お望み通り悪女になりましょう
彩瀬あいり
第1話
婚家であるクロズリー邸に着いたのは、昼もまわったころだった。
先触れもなく訪れたにもかかわらず、玄関口に使用人が勢揃いしていて驚いたけれど、わたしの出迎えではなく当主の見送りだったらしい。
驚いたのは相手もおなじだったようで、軍服を身につけたキーロン・クロズリーはわたしを見て沈黙。家令らしき老齢の男性が「もしや……」と問うてきたので、わたしはあいさつをする。
「突然失礼いたします。こちらへ
優雅に礼を執ると、使用人たちが一様にざわめいた。
彼らを制するように発言したのは夫になる男。
「丁寧な挨拶など不要。おまえのことは重々承知しているんだ」
「まあ、さようで」
「俺は出かけねばならんが、いいか、余計なことはするな。おまえは何もせず、おとなしくしていろ。カリム、あとのことは頼んだ」
「承知しました旦那さま」
傍らの家令に一声かけたのち、今度はギロリとわたしを睨みつける。
その視線の鋭さに慄いたのか、若いメイドがちいさく悲鳴をあげた。あらこわい。
本当に急いでいるのか早口で宣言したのち、外へ出て行く。その背を使用人たちが一礼して見送るなか、わたしはといえば棒立ちになって見つめるのみ。
だってどうしろというのか。
顔を合わせて数分の夫(予定)に開口一番「なにもするな」と言われ、睨まれ、放置されてできることなんてあるわけがない。
重たい空気の中、まず動いたのはカリムと呼ばれた家令であった。テキパキと指示を出し、わたしはメイドによって部屋に案内される。
「こちらでお過ごしくださいませ」
「ここは客間ですか?」
「たしかに手狭ですが、ご容赦を」
待って。言ってない言ってない、手狭なんて言ってない。
王都のタウンハウスにおける自室は屋根裏部屋だったので、これでもじゅうぶんな広さです。たしかに、『女主人の部屋』にしては手狭ではあるけども。
どう返したものか悩んでいると、メイドは一礼して去っていく。
そのあとは放置である。誰も来ない。
普通は客人にお茶の一杯でも出すものでは? わたしは貴族令嬢でありながら使用人扱いだったので、お茶出しが遅れようものなら叱責されましたけど?
馬車に揺られて飲食もままならなかったので、さすがに喉が渇いてくる。自分でなんとかしようとキッチンを目指していたところ、女の子たちの声が聞こえて足を止めた。
廊下の片隅、お仕着せ姿の女の子数名が集まって、こそこそ話をしている。
ひとりは見覚えがあった。わたしを部屋へ案内してくれたあのメイドである。
「どんな奥さまかと思ってたけど、噂どおりだったわ」
「そんなに我儘姫なの?」
「このわたくしを客間なんかに押し込めるなんて、どういうおつもり? だってさ」
「でも、正式に婚姻するまではあの部屋で過ごしてもらうって決めたの、旦那さまよね?」
「もともとは子ども部屋だった場所を二十歳のご令嬢に宛てがうってだけで、どれだけ嫌われてるのかわかろうってものよね」
寝台だけは大人用だけど、それ以外の調度品が子どもっぽい雰囲気を残したまま。
部屋に通されたときは驚いたけど、当主の指示でしたか、そうですか。
胸のあたりがモヤモヤするなか、メイドたちの声はなおも続く。
「オズボーン伯爵令嬢といえば、男を手玉に取ることで有名なんでしょう?」
「王都の有名店でも我儘放題で出禁になったって聞いたことあるわ」
「複数の男におなじ宝石を貢がせて、ひとつだけ残してあとは売り払ったってやつは?」
「知ってる。それがバレても『はした金にもならなかったわ』って言ったんでしょ。すごいよね」
「旦那さま、お可哀想。辺境伯のご子息なんてもっといいご令嬢を迎えられるのに、あーんな問題児を押しつけられてさあ」
聞いていて頭が痛くなってきたころ、ウォッホンとわざとらしい咳払いが聞こえて、甲高い声は止まった。
「何をしているのですか。仕事はまだこれからでしょう。夕食の準備が始まりますよ」
「は、はい!」
逃げるように去っていくメイドたち。
落ち着いた声色ながら、有無を言わさない圧のこもった声の家令は、続けて言う。
「お部屋にお戻りくださいませ」
「……気づいてましたか」
