第42話
どうにかこうにか逃げ込んだ店の脇にあるごみ置き場で体が戻る。
今までに感じたことのない感覚だった。
「……はぁ」
指がびりびりとして小刻みに震えていた。
煙草を咥えて大きく吸い込むと煙をゆっくりと吐き出す。もう一吸いしながら裏口に向かった。
「! ハルさん?」
「……どうしたんだ……そんな所で」
白々しくそ知らぬ顔でそう問いかける。
「あ。起きたらハルさんがいなかったから、下に降りてきたらドアが開いてて」
「……煙草が吸いたくてな」
「そう……よかった」
ホッとした顔をした蜜さんを見て微笑んだ。
「まるで、俺が消えてなくなったみたいな顔してたぞ」
「……」
蜜さんは困ったように笑って見せた。
「目が覚めた時……アナタがいなかったから……どこかにいってしまったのかと思ったの」
「……俺は……どこもいかない」
その言葉に再び安心したように笑うと頷いた。
「ここで煙草を吸おうと思ってたらな、そっちのゴミ置いてるとこに黒猫が入ってくのを見たから、蜜さんが言ってるヤツかな? と思って見に行ったんだよ……そしたらワインの瓶が倒れててそれを箱に入れてきたんだ。寝起きだから時間がかかったな」
蜜さんは路地の方を少し寂しそうな顔をして見つめて、大きく頷いた。
我ながら、なんて稚拙な嘘なのだろう。
そう思いながら煙草を消して厨房に戻ると冷蔵庫からよく冷えたお茶を出し飲み干した。
まだ、指先から腕がジンジンと痺れているような感じがしていた。
毎回あんな風に体がビリビリとするのだろうか? 予兆というものがアレならば、もしかしたらこんな風に泊まったり、一緒に寝る事があっても猫に戻る感覚をコントロール出来るようになるんじゃないだろうか? そうしたら上手くやっていけるんじゃないだろうか?
そんなことを考えながらステンレスのシンクにグラスを置いた。
「ハルさん?」
「……うん?」
背中にふわっと抱きついた蜜さんは、すうっと息を吸い込んだ。
「黒猫ちゃんはどっかに言っちゃいました……」
「……あの黒猫と話せたのか?」
知っていて聞くのは心苦しいがそう聞いてみる。
「……話せた……うん。でも、もう……来ない気がするわ」
「なんで、そう思うんだ?」
蜜さんは少し寂しそうに笑って俺を見上げると首を振った。
「なんとなくよ。でも……たぶん、そうだと思う。きっと今日は私にお別れを言いに来てくれたんだと思ったのよ」
「蜜さんがそう思うなら……そうかもな……でも、俺がいるだろ? だから、そんな顔するな」
「ハルさん」
「……俺にしとけって、さっき言わなかったか?」
俺は蜜さんの頭を撫でる。
猫だった俺は、ただ撫でられるだけでこうは出来なかった。
「……うん。そうね」
俺は蜜さんを抱きしめてキスをした。
そして、その日の昼までベッドの上で寄り添って眠ると俺は一度家に……レイやユキのいる場所へ戻った。
輸入食品雑貨の店は、それなりに繁盛していて知った顔が俺に挨拶をして店の中を回った。
店番をするユキと、品出しをしていたレイはしたり顔をして俺を見た。
「あら、おにいちゃん。朝帰りよ……ううん、もうお昼を回ったわね。まぁいいけれど? ふふふ」
「……悪かった」
「別に悪くなんかないよな?」
「そうよ。悪い事なんて、なぁんにもないわ」
そう言って笑った2人を見て困りながら部屋へ上がった。
シャワーを浴びると、もうすっかりなくなった痺れた指先や内臓の感覚を思い出した。
あれはなんだったのだろうか?
そんな事を思いながら、蜜さんと重ねたキスを思い出す。
その先をしなかったのは、酔っていたのもあるけれど本当に俺でいいのだろうかという不安と戸惑いもあったのだ。
「不甲斐ねぇな……まったく」
ボスネコちゃんの俺に話をしている時の蜜さんは、本当に穏やかな表情をしていた。
あの日、泣いていた蜜さんはもういない。
俺が人間になって、あの店に行って、少しはあの人の役にたって……それどころか、こんな俺にあんな気持ちを抱いてくれている。きっとこれは喜ぶべきことなのだろう。
俺はどうしてこんな気持ちになるのか解らないでいた。
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