を見てた。

そのまん丸い目だけは、犬耳のキャラクターと同じだ。違うのは画面越しじゃなくて、俺が映っているということ。


俺たちの間に沈黙はない。波の音と、後輩たちの会話が落ちている。

彼女がゆっくり口を開いたその時──


「みんなお使いさま〜! アイス買ってきたぞ〜!」


委員会担当教師の声と、歩く音に合わせて鳴るビニール袋の音が聞こえてきた。


「やったー!」


俺たちの近くにいた一年生たちが喜んで教師の元に走り去って行って、半径四十五センチの中には俺たちしかいなくなる。


俺は黙って近くの流木を拾うと、テトラポッドの上の方に向かって手を伸ばして、引っ掛かっていたゴミ袋を取った。


「後から行くから、先アイス食べてなよ」


「う、うん」


彼女は頷いて、教師のところに向かって行った。


それから俺は落としてきたゴミ袋やトングを拾いに浜辺に戻り、隣のクラスのソイツと話しながらアイスをもらいに行った。


……浜ソー。アイス一個じゃコスパが悪すぎる。


浜辺と堤防を繋ぐ石造りの階段に座りながら、美化委員揃ってアイスを食べる。

分けられたアイスは老舗のアイスで、コンビニで売ってる最安値のもの。まあそれでも一仕事後に砂浜で食べると格別だ。

まあ、ソイツが俺の隣に座って「紫乃さん髪靡いててめっちゃ綺麗だな」とかうるさくて台無しだが。


食べ終わって、俺は石造りの階段に座る彼女の横に立った。俺に気付いた様子はあるのに、すぐに顔を向けてくれないのは……やっぱり、怒っているのだろうか。


「さっき、ごめん」


「え」


長い髪が風でもてあそばれるらしい。何度も耳にかけ直している。


「いや……降ろす時、擦り傷とかできなかったかなって」


思い返せば、先ほどテトラポッドから雑に降ろしてしまった。

そこまで行ったら、彼女は俺の顔を見た。


「長袖だから大丈夫だよ」


長い髪は鬱陶しそうだが、耳にかける仕草というのはどうしてそんなに絵になるんだろうか。

彼女は俺に微笑みを


「……ありがとうね、小田巻くん」


「…………どういたしまして」


──やたら暑いな。

夏はもうすぐだったか。



その日の夜は配信がなかった。

疲れて眠っているのか、家の仕事が忙しいのは分からない。元々毎日ではなかった。


配信なんてどう考えても見てる時間のパフォーマンスを下げるだけと思っているのに、ないならないでパフォーマンスが下がるのはなかなか不条理だ。


俺は家でパソコンの画面を見てマウスをクリックしながら──……昼間の感触を思い出して溜息をつきたくなった。

くそ。男子高校生。

 

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