瀬文:すべてを終わらせて

 瀬文純せぶみじゅんは、千早圭吾ちはやけいごの目を見つめながら、その口から語られる真実に息を呑んだ。この村に隠された恐ろしい掟、そして圭吾が背負ってきた宿命。幾人もの母親たちを屠る処刑人。長く続いた沈黙の中、圭吾は諦めたように、静かに言葉を紡いだ。


「だから……だから君にも、あいつらにも死んでもらわなければならないんだ」


 圭吾はカップルYouTuberの方を一瞥した。その言葉は、冷たい刃のように瀬文の心を裂いた。逃げ場のない状況、圭吾の目には決意が宿り、後退も許されない。


「降臨のときに部外者全員の対処をするように言われていたんだけど、彼が結構しぶとくてね」


 圭吾は晴臣の方を見た。晴臣は変わらずじっと瀬文と圭吾の方を見ていた。


 いつのまにか圭吾の片手にはバールがある。人として使いやすい得物で仕留めようというのだろう。地面をバールが擦れる音。まるで全身が氷のように固まっていく感覚が瀬文を襲った。逃げるべきか、それとも彼を説得すべきか……選択肢が頭の中で乱れ飛ぶ。だが足は、動かない。頭の中は混乱し、雨音だけが遠くで鳴り響いていた。


「清美君は、あなたが生きていることを信じて待ってるんですよ」瀬文は、かろうじて言葉を絞り出した。自分を奮い立たせるように、圭吾の目をしっかりと見つめた。


「メカクシ様として降りてきた時に手紙を残していたのは、圭吾さん、あなたでしょう」


 圭吾は、わずかに表情を緩めた。「そうだ。清美は……元気か? 一度でいいから、会いたいな……」彼の声は、苦しみを抱えながらも、愛情を含んでいた。しかし、すぐにその暖かみは消え、深い闇に包まれた瞳が戻った。瀬文に狙いを決めた表情だった。


 圭吾がゆっくりと一歩踏み出した瞬間、突如として鋭い銃声が闇を切り裂いた。


 反射的に瀬文は音の方に視線を向けた。そこには、木内陵介きうちりょうすけが猟銃を構えて立っていた。硝煙が立ち上り、雨の中でかすかに揺れていた。


「これで掟は守られた」


 木内の声が冷たく響いたと同時に、美咲みさきがゆっくりとその場に崩れ落ちた。彼女の胸からは、じわりと血が流れ出し、雨に混ざって小さな赤い流れとなり濁流に合流する。


「美咲……!」


 圭吾の絶叫が、雨の音に押し流されるように響き渡った。


 木内はその光景を冷ややかに見つめ、低く呟いた。「村が沈まるときゃ……女隠さねばなんねぇ」


 そして、静かに付け加えた。「これで村は救われるんだ」


 その言葉には、自分こそが村の救世主だと信じているような響きがあった。しかし、圭吾の瞳には激しい怒りが宿り、燃え上がるような視線を木内に向けた。


「お前……! 美咲を……!」


 木内は冷静さを保ちながらも、再び銃を構え、声を張り上げた。「すべて、おめぇのせいだ。掟を破ったのはおめぇだ! 男産んだ女を清めねがったせいで、こんな大雨が降って、村が沈むことになってんだ! 俺は掟守って、村を救うんだ!」


 圭吾は苦々しい声で反論した。「お前が信じている掟は、ただの幻だ……俺たちが自ら作り出した罪を繰り返すだけの牢獄に過ぎない……!」


「なんもわがってねぇのはおめぇだ!裏切り者!掟は俺らを守ってきたんだ! そしてこれからだって、この村を、俺を守るんだ!」木内は叫び、圭吾に向けて銃の引き金を引いた。銃弾が圭吾の肩に深く食い込み、彼は痛みによろめきながら地面に崩れ落ちた。


 静寂が訪れる。雨が地面に叩きつけられる音だけが続く。銃口は静かに瀬文に向けられていた。瀬文の足は地面に縫い付けられているかのように動かない。


「次はおめえだ。わりいけど生かしてはおけねぇんだ」


 瀬文は瞬間的に全身が冷え込み、逃れる術もなく、ただ目の前の死を受け入れようとした。誰も救うこともできないまま。後悔がインク染みのように心に滲んでいく。助けることができなかった。誰かを。そして自分を。


 だが、その瞬間だった。


「瀬文さん!」


 突然、何者かが茂みから飛び出し、瀬文に飛びかかりそのまま地面に押し倒した。その行動が、木内の放った銃弾から瀬文の体を見事に逸れて、後ろの木に突き刺さる。


「白崎……?」


 瀬文が驚きの声をあげた。自分を庇うように突き飛ばしながら飛び込んできたのは白崎だった。なぜここにいるかもわからなかったが、助けられたことだけは事実だ。飛び込んだ拍子に白崎のカメラががしゃりと音を立てて地面に叩きつけられた。


木内が次の弾を込めようとした瞬間、圭吾が立ち上がる姿が瀬文の視界に映った。肩口を撃たれた圭吾は最後の力を振り絞り、木内に突進していた。


「木内、貴様ぁ!」

「俺に触れるな!」


 圭吾は木内に体ごとぶつかり、バールで押し倒した。その勢いで二人は斜面を転げ落ちていった。その下には、この雨で増水した激しい濁流が渦を巻いていた。


「圭吾さん! 木内!」


 瀬文は必死に叫びながら駆け寄ったが、二人の姿は濁流に飲まれたあとだった。あっという間に見えなくなった。川の激しい音と、雨の音が重なり、全てを押し流していくかのように響き続けた。


 瀬文は今の出来事がアキレスと亀の如く引き伸ばされた永遠のようにも、コンマ1秒にも満たない一瞬のようにも感じられた。しかし、立ち止まってはいられない。急いで美咲のもとへと駆け寄った。白崎はすでに彼女のそばで手当てを試みていたが、美咲の命はすでに限界に達していた。呼吸は浅く、意識はほとんど薄れていたが、最後の力を振り絞って瀬文に微かな視線を送った。


「美咲さん……!」


 瀬文が必死に呼びかけると、美咲は、瀬文の手をかろうじて握りしめ、痛みと共に微かな微笑みを浮かべた。その唇がかすかに動く。


「清美……のために……すべてを……終わらせて……」


 彼女の声は、雨音にかき消されそうなほど弱々しかった。その言葉を最期に美咲は息を引き取った。

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