第17話
うたた寝をしていたようだった。
気がつくと、時計の針は深夜2時を少し回った所だった。
「やだ……はぁ」
疲れが取れない変な睡眠をとってしまった。と後悔しながら体を起こした。
鏡の前に置いてある蓋が開けっ放しの化粧水を片付けて、すっかり乾いている短い髪にブラシをかける。
無意味だろうと思いながらもこうしてブラシをかけるのはせめても女だということを忘れない作業と言うのか儀式のようなものだ。
あの頃は、あの人のために女としての自分を作り込んでいた。長い髪も丁寧に磨いた爪も、まつ毛のエクステも高いハイヒールも、使いこなせない武器のように装備してあの人を迎えた。
そうしていないと敵わないのをわかっていたかのように、ただ若いだけの私は必死だったのだ。もしかしたら本能的に他に女……敵わない相手がいる事を解っていたのかも知れない。
ブラシを置くと階段を降りてキッチンで麦茶をグラスにいれる。
ふっと、思い立って店に続ドアを開け厨房に向かうと食洗機からワイングラスを出して業務用の赤ワインを半分くらい注いだ。
ダウンライトをつけるとカウンターに座る。
キラッと、グラスに反射したピアスの光を見て耳に手をやりながら黒崎陽月という彼の顔が浮かんだ。
そういえば、彼もダイヤのピアスをしていた。
猫のように静かな瞳の光を持つ口数の少ない男は、昔の私の姿を知っているらしく今の私をみて楽しそうだと言った。
その通りだ。
あの人と過ごせる時間に必死にしがみついていた私は、仕事をしていても楽しくなんかなかったし、何を食べても美味しくなんてなかった。
9時過ぎに食材を配送屋さんが持ってくる。黒崎陽月は10時頃には来るだろう……そう思った瞬間に言い様のない不安に襲われる。
誰かを……男の人を待つのは苦手だ。
あの人とは対照的な男。
あの人は背がそんなに高くなかった。あの人は目にかかる程の髪を整髪料でしっかりと調えていた。お湯を沸かすこともしないような男は、とても大人だったがよく喋り大袈裟に笑う人だった。
背の高い男はやってくるだろうか?
長い指で魔法のように手早く料理を作った男は、私とそう年も変らないがあまりお喋りではなくフワリと笑う……
ドクンと胸が鳴った。
「まさか」
彼のことが気になるのは、美味しいカルボナーラのせいだ。
赤ワインをグラスの中でくるくると回して口に運んだ。
「……美味しい」
あの日と同じ物なのに、美味しく感じた。
あの日から、ずっと短くしている髪に触れた。
「蜜さん、髪伸ばさないんですか?」
見習いから昇格したばかりの男の子が櫛を入れて丁寧に鋏を動かしながら言った。
私の髪は手のあいてる誰かが切ることになっていて、毎回微妙に雰囲気が違った。
「この髪型が好きなの」
「うん、すごく似合います。蜜さんらしいです……そっか、なんか納得です」
そうなのだ、あの頃のように無理をしない。私が私でいられる。
それだけなのだ。
ワイングラスに映る自分を見ながら、さっさっと髪を整えて小さく笑った。
「運命的な恋が待ってる? 映画じゃあるまいし」
ワインを飲み干すと2杯目を注いでカウンターに戻った。
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