第2話
夕食は質素なものだった。
当主が不在なのだから凝ったものを作る必要は当然ない。いきなりやってきた客への準備だって当然できているわけがないので、食事を用意してやっただけありがたいと思えよ的なことかもしれない。
乱切りにされた野菜が入ったスープをまず飲んでみる。
「あ、美味しい」
人参、芋、蕪、玉葱。
そのどれもがスプーンで簡単に崩れてしまうほど煮込まれており、肉は入っていないけれど、スープにはしっかりと旨味成分が出ているのがわかった。この地方特有の優しい味がして、郷愁感に駆られる。
皿に載せられているパンは表面が乾いていた。夕食用に作ったわけではない残り物感が満載だ。
だが、固いパンをスープにつけて食べることが子どものころから好きなので、まったく問題ない。伯爵家と違ってスープに具も入っている。ご馳走だ。
魔物に襲われた土地で生き残ったわたしは、都会育ちのお嬢さまな伯母にとっておぞましき存在だったらしく、『魔物に憑かれたモノ』と扱われていた。立ち位置としては家畜よりも低いです。
ほら、ニワトリは卵を産むし、牛や豚は肉になるけど、わたしはそうではないので。
そんなわたしがふくふくと育っているといい顔をしないので、あまりお腹いっぱい食べられなかった。
使用人が気の毒がって食事を分けてはくれたんだけど、あとでバレて解雇されることが多発したせいで、みんな遠巻きにするようになっちゃったかんじ。ごめんなさいね、本当に。
ということで、胃が小さくなってしまったわたしは、拳大のパンひとつでもう満腹。
はあ、ごちそうさまでした。
食べきったあとで席を立って部屋を出た。
食器は片づけない。テーブルに散ったパン屑だって放置します。まっしろいナプキンだって使用して、汚してやりましたよ。
なにしろ悪女なので!
部屋へ戻る前に邸内を歩きまわってみることにした。
使用人が働いているところを見ながら通りすぎる。忙しそうにしていても手伝わない。だって悪女だから。
ただ、観察するのが目的ではない。クロズリー邸における日常を把握し、いったいなにをなせば悪となるのかを見極めておく必要がある。それだけのこと。
周回して理解したのは、内装は古く、まだ掃除が行き届いていないということ。
この邸は長らく放置されていたが、クロズリー辺境伯が買い取った。拠点となる場所を領地内にいくつか配置しておくためだろう。こういった場所は、いざというときの避難場所にもなるから。
使用人の数もまだ少ないようだし、年齢層もさまざま。
ごはんが美味しかったので、こっそりキッチンを覗いてみたところ、料理を担っているのは年配の男性だった。うっかり目が合ってしまい、相手が驚きに目を見張ったのであわてて逃げた。あぶないあぶない。
メイド長の女性は年嵩で玄人感が漂っていたけど、五人のメイドはまだ新人かな。わたしと同年代か、すこし下ぐらい。話を盗み聞きして知ったけれど、みんな近くの町出身で、数年前に雇われている。
だけどひとりだけ毛色が違う子がいた。わたしを部屋へ連れていってくれた子。
メイドの中では一番年上のアンヌ嬢。家は大規模商会、父親は男爵位を賜った。王都にタウンハウスもあり、情報に秀でている。
なるほど。わたしの悪評(じつは従妹の所業なんだけど)をここで広めたのは、この子かな?
華やかな都のセンセーショナルな話題に夢中になるのは、どこの女子もおなじである。声が大きなアンヌに追従しているだけで、おとなしい子がいるのも確認。
立場が弱い子を見極めるのは大事です。悪女としては、上から目線で申しつけないとダメなので。
明日からの悪女生活、がんばりましょう!
◇
張り切ってはみたものの、わたしががんばらなくても勝手に悪女認定はされていく。楽といえば楽なんだけど、すこし肩透かしというものである。
これはすべてアンヌのおかげだ。どうやら彼女がわたしの侍女役に抜擢されたらしい。
抜擢されたというより志願したんじゃないのかなって思うけどね。成り上がりたい精神がものすごく見えているので、「あたしがこの悪名高い女を懲らしめてやって、評価されてウマウマ」みたいな気持ちがダダ漏れだった。従妹とおなじ匂いがする。
こういうのには敏感なのよわたし。自慢できることでもないけど、たぶんこれが生存本能ってやつだわ。
今日も今日とて、用意されていたド派手な服を断ってべつのドレスをまとっていたところ、「ソフィアさまがひどいの」と使用人部屋で泣いているのを窓越しに聞く。建物に背を向け庭に座り込んで聞いているので、どんな顔をしているのかまでは見えないけど、大袈裟に言っているのはよくわかった。
どうしてこんな場所にいるのかっていう理由は、散歩をしていたからです。
節制すぎる生活のおかげでガリガリになっちゃったので、体力づくりとお邸探索を兼ねて。子どものころのかくれんぼを思い出しながら、こっそりと忍んでおりました。これは悪女というより、子どものイタズラの延長的な悪女振る舞い。
お持ちしたドレスを「この程度のものをわたくしに着せるつもりなの?」と言って床に投げつけて踏みつけた。
装飾のレースを引きちぎって「直しておいて」と鼻で嗤った。
寝台のシーツにわざと紅茶をかけた。
宝飾品を見せびらかし「盗まないでね」と薄笑いを浮かべた。
同情の声と「うわあ……」という声があがっているのを聞くに、現物がそこにあるのでしょうね。
いや、わたしはやってないけど、物があるということは彼女が自分でやっているのかしら。
えええ、なんて面倒くさい。汚れものを洗ったり、繕いものをしたりするのはメイドの仕事。自分で自分の仕事を増やしてどうするのかしら。あの子、マゾヒストなの?
