第2話
櫻ちゃんは、言葉を詰まらせた。
婚約している人がいると自ら触れ回った上でぼくを追い回すというのは、どうなのだろう?
遊び、ということだと解釈するのは当然ではないだろうか。
まさか、
嘘じゃあるまいし。
「婚約者が心配するようなこと、やめた方がいいよ。ぼくはきみを見てるから」
仕方なく監視するから。
これだけクレイジーな『妻』が居るんなら夫も相当なはず。
心配しない、なんて婚約者だとしたら、冷めきってるからぼくに執着してると考えられる。
なんとふざけた役回り。
なにをどう前向きにしても、櫻ちゃんを恋愛対象と思い込む自信は持てそうにない。
櫻ちゃんの足元で、今日もまた誰かが死んでいくそんな想像をしたら、 やっぱりヤンデレは二次元だよなと思えた。
「ぼくが、櫻ちゃんをヒロインにしてたとしてそれを見た婚約者はどう思うかな」
「やあん、妬いてる~」
櫻ちゃん前向き。
まーえむきっ!
「きみがしてるのは、浮気だ。それとも婚約は嘘?」
ぼくは、淡々と目が覚めるのを促そうとする。
「櫻、旦那居るよ……
このまえ朝御飯にラーメン食べたし。あ、あとねあと学校に傘忘れたりしたし、あと宿題にコーヒーこぼれたりして注意されたし」
旦那はまるで、こちらを見張っていたかのような姿、行動だった。
「日記もつけてるもん!
クラスの子読んでるもん!」
待て。待てよ。櫻ちゃんの旦那は、つまり、ぼくなのか……?
プライベートを暴路されてまで彼女のリア充アピールだなんて聞いてないぞ。
「ちょっと勝手過ぎない?」とさりげなく伝えたくてまるで、ぼくみたいだなぁ~、と呟く。
「それって櫻へのアピール、だよね? ねっ?」
……。櫻ちゃん、前向き。
これを他のやつらが見たら、付き合ってるくせにちぐはぐだと、不信がり別れるように言うはずなのに。
「まだお話書いてるの? 櫻はヒロイン?」
「うん。可愛い櫻ちゃんにしてる」
ノートをまた破られたくはない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
佐仲 問。
仲間からは一線引かれている男。
一目、ではなく一線だ。彼のなかでは、目についた女はみんな敵、男であってもたまに敵。
「奪ったなああああああああ」
と、叫んで教室まで走った先に今回の『ソイツ』は居た。
今回の相手は中性的なやつで、一瞬ドッチなのかわからない。
あぁ、ソータが、どうしてこいつなんか……!!
昨日見てしまったんだ。仲良く話してるのを。
俺のなかでは、話すだけでもはや浮気、いやいや目が合うだけでも浮気。
許せねェ!
「返せよッ! なんで、なんで……」
前を、スタスタ歩くそいつの肩を掴み無理矢理振り向かせる。
いままで太陽が背中にあったのに振り向かせられたそいつは、眩しそうに目を細めた。
「なに、かな」
「とぼけんなよ、永藍えいあいッ!」
永藍は困った顔でぽつりと。
「とぼけてなんかないけど……」
「嘘だッ! この前二人で居ただろうッ!」
問の信用は得られなかった。
「この淫魔!悪童!××××××××~っ!!」
問はキレると止まらない。
放送出来ない言葉で罵る。言い過ぎるくらい徹底的に罵倒しないと気が済まないのは、彼が抱えている発達しょうがいが関係しているらしい。
「謝れ! 地面に頭を垂れやがれチクショウめが」
「はあ……」
ぽかーんとしている永藍だった。
「きみの中では、転んだから手をのばして立たせるだとか、少し物を運ぶのを手伝っただけでもダメなんだね」
「そんな都合がいい言葉があるか! ははぁ~ん。そうやって男を落としてるんだな? とんだアバズレだな」
「かつらがずれてた?」
「なっ、てめえかつらなのか!?」
「違う」
……
「じゃあ、聞くけど!!」
「はあ」
「俺は友を大事にしたいんだが。ショウコウをどう思う?」
佐仲問はインコ教のインコ様と、自分について気にかけている。
「インコ教のかたと知り合えるなんて世界は広いね」
はたから見れば口先だけのお世辞を問は喜んだ。
気分がよくなった問の本性?が現れた。
「電話……させろよっ!」
え。
突然のツンデレ?
