出社
第10話
息苦しく地獄のような夜。体に巻きつく腕を解くことも敵わず眠れぬ夜を過ごした北木。
――やっと朝になったか
酔いの回った絵里はこともあろうことか、北木を胸に抱きしめてベッドに入り寝入ってしまった。
北木が思っていたよりもボリュームのある胸に鼻先が埋まり、生死に係わると意識のない絵里の胸を小さな手で押しやる。
「……んんっ……んぅ」
くぐもった甘い吐息が立ち上がった大きな耳にかけられ、絵里の腕が緩んだすきに慌てて体の向きを変える。
狐のぬいぐるみ姿でなにが出来るわけではないが、北木は理性を保つのに必死だった。
――拷問だ。
絵里の起きる気配に北木はホッと息をつくが、なかなか北木を胸に押し付けるように回された腕は解けない。
いい加減、起こしていいだろうと北木は頭の上にある胸をはじくように体をばたつかせて声を上げる。
「紺野君! 起きてくれ!」
「うぅ……うるさい」
「紺野君!! 遅刻するぞ!」
懇願するように叫んだ北木の声に、絵里は飛び起きて声の出所を探していた。
――まだ寝ぼけているのか?
存在を知らせるように北木が尻尾を振ると、やっと覚醒した絵里は慌てて腕を解く。
「夢じゃなかった……」
「い、痛っ……おはよう紺野君」
解放された北木は勢い余ってベッドから床に転がり、短い手で頭を触りながら挨拶する。
ベッドの上から北木を覗き込み、手を伸ばして首根っこをつまみ上げた。
「おはようございます。なんで一緒に寝てたんですか?」
「君が酔っぱらって無理やり!僕は何も変なことはしてないぞ……」
慌てたように答える北木に絵里はクスクスと笑い伸びをしながら話す。
「フフッ、別にそこまで聞いてませんよ。それじゃ変なことも出来ないだろうし」
からかわれたことと、男を全く意識させない自分の姿にダブルパンチを食らっていた。
――早く戻りたい。
一日たって時間が解決することは無い気がしてきた北木は更なる焦りを感じ始める。
「今日どうしますか? 家に居てもいいですけど……」
「そうだな。どちらにせよ休む連絡はしないとならない。済まないが電話を借りていいか?」
分かりましたと、ベッドから出ると電話の子機を北木の前に置く。
そのまま絵里は会社に行く準備をするのに洗面所に向かった。
――会議も石田係長がいれば問題ないだろう。
今日一日の業務を頭に浮かべ、今のところ忙しい時期ではないので問題ないだろうと、ひとまず安堵する。
時計を見ると、まだ会社に連絡するにも時間が早い。Tシャツ短パン姿で動き回って準備をする絵里を見ながら自分の小さな手をフニフニと握る。
――柔らかったな。
綿の感触を引いても絵里の胸は柔らかったことを思い出し、ドキドキと心拍数が上がったような錯覚をしていた。
実際は顔が赤らみ心臓が鼓動を響かせることなど、ぬいぐるみの北木にはあり得ない感覚だ。
それでも羞恥心を隠すように北木はふっさりした尻尾を小さな手で抱き込むようにして顔を埋め、そのまま後ろに倒れて悶えた。
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