第12話

「おはようございます」




 オフィスに着き真っ先に北木のデスクを見ると、会議に使う書類を確認していた。



 殺気すらも含んだ絵里の視線に北木が気づき、薄ら口元を綻ばせて「おはよう」と挨拶する。




――悪戯しているのだとしたら、図太い神経ね




 怒りに震える絵里を紙袋の中から狐のぬいぐるみが見上げて首を振っている。



 絵里はなんとか怒りを抑えて更衣室に向かった。誰もいないのを確認して紙袋から北木を出す。




「何時まで、ふざけるつもりですか?」



「確かにあれは僕の姿をしていたが、僕じゃない! 体の中には100%綿しか入っていない」



「それじゃ、あの北木課長は何者なんですか?」



「それは……わからん」




 お互いに探る様な視線と沈黙が流れる。突然に起きた理解できない状況は二人の精神を振り回していた。




――朝から喚き散らしても、私が変な目で見られるだけだものね。




「分かりました。終業までの猶予を与えます。それまでに、精々納得のいく言い訳を考えといてください」




 沈黙を破り譲歩の意志を見せると、北木が口を開く前に絵里が小脇に抱える。



 乱雑に北木が入っていた紙袋をロッカーに投げ入れると、更衣室を後にした。



 オフィスに戻ると小脇に狐のぬいぐるみを抱える絵里に、視線が向けられるが無視してデスクに向かう。




「おはようございます。あれ? 絵里先輩その人形そんなに気に入ってくれたんですか?」




 その途中で呼び止められ横を向くと、出勤してきたばかりの真紀が笑っていた。




――むしろ捨てたい。燃やしたい。




 本心を飲み込んで口元をゆるめて曖昧に答える。これ以上、ぬいぐるみを会社まで持ってくる痛い女の傷口を広げられないように話題を変えた。




「昨日はゴメンね。でも、二人で良かったみたいだね?」




 制服のない会社で、いつもおしゃれに気を使っている真紀が昨日と同じ服を着ているのはあり得ない。




――収まるところに収まったか




 真紀は両手を頬に当てて顔を赤くしながら俯いて首を横に振る。




「ちょっと飲み過ぎて……柴田君の家が近いって言うので泊まらせてもらっただけですよ」



「フフッ、近いうちに二人に食事を誘ってもらえるの待ってるね。それと、うるさい人もいるからブラウスぐらいは途中で抜けていいから着替えておいで」



「大丈夫です。ロッカーに着替え置いてあるんで」




 すっかり普段通りの小悪魔的な微笑を見せて真紀は更衣室に向かった。



 絵里は苦笑いを浮かべて見送り、自分のデスクに着くと小脇に抱えた北木をデスクの端に置き小声で囁く。




「変な動きしたら引出しに押し込みますからね」



「分かった……だが少し向きを変えて欲しい。僕はあの男を見張っている」




 本来自分があるべき姿の北木の方を指して絵里に要望を伝えた。



 無言のまま北木の向きを変えて、絵里はパソコンの電源を入れ今日の仕事の予定を確認した。

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