不思議に思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。メイドも専門分野に特化しているのが常だけど、この規模のお邸ではわざわざ分けずに全員で担うのが一般的。
だけどアンヌは「あたしは奥さま付きだから」という理由で、雑事的な仕事は他の四人が担当しているのだ。
つまり、奥さまがやらかした案件の犠牲を受けているのは、アンヌ以外のメイドたち。
そりゃあ不満にもなるわよね。イライラして当然よ。
ふふふ。悪女よ、悪女だわ。わたしががんばらなくても勝手に悪女になっていくわ。
一週間ほど経ったころ、アンヌが言った。
「ソフィアさま、外商は呼ばなくてよろしいのですか?」
「なんのために?」
「買い物ですよ。クロズリーの名に恥じない装いをしてこその奥さまでしょう」
「必要ないわ」
って言ったのに、その日の午後に外商が来た、らしい。
わたしは部屋に居たので知らないけれど、応接室に通され、待たされ、あげくに「奥さまは気分が乗らないそうです」と言われて帰ったらしい。言ったのは勿論アンヌ。
うわあすごい。高慢なお嬢さまっぽい言動。
アンヌに負けてないかしらわたし。参考になるわあ。もっと悪女にならないと。
あ、でも彼女のおかげでわたしは悪女になっているわけで、もどかしいところね。なにか褒美でも与えるべきかもしれないけど、なにしろ持ち物がなくて。
伯父の家では居候なので、使用人と同程度の支給品で暮らしていて、でもいちおう伯爵家の人間なので給金はなくて。不憫がった侍女長がこっそりお小遣いをくれたのであった。感謝。
出かけ際に「何もするな」と言いつけられているので、女主人らしいことをしていないわたし。
そのことで使用人に見下されたりするかと思っていたけど、このお邸自体、数年前に住み始めたばかりのため、他所から引き抜かれた年嵩の使用人を除いて、基本的にみんなのんびりしている。地元雇用なので田舎気質なひとが多いし、野心があるのはたぶんアンヌぐらい。
どうしてなのかと不思議に思っていたけれど、二週間目にして彼女の目的が判明した。
というか、自分で言ってくれた。
「貴女、伯爵令嬢じゃなくて、取り潰しになった元男爵令嬢なんですって?」
「間違ってなくはないわね」
十歳の女児では家を継げず、父方の親戚も魔物被害に遭った土地を継ぐ意志はなく、ヨハイ男爵家は無くなった。さらに、魔物襲撃を醜聞とする層はいるので、ヨハイの地は長く閉ざされていた。クロズリー辺境伯が保全に努めてくれたおかげで、領民たちは今もなんとか暮らしている。
「それがなにか?」
「奥さま然としているけど、あたし知ってるんですからね。貴女が誰かと手紙を送りあっていること」
「はあ」
主が不在のなか、外出するわけにもいかないわたしの手慰みは、読書と刺繍と手紙を書くこと。
返事が来たら届けてくれるし、それなりに文が往復しているのは当主代行である家令も承知していることだ。メイドに非難される謂れはない。
「早く逢いたいとか、愛しているとか、これからはずっと一緒だ、とか。他の男からそんな愛の言葉を引き出して手玉に取っているなんて、本当にキーロンさまがお気の毒だわ」
「……どうして手紙の中身をご存じなの?」
引き出しに鍵はかけていなかったけれど、普通、見ないわよね?
「一通、床に落ちていたのよ。不用心ね」
「えーっと、返していただける?」
「いいえ、これはきちんと証拠としてお出ししなければならないもの」
「証拠って……」
「不貞の証拠よ!」
見せびらかすように白い封筒をわたしに見せると、そこからは不満を爆発させたように言葉を重ね始めた。
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