第6話

蜜さんは泣いていた。

とても静かに泣いていたんだ。


俺はただ、蜜さんの横に座って月を眺める事しかできなかった。


「ねえ……私ね」


少しの時間が過ぎて、蜜さんは俺の額を指先で撫でながら言った。


「知らなかったのよ。本気で恋愛してると思ってたの、奥さんがある人だってことも……彼の野望もね……知らなかった」


香水女の夫という男と出会ったのは、密さんが前に勤めていたレストランと呼ぶには小さい料理店だったという。

 

 男はある議員の秘書をしていると言っていて、料理店からそう遠くないマンションにひとりで住んでいたのだという。

男のマンションは、とても高級な高層マンションで部屋からは街のネオンがよく見えたそうだ。

男の部屋は、明らかにたかそうな家具や調度品があり議員の秘書という仕事は驚くほど給料がいいのかと思っていたそうだ。


「今、考えれば……週末は会わなかったのは奥さんのいる家に帰っていたからよね。ゴルフや会食なんて色々言ってたけれど……どこまでが本当だったか。分からないわね」


 蜜さんは男のマンションに仕事が終わると向かって、そこから出勤する事が次第に増えていった。

だが別れは突然やって来たという。


「こんな関係はよくない、別れよう」

「こんな関係って?」

「君は若くて綺麗だ。身体だけの関係を続けているなんて馬鹿げてる」

「体だけって」

「妻のお父上がね、政治資金を用立ててくれることになってね。政界に向けて動き出すのに、こんな馬鹿げた関係はタブーだからね、ああ、君も他言無用だよ」


蜜さんは男に何も返答が出来なかったという。


「……わかったわ」


そう言って男の部屋を出た。男は店にも現れなくなり、蜜さんは店を辞めた。

そして、休みがちになっていた実家である店をやりはじめた。

程なくして先代ががなくなったのだ。



「物分かりのいい女を気取ったのよ、バカでしょ? その時初めて奥さんがいることも知ったのよ……こんなお金置いていかなくても、もうとっくに終わってるのにね」


クスッと笑った蜜さんは封筒を手に取った。



「アナタは優しいのね。黙ってそばにいてくれるなんてなかなか出来ないわよ?」



ふふっとわらった蜜さんは泣いていた。



『ねえ、俺にしとけば?』



そう言いながら彼女に寄り添った。



「アナタが……人間ならいいのにね」


俺の声はニャオーンという音となって密さんに伝わる。


 コツンと頭を押し付けることしか出来ない自分がもどかしかった。


 翌日、いつもの時間に顔を出すと蜜さんの花の香りのする綺麗に纏められた長い髪は短く切られていた。


 前にメスの猫が「人間の女は失恋すると髪を切るんだ」と言っていた事を思い出した。


「あ、ボスネコさん。今日もひとり? ふふっビックリした? 私よ? わかる?」


よく空き地でサッカーをやっている中学生ぐらいの男の子みたいに短く切ってしまった髪を触りながら俺の前に座った。


解るけれどビックリした。と、返事をすると蜜さんはいつものように優しく俺の額を撫でた。


「どうかしら? 少し切りすぎたって後悔してるのよ?」


素敵だよ、と、伝えると蜜さんは笑った。


「……いらないものは、全部捨てたのよ」


その意味は猫の俺にはよく解らなかったけれど、ピトンと蜜さんにくっついた。


「ほんと……なんでアナタは猫なのかしら……なんてね。ふふふ」


人間の男なら彼女を抱き寄せてやることも出来るのに……そう思うと悔しくてしかたなかったんだ。

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