怪しんだことを疑われないように永藍は突っ込まなかった。
「ラインでもいい。今度からはっ直接文句言う!」
少し話しただけで、害が無いとでも判断されたのだろうか?
「ラインはやっていないよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「トントントントン♪」
「なにしているの?」
「しんぞうさんを、マッサージしてるの」
「トントントントン♪トントントントン♪トントントントン♪トントントントン♪」
「だれのしんぞうなの?」
「この国や、この街は生きていて、そのしんぞうよ」
「へぇ。じゃあ、ぼくも。トントントントン♪トントントントン♪ みんなで、しんぞうさんをマッサージだ」
放課後。
ぼくは、櫻ちゃんにせがまれて童話を読んでいる! 隣には、満面の笑みの櫻ちゃん。
「私ね、やっと前を向けるようになったの……今まで、学校も行ってなくて、でも貴方がいたから」
重い重い重い重い。
前を向いた結果がコレならば、そのまま家に居てもらった方が僕にはありがたい。
帰りたかった。
「ねぇ~続きは?」
手を止めると首に圧力をかけてきます。
ひいいい。
「あっ……鏡子を呼ぼうか。
圧迫面接みたいで、
圧迫、苦手だよね?
私、なんで気がつかなかったんだろ。鏡子ー!」
出来れば櫻ちゃんの前では誰も心停止しないで欲しい……
『しんぞうさんにまっさーじ』を読んでいるだけでぼくはかなりプレッシャーを受けているっ。
鏡子ちゃんは、なかなか来ない!!
櫻ちゃんは舌打ち。
しかしすぐスマイルに!
「柚月くんがそーうなる場面にもし遭遇したら、ドラえもんみたいにどこでもドアでかけつけるねっ」
要らない。
超いりません。
いや、でも死にたくない。うーん。
「あ。
私たちの人工呼吸よりもまず、鏡子を圧迫するのが先かなー? あのメス豚」
櫻ちゃんの目付きがガラリと変わる。
鏡子ちゃんの居場所がわかれば、来ないようにサポートに回れるのに。
それだけでも確実に救命率が上がるはずだ。
呼ぶだけで終わり、ポジティブな方向に流れて欲しい。
戸惑っている。
誰かが動き出せば、連係出来る。
だから、早く誰か!
鏡子ちゃんが来ない、
いや、来て欲しい!
panic!!?
あと1、2分したらこっちが失神しそう……
一人でいい、申し送り要員がほしい!
でも。
助けがもし来ても『しんぞうさんにまっさーじ』を読みながら状況説明は相当苦しい。しかし説明できないとわかって貰えないだろう……
確実に生存率が上がる方法はないものか。
もし逃げることができなかったら、せめて上着とかで櫻ちゃんに目隠ししてる隙に逃げられないものだろうか。
頭によぎる深夜アニメ……
本の次のページをめくるとウシを引き連れた新米刑事がしんぞうさんをマッサージしてる絵。
すげえ話だなおい。
いや、ちがう現実的に時間を稼がないと。
できる人が多いのは救命率向上につながるわけで……
「し、しんぞうさんにマッサージ。
やれる人が多くて交代しながらが一番なんだ。
きみも、しようよマッサージ」
涙目で読み上げるぼく。
「ああ、いい声。食べ物の匂いとかじゃ感じないのに、柚月くんの声だけなんだよなー なんなんだろう? この感情に名前はないのかしら……
道すがらにいろんなとこから洩れてくる、柚月くんの会話や、ひとつずつ音、それから持ち物の匂いをかぐと、この世界に存在してるのは、私独りだけじゃないって、不思議な安心感を覚えるんだ。
私だけが柚月くんを求めているわけじゃないっていう、共犯者みたいな、なんて、例えが悪いかな。ふふ。
鏡子に共感を求めたら「まったくわからない」ってぶったぎられたんだけど、変よね……?」
変です!
