もうすぐゴールデンウィークというその頃には、クラス内の人間関係はすっかり出来上がっていた。


葉賀はが紫乃しのは勉強のできるしっかり者だった。


「この式を展開するときは……」


数学もたいていできるし、


「あー、竹から女の子見つけるのも一年振りだあ」


そうやって笑いをとりつつも、


「現代語訳読みます。不思議に思いそばに寄ってみると──」


回答は外さなかった。


留年したのは成績的な要因ではなさそうだ。

それでも少し居眠りが多めか。

自分が呼ばれなさそうな授業ではその肩が船を漕ぐのを後ろの席の俺はよく見ていた。


女子たちにはお姉ちゃんキャラとして頼られ、男子からも憧憬の念を含んだ目で見られていた。

別に浮いてはいない。──が。


配信で犬耳の彼女は鳴く。


『みんな私に対して敬語なんだよねえ……』


と。


配信画面。いつものように視聴者は俺だけ。

動いて喋るこのキャラクターを描いたのも俺だ。

だから彼女は随分俺に懐いてくれていた。


『ママあ、聞いてよう……』


──まるで初めて親を見た雛のように。


犬耳のキャラクターは、長い髪の彼女と同じ声で喋る。声のトーンだけがちょっと違って、教室よりも少し鼻につく。


『みんなに付けされてて明らかに先輩扱いされてるんだよね……同級生っぽい気やすさがないっていうか……』


いつも笑顔だが、気にしていたのか。


『スナックならチーママポジションっていうか……』


高校生には分かりづらい説明だな。もっとないのかよ、ポケモンならカ○ミじゃなくてジョ○イさんだな、みたいな。


『あっ、けどね! ママ! 聞いて聞いて!』


そうやって画面の向こうの俺を呼んでくるときの声はいっそう甘い。


『後ろの席の男子だけはね! 私にタメ口なの!』


──ちょっと待てそれ俺だろ。


とりあえず俺は『そうなんですね』というリアクションのスタンプを送信する。


『そうなの! しかもこれ、ママだから言うんだけどね……』


俺のことだろ。一体何なんだよ。画面は犬の耳のキャラクターだから、本当の彼女の顔は分からない。

話す声が少し小さくなった。


『ちょっとかっこいいの。…………えへ、こんなのママにしか話せないんだけどね』


どうやら彼女は──マキという俺のアカウント名のせいで俺は女だと勘違いしているようだった。


『そうなんですね』というスタンプをまた送ることしかできなかった。



***



学校生活の春のチュートリアルも、三回目にもなれば随分慣れたものだ。


委員会決め。

この学校では、部活動は自由加入だが委員会は全員強制加入である。


生徒会の他には

風紀委員会

放送委員会など──有名な名前から順に黒板に書かれていく。


黒板の音。それを見る俺の視界には必ず葉賀紫乃が入ってくる。意識してるからとかではなく、後ろの席だからしょうがないだろ。

彼女の隣の席のヤツは時折チラチラと見ているが、俺にはそんな下心はない。見え見えだよお前。


「じゃあ委員会の名前を言ってくから希望するとこで手ぇ挙げてね」


老眼鏡をつけた教師が言った。


ちなみに生徒会のメンバーはもう決まっているし、風紀やら放送委員会といった委員会には入る気もない。俺は忙しいんだ、そんなもん青春ヤローにでも任せておけ。


狙いは保健委員会だ。

ほとんど仕事がない。運ぶ必要があるレベルの傷病人が出たら大抵救急車だ。それ以外はみんな自分一人で保健室に行く。ここは少女漫画の世界じゃないからな。


一番入ったらダメなのは──美化委員会だ。

地味でやることが少なさそうだが、さすがに三年生にもなれば分かっている。この学校の美化委員はめちゃくちゃ忙しい。


校内の清掃や掃除道具や生けている花の管理のほかに、学校の近くの浜辺のゴミ拾いもあるのだ。

なんで校外のことまで? ……運動部はしょっちゅう走ってるし、体育の授業でも浜辺でランニング(浜ラン)をすることがあるからだ。

あとは窓から見える砂浜がゴミだらけでは気分が悪いだろ! という教師たちの言ういかにもな理由だ。


というわけで今回も保健委員会を狙っていく。

保健委員、と教師が挙手したところで明らかに定員より人数が多い手が挙がった。


「せんせー! 小田巻くんは去年もやってたのでナシでいいと思いまーす!」


おいこらふざけんな。

斜め前を見れば同じく手を挙げていたヤツが俺を指さしていた。


「分かりました、なるほど。では去年やってた人はなしで」


くそ。お前が何も言わなきゃジャンケンだけで決まるはずだったのに。

俺の前の方が小さく揺れた。バレッタで一房だけ留められた長い髪が、肩から落ちて俺の目の前で風に乗る。


彼女の肩は、図書委員会でも園芸委員会でも挙がらない。

みんな、最後の一つのその委員会にならないように手を挙げて決まっていく。

おい、残り選択肢が少ないぞ大丈夫かよ──次は美化委員会だぞ。


「では美化委員会希望の人……」


教師が呼びかけて、教室が静まり返る。

途端に静かになった教室に、教師が困ったような顔をした、その時に


「はい、私やります」


俺の目の前の肩が挙がった。

前の席のやつらも振り向いて、みんなが一斉に彼女を見た。一様に視線を浴びた彼女は、えへへと笑う。


「誰もやらないなら、お姉ちゃんがやるね?」


教室の至る所から拍手が飛んだ。

やばい、とか。頼れるお姉ちゃん、とか。ありがとう、とか聞こえる。

それを浴びる彼女の表情は、後ろの席で表情はよく分からないが──くそ。美化委員会が一番忙しくて面倒くさいって分かってんのか──分かってるだろ、同じ三年生だ。


手を挙げる女子はいない。男子もモジモジするだけ手を挙げない。彼女の隣のヤツは図書委員に決まってる。

ああもうしょうがないなあ。


「保健委員だめなら何でもいいので」


俺、やります。

そう言って手を挙げると、彼女が振り向いた。


「よろしくね」


あれだけ配信で、家のことが忙しいって言うくせに自分から忙しいことに手を挙げやがって。


「よろしく」


そんなの知ってて手伝わないなんて、夢見が悪いじゃないか。



***



窓の外は暗い。着けられたままの百インチのテレビはニュースを流している。


『今夜の米国のFOMCの結果で──』


海外に行った両親は元気だろうか、と久しぶりに思い出した。


時間外の仕込みをしていたら気付くのが遅れた夕食のサンドイッチを食べながらスマホを開く。その通知が来ていたのは少し前だった。

まだやってるだろうか。

通知の来ていた配信ページに飛んだ。


『………………』


無言だった。犬のキャラクターが無言で立ってる。

マキさんが入室しました、とテロップが流れる。


『……ま』


キャラクターの口が開いた。


『ママあ〜っ! 来てくれないかと思ったよお〜!』


熱烈歓迎だな。視聴者数を見ればその数字はいち。俺一人のようだ。


『さっき人が来たけど喋る間もなくすぐいなくなっちゃったし……』


彼女の──葉っぱちゃんの配信はほぼ俺への……というかママであるマキへの私信だ。

いやまあ、それも、俺なんだけど。


他の視聴者が入場した途端『あ……えっと……ども……』みたいな感じになってしまう。


『困ったらを言っておけばいいのは知ってるんだけど……』


なんでその合コンみたいなテクニックが出てくるんだよ。普段使わないだろ、使ってんのか。


配信者のわりに配信は上手くない。まあただの個人の配信だからテクニックなどあるわけがないのだろうけど。


『わ〜ん、今日もママに話できて嬉しい〜』


お前そんなこと言うのか。言えちゃうんだな、今は葉っぱちゃん《キャクター》だもんな。

俺が何をコメントしたわけでもないが、彼女は喋り出した。


『今日ね〜委員会決めがあって、一番面倒くさい委員会になっちゃったんだけど……』


ほらやっぱ面倒くさいって分かってたんだな。


『まあ、誰もやりたがらないし……こういうときにそういうのをやるのが年上の義務かなって……』


家の仕事もあるし、ちょっと大変なんだけどね。

そう続けて言った声のトーンは、少し低い。


無理することないのに。

そう思う程度には、俺はもう彼女に感情移入している。

なんとスタンプを押そうか、コメントでもするべきかと悩んでいたら、突然彼女の声が元気を取り戻した。


『でもね、でもね! あの男子と一緒の委員会になったの!』


あの男子ってどの男子だよ。俺しかいないけど。


『入りたかった委員会入れなかったからっぽいけど、正直…………一緒で嬉しいよ』


よろしく、だけだったじゃん。


『なんか色々話せるかな、えへへ。とは言え学校だとキャラ作っちゃって上手くおしゃべりできないんだけどね……』


こういう時になんてリアクションすればいい。

俺しか聞いてない。

俺の話を俺しか聞いてないんだぞ。


えへへ、と聞こえる声は照れ臭そうだ。

その顔はこの画面配信じゃ分からない。


『よろしくだけしか言われなかった、私も全然話せなかったし』


配信なんて得られるものもないしコスパ悪いものだと思ってたけど、くそ──こんなのなんのパフォーマンスだよ。


『…………マキママ? ごめんね、何でも話せる友達っていないからつい話しちゃったの……』


盛大に勘違いしてる。

訂正する気はないけど騙してる気にはなる。

やっぱりリアクションは分からなくて『いいね』スタンプを押した。

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