第10話

ごく普通の毎日。


母が望んだ大学病院や大病院の御子息との縁談を断った時は、公務員でも官僚レベルじゃなきゃ幸せになんてなれないわよ。と罵倒されたこともあった。


でも、私は穏やかに幸せに暮らしていた。


入籍を済ませて結婚式までカウントダウンがはじまった。

夕方までの勤務を終えて、私の家に来て夕飯を食べながら式の最終確認をしようと言う約束だった。


「もうすぐ家につくよ、買ってくものある?」


と、彼からメールがきてそれに「アイスクリーム、味はお任せ」と返事をすると敬礼をするクマのスタンプが返ってきた。


私はクスクスと笑いながらシチューを火にかける。


母は忙しそうに、でもなんだか嬉しそうにして花を飾っていた。


チャイムが鳴る。


「アツシくん、もう着いたのかしら? 早いわね」

「そうね。私がでるわ」


火を弱めると玄関の鍵を開けた。


「早かったね」


呼吸が止まるかと思った。


「ミクチャン」


歪んだ口でそう私の名前を呼んだのは元彼だった。


「……な、んで」

「酷いんだよ、俺は普通なのに皆が俺を田舎に閉じ込めるんだ」


グレーのスウェットで健康サンダルを突っ掛けた元彼はくぼんだ目をして私を見た。


「話をきいてくれ」

「さ、さわらないで」

「頼むよ、聞いてくれ」

「離して」


出来るだけ刺激をしないように静かに彼に伝える。


「やめて、お願いよ」


ゆらり。

と、痩せた体を重たげに揺らして玄関のドアを大きく開けると足を踏み入れる。


「きゃ!」


声をあげる瞬間、元彼の声が響く。


「ぎゃああぁぁぁ!」

「確保!」


へたっと座り込むと呆然として見上げる。


「あ、つし」

「もう、大丈夫だ」


ふわっと笑ったアツシと対照的に、元彼はパトカーに乗せられても鬼のような形相でただ叫び続けていた。


オレンジ色と蒼と混ざる空に吸い込まれたその鳴き声のような悲鳴は、どこか気の毒で、どこか滑稽だった。

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