はい、変ですから、だから解放して!!
と言えればいいのだけど、生憎そうはいかないのだ。
「ねえ、櫻ちゃんは、今楽しい?」
「楽しいよ? だってだって柚月くんが、居るから」
ぼくはそうでもない。帰って寝たいな、なんて口が避けても言えない。
「婚約者が居るのに浮気してたと思ってたでしょ、そりゃ言い寄る人はいるし……不倫みたいになってて、謝ったりもあったよ。
でも、自分からは無いのよ!」
「はぁ。でも櫻ちゃん、独占欲強そうなのに、よくそういうの我慢したね」
「相手はねー黙らせたから」
!?
「じゃなかった。お金渡して穏便に裁判を揉み消したの」
「櫻ちゃん、それ実質謝ってないよね」
「どんな相手だったんだろうなぁ……なんかよくわからないけど!」
謝るどころか赴いてもない疑惑。
ぼくが唖然としているのに気が付いてないみたいで、櫻ちゃんはにっこり。
「奥さんには申し訳なかったね。
まあいいの、あんなクズ。寂しかった柚月君のために、今日は一日一緒だよ!」
「お、おう」
「あ。櫻ちゃん……なにを持ってるの?」
ふと見ると櫻ちゃんの手元には小さめの手帳がありました。
「んー?柚月くん日記~。えへへ」
見たい?
と可愛らしく微笑む櫻ちゃん。
「前の方のページ、なんか汚れてるみたいだけど」
ぼくのことを書いた部分より前の方は、なんだか、赤黒い染みがべたりとついていました!!
絵の具かな。
絵の具でしょ。
そのタイミングで、誰かが教室に来る音。
「あ、鏡子かも!」
ぱたぱたと慌ててそちらに向かう櫻ちゃん。
僕の手元に残った手帳がはらりとめくれ……
るり子るり子るり子鏡子ウザい鏡子ウザい鏡子ウザい鏡子ウザい鏡子ウザい……(略)
とかなんとか羅列された血塗られたページたちがかいま見えた。
ヒイイイイ!
穏便に謝るような人がこんな邪念の籠った物を書くとは思えないけど。
(クズ男、よりも扱い酷くない?)
み、見なかったことにしよう。
「あ、ごめん、おまたせ」
少しして、櫻ちゃんが戻ってきた。
さっきなら隙を見て逃げ出せたのに。
本当に、馬鹿な自分を思い知らされる。
「……よし、この個数差なら黒は9個位回収できる筈だ……いけっ!」
ゲーム機片手に、鏡子ちゃんも入ってきた。
肩までの髪をした華奢な、クール美人だけどゲーム好きだ。
「鏡子、柚月君と遊んでるの、ゲームしてていいから居てくれるよね?」
櫻ちゃんが彼女を揺さぶると、ゲームオーバーらしき音がした。
「櫻ちゃん。無念。
他が使わないであろう武器でそれっぽくというのは失敗だったようだ……クッ」
横長いゲーム機を抱えてわけのわからないことをいう鏡子ちゃん。
「ずっと作業ゲーしてると眠たい…ちょっと脳筋してこようかな。しかしこれ、先月、引き継ぎに関するお問い合わせを出したけど未だに応答が無いんだよどう思う。
順番待ち状態なのかはたまた残念、諦めろということなのか」
「こんにちは、鏡子ちゃん」
ぼくは慌てて挨拶。
「ああ、柚月君。引き継いでスタートできたら、遺跡内部の背景が描かれるシナリオが見られるらしい……ますます欲しくなるが、肝心の入手方法がわからないんだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・
「それは、すごいね」
「はうっ、達成報酬が牛……!
大きい。これで、実は30位以内報酬なのだとか言われたらもう何も信じられない……っ」
「柚月君、鏡子はこんな子だけど、よろしくね」
櫻ちゃんに言われ、ぼくはうなずきました。
正直櫻ちゃんみたいなのが二人居たらキツいなと思ったのが本音ですが。鏡子ちゃんなら安心です。
カチカチカチと、ボタンを連打する音のなかで、ぼくは「しんぞうさんにまっさーじ」を読みます。
「待つのはいいが。
5時には、宇都宮へと受け取りに行かなくてはならないんだ。広田さんが鷹潭(インタン)から帰ってくる……!」
「受けとりって、広田さん荷物?」
櫻ちゃんがクスクス笑います。
「にたようなものだよ」
クールな鏡子ちゃん。
「いんたんって?」
「中国華東地方、チヤンシー(江西)省北東部の、信(シン)江中流あたりにある市だ」
☆
はぁ……
とよくわからない表情を浮かべるぼく。
まあいいよ、と言う鏡子ちゃんでした。
本を開こうとしていると、彼女は言います。
「柚月くんさぁ……私と友達になりたい?」
――――え?
「私、話の成り行きで「友達」と言われるのは嬉しいんだけど……
友達になろうとか「友達だよね!って言われるのは苦手なんだ。
恋人だってそうだよ。
言葉で縛る関係って結局薄っぺらいような、心でお互い友達だと思ってたらそれでいいじゃないかって思ってしまうから」
「柚子月君になんてこと言うの!」
ばん、と強く机を叩いたのは櫻ちゃん。
「別に。そんなこと、ないよ……大丈夫、櫻ちゃん。鏡子ちゃんの言う通り、だね」
櫻ちゃんはなぜか納得いかなさそうな目で鏡子ちゃんをにらむ。
「私は、暇は感じても寂しいって思わなくなってしまったんだ。
多分深入りしないからかな。人を心から信用するのって怖くない?
友達って言葉で信用が成り立つのも変に思うけど自分だけ、相手のこと好きなのではないかと相手を信用出来なくなることも事実で自分でもどうなりたいのかわからなくなるというか……」
鏡子ちゃんが眉を寄せて補足したので、ぼくは言う。
「ま、周りに人がいてくれる環境なら大事にすることに越したことないよ。ねえ広田君って、どんな人?」
「あの人は……私の中で複雑で言葉にするのは難しいな」
とにかく、とても大事な人なんだろう。
「柚月くんは私のものだからね!!」
櫻ちゃんが主張する。
ぼくはぼんやりしていた。
誰かのこと考えるのは疲れる。
だけど相手のことを好きで考えてしまう気持ちは嫌いじゃない。
自分が逆の立場でいろいろ考えて貰えるのは嬉しいから。
まあ、ヤンデレじゃなかったらなあ。
さっきの血まみれ手帳を思い出してしまった。
ぼくは他人にもっと興味が持ちたいし好きになりたいけれど、櫻ちゃんたちとの距離感は、ほんとうに難しい。
「柚月くん、気を悪くしたならごめんねっ!!
私はね! 人の気持ちはなかなか信用できないけど、セールスマンとか他人の言葉はやけに素直に信じてしまう性格なんだよ。他人だから信用して裏切られても大してダメージがないからかなぁ~」
櫻ちゃんの気持ちって普段はよく分からないけどこうやって話をきいていて分かることがある気がする。
「ふうん……そうなんだ、ぼくは、そうでもないな」
わいわいと話しながら、ふと、不思議な気がしてきた。
鏡子ちゃんもいるし、
櫻ちゃんには、友達が大勢いるのだ。
なんで、陰キャラに近いようなぼくなんかに、話しかけたのだろうか。
柚月君は、会ったときからずっといつも一人で物語を書いて机にいる、寂しい子だった。
一人ってつまらなくない?
私は不思議でもあったけれど、なぜかいつも彼から目が離せなかった。他人が知らない部分を自分が先に知ることができる気がして。
私はいつもそうだった。その子が人気になると離れて元の輪に戻ったり、別の輪を作ったりしていた。
寂しくて。
人気にならない相手が好きで。
彼が人気になれば、私にとっては用済みな、要らない存在となる。
けど、彼ならきっとそんな心配はない。
そう。私はそういう子。自分でもおかしい、気持ち悪いって思うけど、だけど、私は誰も近づかないものが欲しかった。
周りは、邪魔なのだ。
「鏡子はいいな。広田君との間って第三者が邪魔する隙が無さそうで
例えば、どちらかを自分のものにしようと考える奴が現れたとしても、相手にされないイメージ。嫉妬もしなさそう………」
相手を舐めきった思考。
知られたら絶対嫌われて私から離れていってしまう思考。
わかってる、わかってるよ。
そしたら、もう諦めて違う輪に行かなきゃならないんだってことを。
『負け』を認めたくない。
私は、結局大多数の一人ってこと、海のなかにいた、沢山の鰯の群れと同じ……
だけど、だけどあんなやつ誰も話しかけないじゃないの!!?
群れのなかの一匹の魚が、ようやく、安全な場所を得られた気がする。
私は、なぜだか柚月君と親しくならなくてはいけない気がした。
誰も話しかけない、自分を特別にしてくれる相手。
「柚月くんはぁ……、私しか知らない存在になるの……」
どんな手を使ってでも、ね。
・・・・・・・・・・・・・・
授業も宿題も終わったし帰ろう、と席を立つ。普段夜更かししているけれど、それが祟って最近日中はめちゃくちゃ眠い……
眠れるように、放課後はこうやって復習の時間をつくる。
毎日早く寝ようと心がけているのだがなかなか思い通りにいかない。
「夕飯は、なにか食べたいな。
三色そぼろ丼とか、ハンバーグ……あー、両方……」
コンビニのやつが好きだった。
僕の得意料理は……カレーだろうか。
これなら失敗すること絶対に無い。具材切って固形のカレー入れるのは手料理と言えるのかは謎だが。
寮なので、手料理、を作るこができない。
なぜかふとラインをもってないというと「おめえ何型だ!」
と僕に聞いてきた佐仲問を思い出した。
自分は血液型診断をがっつり信じてる人間ではなくて、面白いなーと思っている程度だけど……
彼はああいうのが好きみたいだ。
次に、僕が三色そぼろ丼が好きだと言ったとたんに作るように毎日せがんだ母親を思い出す。
「……」
なんだか、変な気分だった。寮の部屋は一人。
ああ、そうだ、そういえば今朝すれ違った、誰だっけ……
かわいい子だったな。
朝、同じ寮のなかで、佐仲問が相変わらずやかましかったので、苦笑していたときに会った……
そうだ、寮の名簿を見せてもらおう。
佐仲がいる階。同じフロアだ。
彼はインコ教のお嬢様と付き合ってるっぽいが、まっすぐ帰るだろうか。
個人的な意見だけれど、佐仲とお嬢様は絶対気が合うと思う。
なんて思いながら走っていたら、人とぶつかった。
「っ!?」
「ごめんなさいっ!」
目の前で謝っているのは……
「あ。今朝はどうも」
「うん。久し、ぶり?」
あの緑の犬をあげた彼。
不思議な間ができた。
えーっと、と場をもたせる術を考えていたら、ぐう、と彼の胃が収縮する音。
「あ。お腹すいてるの?」
彼は、かああ、と頬を赤くする。
「朝、あまり食べてなくて」
はい、と僕は弁当を鞄から出した。
アスパラとベーコンを一緒に調理したもの。
いわゆる赤ピーマン、パプリカの肉炒め。サラダにヨーグルトに柑橘系のフルーツ、そしておにぎりだ。
「うわ、すごい、良いんですか?」
「うん、育ち盛りなのに不健康なのは心配だから。健康って良いものだし、今を元気にいられるのはいいことだと思うよ」
「だけど!」
「今日は、ちょっと食べる暇がなかったんだよね、
お金はかかるけど、今日は僕はあとで買うし……平気!」
「すごい、ありがとうございますっ! お名前は……」
「僕? 永藍っていうんだ。えいあい、ね」
とても空腹だったのかがつがつと食べている彼を見ながら、僕が隣のクラスということや、佐仲の話をした。
「佐仲の、一番気持ち悪いのは、やっぱり「いるいる~」ってならないところかな」
「わかる、フィクション感がある……なんていうか」
「そもそもそういう人だというか、彼はしょうがいもあるし、当然な感じなんだけどね」
相手をネガティブにあげつらったり、微妙に的を得ていない感が「ん?となるのかもしれない。
「櫻ちゃんも……どんな人間なら正解なんだろう?」
ぼそり、と彼が呟く。
「櫻お嬢は、良い子?」
「仙人と付き合えばいいと、思います。勝手についてるだけです……」
「普段どんな話を?」
「カレーはあんまり好きな食べ物じゃないけど、スパイになった気分で炒めてる時は、本当に好い香りで滾るだとか。
いい香りで家族がみんな喜ぶとか」
「なにそれ」
気が合うのか、彼とはずいぶん話し込んでいた。昇降口へ向かうべく、二人で階段を降りていたそのとき。
ある『本』が、踊り場に放置されていた。
「パンチラ、アイドル、一夫3妻、妹の身体……」
彼が読み上げる。
真顔だ。
「今なら99円!
失敗率100%! ポンコツ手品に失敗した時に見えるパンチラ(&パンモロ)姿。
新人のジャスミン。
――人間やめますか、アイドルやりますか?
極道3人組が責任を取るために全身整形してまさかのアイドルデビュー。その後一夫多妻がオッケーな町で、借金に追われる小春には金持ちからハレ婚のお誘いが。しかし交通事故をきっかけに体が入れ替わってしまった。物静かで従順だった妹(身体は兄)は豹変し、「お兄ちゃんの身体は返さない」!!?TS(トランス・セクシャル
……うっわなにこれ!?
」
なんていうか、かなりカオスな本。
「読みます?」
スッ、と渡されて慌てて拒否する。いや、そんなに焦らなくていいんだけど。
「い、いらないいらないいらない」
そういえば、彼は。
櫻ちゃんを好いているとは言い切れない雰囲気だが。なぜ付き合っている風なのだろうか。
聞いてみたい気がしたが、なんとなくわかる気もする。
「ええと、あらすじ……宮尾嫌いを豪語する俺は、学校中の女子たちから嫌われている、クールでイケメンだけれど、なによりもお金を愛する銭ゲバ男子「闇の皇太子」。大人の男が苦手なのに、隣人のエロ漫画家・大友のもとでアルバイトをすることになってしまう。そこで幼馴染みのポジティブ貧乏少女、星宮の秘密を知った――いくらパンツをはいても“弾け飛んじゃう妖狐(いぬ)のおまわりさん”っていう秘密を――
」
読むの!?
設定盛りだくさんだね!?
安く済ませたわね!!
怒声が響いた。
何事かと僕らは慌てて本を投げ捨てて立ち上がる。
「櫻ちゃんの声だ……」
「みたいだね」
「私の柚月君を釣って……あんな安いもので!!!安く済ませていいと思ってるの?」
振り向くと櫻ちゃんが仁王立ちしていた。
「柚月君が手には入るなら安いものだと思って買ってわざと置いたんでしょ!!」
「僕は、安いものだなんて考えないし、第一……」
櫻ちゃんはとまらない。変な盲信までしている様子だ。
「安いと思ったの!?」
だめだ。
会話にならない。
「柚月君は、櫻を愛してるの!!四六時中櫻のこと考えて、櫻にときめいてるんだから! 告白されて、結ばれたの!」
彼をちらりと見ると複雑な感じで目をそらす。
彼女は彼を恋愛脳に仕立てあげたいのだろうか。
「あ、会いたくて震える?」
僕が聞くと、櫻嬢は、当たり前でしょ!?
と言った。
「震えまくっているわよ!! そりゃもうファミリー銭湯のマッサージ機の強くらいは震えてるわ! 見てわからないの!」
「それ痙攣じゃない?」
「ふん、恋のすごさがわからないなんて! あんた清純そうな顔してるけどほんとはめちゃくちゃ恋人欲しいでしょ? モテない自分をな・ぐ・さ・め・て・る・んですっっ! つって~?
そーれをあんな安物本で、誘惑して!」
この平常心が、な・ぐ・さ・め・てるように見える辺り、櫻ちゃんの妄想爆発ぶりがうかがえた。
「櫻ちゃんは、どこが好きなの?」
「私を救ってくれたヒーローなの……」
うっとりと頬に手を当てる櫻ちゃん。
え? みたいな顔をする柚月君。
じゃあヒーローに迷惑かけんなよ とでも言いたげだ。
「そ、そう。じゃあ僕はこれで」
立ち去ろうとした僕の首元を、櫻嬢が掴む。
「柚月君を誘惑してただで済むわけないでしょ?」
いくらで済むんだ。
「7つ集めてごはんにのせればいいの?」
混乱した僕は思わず口に出していた。
「なにとぼけてんのよ? 土下座でしょう」
「友達くらい、居ても良いと思うけどな」
ぼそっと呟いたのが耳に入ったらしい。櫻ちゃんの目付きが変わった。
「柚月君に話しかけるやつなんかみんな敵! 柚月君には誰も近寄ってこられないの! しょうがないじゃない、私が守ってあげないと柚月君が、雌豚どもに誘惑されちゃうから!
だからっ、私が柚月君のモノってみんなに教えてるの」
櫻ちゃんには、柚月君の学校生活や他人と会話することを妨げる権利があるんだろうか……?
「今日だって、これ、くれたのよ」
ウフフ、と櫻ちゃんが僕があげた緑犬のキーホルダーを手元で揺らす。
い、いえない……
「私に、って~」
「よかったですね」
僕が目を逸らして居ると隣から彼が囁く。
「平気平気、個人で包装開けたみたいな感じで清潔だし」
そんな問題だろうか?
「ねえねえ、なんの話」
櫻ちゃんがじろりと僕だけを器用に睨み付ける。
「今日は、僕がでしゃばっちゃってごめんなさい」
「名前教えて」
「永藍、です」
「どんな字書くの? 機械みたいだね」
字の説明をすると櫻ちゃんはやけにいい笑顔を見せた。
「ありがとう」
――なぜ嫉妬で狂わない?
初めて会った人であれ、好きな人、に言葉を交わした相手なんて名前聞いていやだろうに。
……何か工作があるのか?
いくら個人で渡したとはいえ、緑の犬のキーホルダーを未だに柚月君からもらったと信じてなんのためらいもなく使ってる櫻ちゃんが。
彼が他者と平然と話しても嫉妬で狂わないのはなんだか不自然だった。名前を聞いた途端に向けたあの笑みは、なんだ?呆然としてたら、目の前で柚月君が吹っ飛んだ。
「……え」
「酷い! 嘘つき! 私愛してるのに! 柚月君はあんなやつがいいの!? 密会するつもり? ねぇねぇ私だけの柚月君でしょ!?
私だけなのおおおおっ!」
横を見たらすごい形相で睨む櫻嬢が居て、柚月君を投げ飛ばしていた。すぐに近くまで歩いていく。
「ごめんね、いたかった? ううん……私が悪いの。束縛したいわけじゃないの……私、だって、柚月君も友達ほしいよね? 私以外と話したからって、私」
必死になっている。
まさか、嫌われたくないから周りとの会話も許容することにした結果が今なのか……?
「いや、どうだろ……」
櫻嬢の手が力んでいる。 よく見たら安物本と呼んだ本の表紙毛糸で出来たマフラーを付けた知らない女性が映ってる
が、なんか執拗に握られてるのを僕は忘れられなかった。
「でも私はっ! 一番に愛してほしいの!」
櫻嬢……。
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