第40話
怖々と蜜さんの頬を捕まえて、ゆっくりと唇を寄せる。
そっと絡み合った唇や舌が、熱く震えて揺れる。猫はこんなキスをしない。人間のキスはものすごい破壊力だと思いながら唇を離すと痺れるように熱い喉を開くように声を出した。
「まだ……あのさっきの男の事が忘れられないか?」
「……もう、忘れたわ……もうとっくに忘れていた」
「そうか」
「……少し前……少し前まで覚えていたかも知れないわ。頭の隅にいつもあって、何かのスイッチが入ると思い出したりしていた気もする。そんなに長い時間一緒になんていなかったのに」
「好きだったんだろ。だったら当然なんじゃないのか?」
蜜さんは小さく首を傾げた。
「好き……だったのかしら? 今になってはそれも解らないけど……そうね、あの時は嫌われたくはなかった。と思う」
「そうか……で、さっきはそのスイッチが入っちまったと」
俺がそう言って少し笑うと蜜さんは子供のように拗ねた口調で言った。
「……ハルさんに会って……ハルさんがここへ、仕事でも来てくれて……それだけで嬉しくて、いつのまにか、あの人の事なんて思い出さなくなってて」
「……」
「全然思い出さなかったの……なのに、おかしいわよね。こんな風な醜態を見せて恥ずかしいわ」
「恥ずかしくなんかない」
「……ハルさん」
蜜さんは潤んだ瞳で俺を見上げた。
「じゃあ、やっぱり」
顔を寄せると蜜さんはゆっくりとうっとりと目を閉じる。
軽く口づけをして離すと囁いた。
「……俺にしとけば」
蜜さんはゆっくりと頷いて、言葉を発するかわりに口づけで返事をした。
「蜜」
帯を雑にほどいて、浴衣の胸を左右に開いて甘い香りのする身体に埋もれる。
人間のメスの香りが、鼻孔をくすぐる。
何度も、何度も。
しつこいぐらいに口づけを落として、ようやく首筋に噛みつく。
こんなにも甘く綺麗な皮膚を愛でたことがあっただろうか。このまま海の底へいってもいいだろうか? 今まで感じたことのない理性というなの感情が働きだした。
「……ハル……さん。私の名前、呼んで?」
「何度でも、呼んでやるよ……蜜」
奪うように口づけを落とすと蜜さんは吐息のような悲鳴のような音をこぼす。
「ああ、ハル……さん」
吐息混じりに呼ばれる名前はこの上なく艶っぽく、色に溢れていた。
この先を越えたら、いけないようなそんな不安と恐怖がやってくる。
俺はすうっと息を吸い込んで蜜さんを抱きしめるとそのままベッドに横になった。
「今夜は……ここに泊めてもらう……寝るぞ?」
「その先には、触れてくれないの?」
「……お互いに飲みすぎてるからな……どうせなら……ほろ酔いぐらいで愛し合いたいからな」
「ハルさん……案外ロマンチストなのね」
大人だから互いにそれなりの経験はあるという認識のもと出た蜜さんの言葉に小さく笑う。
「それはどうかな……恥をかきたくないだけだ」
「もう」
頬を染めて少女のような戸惑いと恥じらいを浮かべた。
「……こんな風に、大切にしたいと思うのは初めてだ」
蜜さんは少し驚いたようにして笑った。
「だから……こんな風にじゃなくて」
「……ハルさん……好きです」
蜜さんは俺の下で首に手を伸ばし絡めて笑った。
「ああ……俺もだ」
蜜さんは俺の頭を引き寄せて深く口づけた。
「……っ。蜜」
人間のキスというこの行為がいかに複雑で甘くて尊いのか感じながら目を閉じる。その先を知ってしまったら、俺はどうなってしまうのだろうか?
「……ハルさん」
月がカーテンの隙間から覗いていた。
「この先はお預けだ……今日はいい子に寝るんだ」
「はぁい」
クスクスと笑って俺の腕に頭を預けた。
俺はその先への衝動を抑えながら柔らかな髪をそっと撫でた。
こんな俺を見られて、恥ずかしいような誇らしいような何とも不思議な気持ちになりながら月を見上げた。
「人間って……すげえな」
「ふふふ、なぁに?」
蜜さんが俺の腕の中で笑う。
「いや……猫や他の動物なら、こんな風に理性をコントロールできないからな」
「ふふふ」
睡魔が襲ってきたのか、蜜さんは目を閉じて微笑んだ。
「ハルさんって……いいにおい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます