第2話

「ん?」


 階段を上がっていると、テンテンと弾むように転がり落ちてくる黒い物体が目に入った。


「……っと!」


 その物体にある『眼』らしきものと視線がぶつかって咄嗟に手を伸ばしてキャッチした。


ふにゅ、っとも、むにっとも何とも言えない感触に目を大きく見開いて変な声がどこからか出た。


「ふえっ」


よく見ると手のひらの中のそれは、黒いクマの小ぶりなぬいぐるみだった。

 誰か子供か同世代の女の子が落としたのだろうか? そう思いながら階段を上がりきると彼がキョロキョロと辺りを見回していた。


 まさか……ね?


と、思いながら少しだけ息を吸い込んで声を発した。


「あ! あの! もしかして、この子を落としましたか?」


バッっと勢いよく振り向いた彼は私と手の中の黒いクマを交互に見て嬉しそうに笑った。


「うん。そう! 俺のだ! ありがとう」


 見た目とのギャップ萌というのだろうか、大きな体のせいなのか彼がこんな風に砕けた笑顔と話し方をするとは想像が出来なかった。


 前に見た少しはにかんだようなそれとはまったく別のもので、男の子に失礼ではあるだろうが『かわいい』と形容するのが一番ふさわしい感じの表情だった。


 私は微笑み返すとクマを彼に渡した。


「かわいいクマさんだね。もう迷子にならないようにね?」

「……。うん。これにつけてたんだけど紐が切れちゃったみたいで、どうもありがとう」


 申し訳なさそうに笑いながら竹刀袋から細い紐をとってぶらぶらとさせる。


竹刀袋とくっついていた紐が切れてそれで落ちてしまったのだった。


「わ! 頭から白いの出ちゃってる……うわぁ」


 大きな手で小さなクマの頭からはみ出た綿を押し込もうとにかさながら、そう言った彼があまりにもかわいくて私は思わず笑いだした。


「……ご、ごめんなさい、同様してる姿が可愛らしくて」

「え? か……かわいい? 俺が?」

「え? ええ。うん。ごめんね」

「あ。ううん。えっと、ホント拾ってくれてありがとう」


そう言って大きな体に似つかわしくない小さなクマを持った彼を見てもう一度笑いそうになる。

 優しい声のトーンはツボだった。


「ねえ。……よかったら、その子直してあげようか?」

「え?」

「5分くらい時間ある?」

「……うん。5分で、直るの?」

「直るわよ」


 彼はおずおずとクマを私に差し出した。


まるでいたずらを見つかった子供が叱られたあとのような仕草に私は再び笑いを堪えた。


「座れる所って、この辺あったかな」


私がそういうと彼は、少し考えて答える。


「ロータリーのベンチは? 俺、バス使わないけど座ってもいいよな?」

「あはは、私も使わないけどいいと思う!」


 屋根のあるバスロータリーには若手のデザイナーが作ったらしいベンチがいくつか置かれていた。私たちは並んで腰かけた。


「あ、ごめんね。紐が同じのはないんだけど」

「ううん、何でもいいよ! そんなの全然平気!」


物腰の柔らかい話し方に安心する。


 私は鞄から家庭科で使った裁縫道具を出してクマの頭の綿を入れていき何処かのショップのリボンを入れ込むと縫い付けた。たまたま道具を持っていた事に万歳したい気分だった。


 小さな穴はあっという間にふさがり、彼の竹刀袋にぎゅっと結びつけると私は自己満足に浸りながら言った。


「リボンが少し太いけど、これで当分迷子になる心配はないわよ?」

「よかった……どうもありがとう! すげえ! なおった! よかった」

「大切なものなんだね」

「うん、お守りなんだ」


ぶらさがったクマをマジマジと眺めて彼は微笑んだ。


「……このリボン、いいね」

「え?」

「you are Win! って書いてある」

「あ、本当だ」


彼はリボンをなぞった。


「もうすぐ、試合なんだ。なんか、勝てそうな気がするよ」

「! そ、そっか、うふふ。よかった」


2人の間に短い沈黙が流れた。


「えっと、剣道部なんだね」

「うん」

「強そうだね」

「……うん、まあまあかな」


 自分でまあまあといえると言うことは、それなりに自信もあるレベルなのだろうと思っていると彼は短い髪を溜息を吐きながら掻いた。


「近ごろ、ちょっとスランプ気味で……だから、なんかちょっと元気出たって言うか、すげえありがとうね」

「そ、そんな! とんでもない! 私はなにもしてないよ……あ!」

「?」


視線の先に連絡の取れない彼が他の女の子とイタャイチャとしながら歩いているのを見つけてしまった。

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