第29話

「待ってくれ紺野君!」



「はい? あっ、一人じゃ手摺から降りられないか……」



「それもそうなのだが、話がある」




 手摺に掴まり尻尾をぴんと立てて絵里の方に頭を向け、器用に手摺に尻尾を挟んで体の向きを変える。



 声音と尻尾の雰囲気から北木が真面目に話をするのだと、缶ビールを下に置いて背筋を正した。




「年齢を気にしているようだが、紺野君は年齢よりも若く見える。それに、嫌な顔をするが頼んだ仕事はきちんとこなす。責任感のあるしっかりした女性だ」



「それ、褒めてます?」



「少なくとも僕は……僕には、すごく魅力的な女性だ」




 北木の声は震え途中で裏返っていた。顔色は変わらないが小さな手で恥ずかしそうに顔を掻く。



 絵里は顔色だけが真っ赤に変わり北木を丸い目で見つめ、しどろもどろになっていた。




「な、何を急に……口説いてるんですか?! よ、酔ってるのかな? 北木課長は飲んでないか……」




 二人の間に微妙な空気が流れ、そのまま言葉を失っていると後ろから視線を感じ絵里が振り向く。




「終わりか? 明日の参考にするから俺のことは気にせず、続けてくれ」




 いつソファーから起きたのか、エニシが二人の甘酸っぱい様子を興味深げに観賞していた。



 あまりの恥ずかしさに、絵里は足元に置いた空の缶ビールをエニシに投げつける。




「悪趣味! 神社に帰れ酔っぱらいキツネ!」



「そんなに怒ることないだろう? それに、今日はここに泊まる。万全を期したいからな」




 投げられた缶を片手で受け止め、大きな体を揺らして笑うエニシを苦々しく絵里が睨む。




――好き勝手飲み食いした酔っ払いが、万全を期する? 何に仕えてようと狐はキツネ。憎たらしい!




 すっかり気が削がれ絵里はホッと息を吐いて、北木の方に向きなおる。




「もう寝ましょうか? 明日は万全を期したいですからね」



「そうだな……」




 ベランダの手摺から北木を抱き、そのまま部屋に入りソファーに置く。



 温く嫌な視線を送り続けるエニシの視線から逃げるように、歯を磨きに洗面所へ向かう。




「北木は絵里に気が合ったのか……絵馬は掛けたか?」



「余計なお世話だ!」




 手足を伸ばしソファーにうつ伏せに倒れた北木の横にエニシは笑いながら座った。

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