声をかけられたからには姿を見せないのは失礼なので、わたしはおずおずと家令の前に出る。
「使用人の躾も追いつかず、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」
「いいえ。むしろすっきりしました」
都会からやってきた奥さまがどんなふうに思われているのか、よくわかった。最初からはっきりしていたほうが助かるというもの。
水差しを頼み、「部屋までお持ちします」というのを断って、この場に留まって待ち、受け取る。
その後、自室に戻って考えた。あまりにも歓迎されていない自分について。
悪評のあまり王都を追い出された伯爵令嬢が、東方辺境伯領の一角を任された男の妻として、国境の地へ追いやられた。
贅沢三昧だった貴族令嬢は流通から程遠い田舎暮らしを余儀なくされ、さりとてどこへも出られない。おまけに夫はあの『女嫌い』で有名なキーロン・クロズリー。男狂いだった女は、相手にもされない現状にさぞ居心地が悪かろう。
前評判としてはこんなもので、そうして訪れたのは供すらまともに付けずに、粗末な衣装でひとり放逐されたご令嬢。
己の立場もわきまえず、偏屈で我儘で高慢な貴族令嬢のままでメイドに圧をかけてきた。何様のつもり? というのが今。
偉そうにしたつもりはなかったんだけど、前提条件が悪すぎて、口数が少ないと『怒っている』と変換されるのでしょう。
ちょっと視線を向けただけで『難癖をつけるために見ている』と思われている。とにかく『面倒くさいやつを押しつけられた』感がすごい。
どうしようかと考えて、答えは出た。
なにをしたって悪いほうに解釈されるのであれば、相手が考えているとおりのひとになってやればよいのでは?
「お望みどおり悪女になってあげましょう」
そういうことです。
◇
この邸の主であるキーロン・クロズリーは二十二歳。わたしより二歳年上。父親の辺境伯に国境警備を任され、広い辺境伯領の一角に邸を構えて暮らしている。
短く刈り込んだ黒髪に深緑色の瞳。年齢よりも落ち着いた印象があり、がっしりとした体躯は見る者を威圧するが、顔立ちはとても整っているので貴族令嬢たちの人気はさほど悪くない。
立場的にも引く手あまたといったところなのに、嫁き遅れになりつつあるわたしと結婚することを決められてしまった、貴族男子としてはかなりお気の毒な立場にある御方である。
普段から魔物討伐部隊の長として、定期的に遠征に出ていることは聞いていたが、今回の出立はどうも予定外らしい。急を要するもので、戻ってくるのは最低でも一か月後だと家令が言っていた。
しかし魔物討伐は大切な仕事。突発的な魔物発生事故により両親を亡くしたわたしは、新妻(予定)を置いて出かけて行った隊長を責める気なんてさらさらない。むしろ、がんばってきてくださいと声をかけたい気分である。
キーロン氏が優秀な殿方であることは、これでわかっていただけたかと思う。
対するわたしはといえば、伯爵令嬢とは名ばかりの存在と化して久しい。
前述したとおり両親を亡くしたわたしは、母の兄を後見に王都で暮らすことになった。十歳のころだ。
父は小さな領地を持つ男爵で、伯父は田舎貴族と見下していた。
魔物によって荒れ地となった土地は国へ返還されてしまったので、財産らしいものもすべて失くした田舎の男爵令嬢を引き取ったところで、なんの旨味もなかったことでしょう。持て余していたわたしを、これ幸いと遠く離れた場所へ追いやってせいせいしているはず。
まあ、悪評を押しつけられなくなったせいで従妹は内心イラついているかもしれないけど、文句は自分の両親に言ってもらいたい。言えるものであればの話だけど。
従妹が好き放題にやらかした不始末を押しつけられて、社交界におけるソフィア・オズボーン伯爵令嬢は類を見ないほどの悪女になってしまっているようだが、どこにいようとヒソヒソされるのであれば、ここでもおなじはず。
むしろ他家の子息子女からの侮蔑の眼差しが来ないだけ、こちらのほうがマシというものである。
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