第20話

「!」


 驚きながらそっと近寄る。蜜さんの目からスッと一筋涙が零れた。

俺はそれを見て胸の辺りが、ぎゅーっと苦しくなった。


恐る恐る手を伸ばし、頬に伝う滴を指先で拭う。


 彼女を悲しませるのは、何だろうか? 

この涙の意味はなんだろうか?


 指先の皮膚に沁みるようにのった涙を見つめて、人間になれた事を実感していた。


こうして涙を拭いてやることができる、こんなことがとても嬉しかった。


 9時まではもう少し時間がある。配送の業者が来るまで少しこのままにしてやろうと、上に羽織ってきたシャツを脱いでかけてやると少しだけ頬が緩んだように見えた。綺麗な願いだった。


ずっと見ていたい、そう思うようなやわらかで穏やかな寝顔だった。


 起こさないようにそっと髪を撫でた。

少年のように短い髪は柔らかく、あの頃と同じ花の香りがした。

すっきりとした襟足から伸びる細い首筋にドキリとする。


俺はどうしていいかわからなくなって厨房に向かうと朝にパトロールに来たときに蜜さんがしていたようにジャガイモの皮を剥いた。


カシャン! と裏口で音がする、俺は戸を開けて食材を受け取った。


「あれ? みっちゃんは?」


おっさんと呼ぶには若くおにいちゃんと言うにはいっている感じの男が聞いた。


「いま、フロアにいます、呼びますか?」

「いや、いーよ。にいちゃんは? 新しい人?」

「はい、よろしくお願いします」

「男前だねえ」

「……ありがとうございます」

「みっちゃん、イイコだからよろしく頼むよ」

「わかりました」


俺がそう言うと、男はうんうんと頷いて帰っていった。俺は受け取ったジャガイモや玉葱の箱を置くとフロアに戻った。


蜜さんは小さな寝息をたてていた。


横に座って、もう一度蜜さんの髪に触れる。

ずっとこうして触れていたい、そう思うような手触りだった。

昨日の夜触れた、レイの毛……猫の毛……よりも張りがあるのにつるんとしていて指先からすぐに離れてしまうのに、いい香りがずっとしていた。


人間の髪型やファッションについての知識はゼロに等しい。

ユキのような髪型や蜜さんが昔していたのはロングヘアと言うのは知っているが、今の蜜さんの髪型はなんと言うのだろうか? 帰ったらユキのに聞いてみようと思いながら、形のいい後頭部を撫でると小さな寝言が聞こえた。


「ん……気持ちいい」


短い髪の間を指でなぞるように撫でると蜜さんはとても気持ちが良さそうに口角をあけで深い寝息をたてた。


このまま、一緒に寝てしまいたい。そんなことを思いながら俺も目を閉じそうになりハッとした。


もし、今ここで寝てしまったら俺は猫の姿に戻るだろう。

ユキの顔が浮かんだ。


『気を付けてね? おにいちゃん?』


大きく首をふって、蜜さんの少しだけ癖のある髪を撫でて、そっと声をかける。


「蜜さん」


何度も呼んでいた名前がちゃんと音になって伝わることに感激をしながら声をかけた。


「蜜さん」


俺はくすっと笑うと肩をぽんっと叩いた。


「おはようございます」


パチッっと目を開けて、ガバッっと起きた蜜さんに驚きながら髪に触れていた手を引っ込める。


「あ! えっ? あれ?」


蜜さんは肩にかかった俺のシャツをとってシャツを俺とを交互に見ながら慌てたように髪や顔を触って立ち上がった。

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