葉の色-2


二年生の終業式。

三年生を迎える前の春休みに入ってすぐのことだった。


「じゃあそろそろ海外移住でもしていい!?」


頭にサングラスを乗せた両親がそう言った。

両親はずっと海外でのんびり暮らすことが夢だったようだ。

卒業まであと一年なのに待てないのか。どうやらいい物件が売りに出されて、為替の相場的にも今がチャンスがなのだからとのこと。


それならしょうがない。俺がしたのは呆れがちな返事だけだったのに、それを勝手に了承と受け取ってすぐに行ってしまった。


「なんて親孝行な息子だ! ありがとうな、あおい!」


なんてアロハシャツを着て、行ってしまった。


最後に──お前なら大丈夫だろ! と笑顔で言い残して。


とはいえ、年頃の男子一人をマンションに置いて行くなんて、なかなか信用されているようだ。まあ大丈夫だけど。


父親が浮かれて買った百インチのテレビとホームシアターでニュースを流す。

スマホを見ながら、俺はソファに置いたサンドイッチを食べる。


サンドイッチは最高だ。

手が汚れないし、中身を変えれば幅広く栄養が取れるし、作るのも簡単だ。


掃除洗濯は必須なことだが、一人暮らしにおいて自炊は必須ではないと思うのだ。作って食べる一人分は、コスパもタイパも悪い。


マンションの窓の外には、ニュースで言っていた桜が咲いている。今が見頃らしい。

海のあるこの街は桜が咲くといっそう賑わう。

だからこそ浮かれた大人が多いので外に出る気にはならない。まあ、咲いてる花はタダだ──花見はコスパがいいので気持ちは分からんでもないが。


そんなわけで高校三年生になる春休み。

別に金なら困ってないが、一人の夜の長い時間を持て余した俺は、新しい副業バイトを始めてみた。


イラストだ。

イラストレーターという職業があるように、イラストは金になる。無から自分の手だけで生み出したものが金になるのだ。


小学生の頃、休み時間のたびに自由帳に迷路や漫画を描いていた。仲間内で解きあっては描いて、自由帳は一冊はあっという間に埋まった。

いつしか中学生になって紙に向かうことはなくなったが、親がいなくなったことが一つの区切りだ──新しい金の稼ぎ方を見つけようと思ったのは。


もちろんイラストを売るにあたって、描くための設備投資と、そもそもの技量が必要なのだが──幸い俺は恵まれていたようだ。

液晶タブレットに向かって絵を描く。半日かけたそれは、個人的にはなかなか悪くないキャラクターの一枚絵だ。


新しく作ったSNSのアカウントに、先ほど描いたイラストをサンプル用に載せる。

アカウント名はマキ。苗字の小田巻おだまきからとった。短くて分かりやすい。


こういうビジネスで大事なものの一つに、実績がある。

ポートフィリオと実績。

どちらも今の俺にはないものだ。

俺はポートフォリオに掲載させてもらうことを条件に、タダでイラストを描きますと募集した。

配信者であること──配信に俺の絵を使うことを条件にした。サムネでも立ち絵でもいいから、と。


すぐにコメントは来なかった。

正直絵のレベルはまあまあ悪くないとは思っていたので──いや、背景とかはパースなどは不勉強なのでまだまだだと分かってはいるが──少しショックだ。無名の配信者でいい、準備中でもいい──誰でもいいからコメントしてくれ!


今までのアカウントでは何か投稿すればすぐにリアクションがあったので、砂漠に一人できてしまったような気分に──文字通り砂を噛む思いになった。


コメントがついたのは次の日だった。


『これから始めたいと思ってる素人ですが、もしも大丈夫なのであればお願いしたいです』


アカウント名は『葉っぱちゃん』

新規のアカウントのようで、俺への依頼自体が初めての投稿ようで、よく分からない。フォローもフォロワーもゼロ。ちゃん、というからには女なのだと思うのだけれど。


警戒するよりも先に喜びが勝った。これが有償依頼を募集しているのなら、支払い能力が本当にあるのかなど気にするが、元より無料のつもりだ──描く意義ができるのは嬉しい。


『大丈夫ですよ』


きっとこれから俺が描くキャラクターを使って配信などをしてくれるのだろう。俺はスマホで返信コメントを打ち込む。


『どんなキャラクターにしましょうか?』


『こういった依頼をするのが初めてなので、どうお願いするのがよいか分かりませんが』


すぐに来た返信はそこで途切れて──写真が送られてきた。


『私はこんな感じの見た目ですが、明るい雰囲気のキャラクターになりたいです』


それは女子の写真だった。

長い茶髪に甘い垂れ目、しっかりメイクをしているその下唇の下には黒子がひとつ。友達と映っている写真をトリミングしたもののようで、見切れた肩が横に写っている。


うわ、可愛い。いや、綺麗系か?

高校生の俺よりも大人びた雰囲気だが、長い茶髪は社会人という感じもしないし、メイクの感じから大学生か専門学生だろう。


うわ、可愛いな。

俺は両親がちゃらんぽらんだから、お姉さんっぽい子に弱いんだよな──ハルヒならみくる、生徒会シリーズなら千弦さん。


なんてつい画面に見惚れてしまったのはしょうがないだろ。男子高校の日常で自分のスマホ画面に女子の写真が映ることなんてそうそうないんだから。胸元をズームしてないだけ許してほしい。


咳払いをひとつ。とはいえ。

画面の向こうがおそらく年上の美少女で浮かれたとはいえ。これはいかん。由々しき事態だ、叫びたくなる意識リテラシーだ。

SNS慣れしていないのだろう。絵の依頼を似顔絵だとでも思ったのか──写真を送るなんて。


俺はその写真を端末に保存することなく、彼女に──葉っぱちゃんさんに返信をする。


『似顔絵じゃないので写真はいらないです。 お気遣いありがとうございます、削除してもらって大丈夫です』


送ってすぐに、やりとりをしていたコメント欄から写真は消えた。残念なような──いや、安心する。


『恥ずかしい……スミマセン。教えていただきありがとうございます!』


いえいえ、と返信する入力スピードはさっきより早くなった気がする。我ながら単純だ。画面の向こうが美少女だとこうなるなんて。


とはいえ金がまつわることに感情は持ちこむべきではないことを俺はよく知っている。


『保存などしていないのでご安心ください。どんなキャラクターにしたいか、簡単に教えてほしいです』


結局その後のやり取りで、ほとんどお任せみたいなことになった。写真のことは忘れようと思いつつも、俺は彼女の外見をイメージした茶髪と同じ犬耳のキャラクターを描いた。


『可愛い! 配信で使います!』


葉っぱちゃんは──彼女は──お礼を言って喜んでくれた。

ああもう、写真のことは忘れよう。インターネットの向こうの人物なんて──きっと会うことがないんだから。


それから葉っぱちゃんは一枚絵でも配信ができる配信サイトで地道に活動を始めたようだ。


『配信サイトにて配信を開始しました』とSNSに定型文の投稿が載るようになった。



描く時間と自分の画力から推定される値段。コスパとタイパのバランスを見て、イラストの依頼を募集するのはやめた。

イラストアカウントではない元々持っていたアカウントにログインを切り替えて──出来るだけ中の写真のことは忘れるようにして、実際少し忘れていた。


どうせ会うことはないと思っていたから。


そう、始業式の日まで。

 

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