017 流石に泊まるのは勘弁したい



「えぇ~? 帰っちゃうのぉ~?」


 そんな有倉の叫びが放たれたのは、一緒に食器を洗っている時だった。


「もう夜も遅いし、ウチに泊まっていけばいいじゃん!」

「いや、着替えとかないし」

「下着ならすぐそこにコンビニあるよ! 私も一緒に行くから!」

「いやいや!」


 そういう問題じゃないんだよな。ていうか今の発言、マジで色々と思うところあるんだけど、そこに注目すると話がブレること間違いないため、とりあえず百歩譲ってスルーさせてもらう。


「明日の朝、出さなきゃなんないゴミとかあるし、やっぱり帰らないと」

「むぅ!」

「また遊びに来るから」


 有倉のムスッとした拗ね顔も、なんだかすっかり見慣れてしまった。職場の人たちがこの姿を見たら、果たしてどう思うんだろうな? 意外と普通に知られている可能性もワンチャンありそうだ。

 いや、でも有倉って、スイッチの切り替えはしっかりするタイプだからな。今日の後輩ちゃんの様子を思い出してみるが――知らない可能性は高いか。

 まぁ別に俺は、どっちでも構わないんだけど。


「……少しは察してくれたっていいじゃん」


 食器を洗い終え、手を拭いた有倉がジッと俺を見つめてくる。


「片瀬くんがいない夜なんて、私的には寂しい以外の何物でもないんだよ?」

「有倉……」


 上目遣いでウルウルとさせてくるその表情に、どことなく吸い込まれそうになる。これがそこらへん男なら、自然とそうなってしまうだろう。

 しかし――俺にその手は通じない。

 それを証明するかの如く、すぐさまスッと目を細くしながら見下ろす。


「お前はただ、俺の作った朝飯が恋しいだけだろ」

「……ソンナコトナイヨー」


 わっかりやすい反応をしてくるもんだな。ツッコミ待ちかと言わんばかりに視線を逸らしてくるし。せめてちゃんと目を見なさい目を。


「はぁ……しゃーない」


 俺は手早く手を拭き、冷蔵庫の中身を改めて確認させてもらう。


「明日の朝飯の準備だけしていってやるよ」

「――ホント!?」

「こんなところでウソ言ってどうする」

「わーい♪ ありがとー♪」


 どうやら心の底から嬉しいらしく、有倉が俺に思いっきり抱き着いてきた。

 これが俺で良かったね。他の男なら絶対に勘違いしていたよ? もう何回同じことを思ったか、正直分からなくなってきているけどね。


 ――それはともかくとして、チャッチャと用意しないとな。


 サンドイッチでも作ろうかと思ったが、その選択肢はすぐに除外した。

 豆知識になるが、サンドイッチ自体は決して悪くない。作ってそのまま放置すると確実にパサパサになるが、ラップでピチッとくるんで冷蔵庫に入れておけば、意外としっとりして美味しくなるのだ。

 まぁ、トマトとかキュウリとか、水分の多い野菜は不向きだけどな。ずっと挟んでおくとパンが水を吸い過ぎてベチャッとなっちまうし。

 要するに挟む具材が限られるというのが、大きな欠点なのだ。

 それ以前に、そもそもサンドイッチにするためのパンがないという状態だから、作ろうにも作れないというのが正直なところである。

 あ、そういえば――


「確か……米があるって言ってたよな?」

「うん。片瀬くんが食べる用にね」

「パン派ってだけで、どうしても食べられないわけでもないと?」

「まぁね」

「だったらいけそうかな」


 そう呟きながら、俺は炊飯器を確認する。これまた質の良いものでございますね。買ったっきり全然使っていない新品の状態だからこそ、それがよく分かる。

 米はコシヒカリか。ちゃんと炊けば美味そうだ。


「……もしかしてご飯炊くの?」

「あぁ。おにぎりにしようと思ってな」


 米一合分をザルにあけ、水道水でザザッと洗う。最近は精米技術もしっかりしているおかげで、無洗米でなくても軽く洗うだけで大丈夫なのだ。

 そしてそれを炊飯器に移して水を入れる。

 この時、目盛りの一合分よりも、わざと少し少なめにするのがポイントだ。おにぎりの場合は固めに炊いたほうが美味しく作れるからな。

 早炊きにセットして炊飯開始!

 これなら三十分と経たずに米が炊ける。一合分だからそんなものだ。


「ラップにくるんで冷蔵庫に入れておくから、朝食べるときに電子レンジでチンしてくれればいい」

「それで美味しくなるんだ?」

「意外にな」


 無論、作ってすぐ食べるのが一番美味いことに変わりはないけどな。

 サンドイッチに比べれば、作り置きがしやすいことも確かだ。おにぎりなら温かいご飯に具材を包む以上、温めやすいからな。

 それに最近じゃ、ラップに包んだままサンドイッチみたいに作るパターンもあるみたいだしな。一時期ネットで話題になっていたものだ。俺はやったことないけど。


「具材はないから塩むすびになるが、インスタントの味噌汁とか付ければ十分だろ。そこらへんはコンビニとかでなんとかしてくれ」

「うん、全然いいよ♪」


 やれやれ。まさか後片付けが済んだ後に、急きょご飯を炊くことになるとはな。これぞまさに急展開ってことなんかね。

 と、ここで俺は一つ、大きな疑問が浮かんできた。


「……ていうかこれだったら、コンビニのおにぎりとかでも良かったんじゃ?」

「それは違うよ!」


 しかしその疑問は、有倉によって即座に否定されたのだった。

 ズイッと整った顔を近づけてくるというオマケ付きで。


「私は! 片瀬くんの作ったものが食べたいの! コンビニのじゃ意味ないの!!」

「あ、そうですか」

「うんっ! そうなんだよ!」


 傍から見れば、美人な顔を近づけられて羨ましい男だな、って感じだろう。しかし実際はそんな余裕はありません。ただただ勢いが凄くて戸惑うばかり――本当にそれしか感想がないのです。


「――そう言ってくれて光栄だと思っておくよ」

「うんうん♪」


 ひとまず答えは正しかったらしい。有倉が満足そうに頷いてくれた。

 全く、女というのはよく分からん生き物と言われているが、今になってこういうことかという気分になってきたよ。


 そういえば、もう一つ気になっていることがあった。


 流れ的に余計である可能性は極めて高いが、それでも聞いておかねばなるまい。割と大事なことだからな。

 社会においても『ホウ・レン・ソウ』は重要と言われている。

 些細だと思われているものほど、真っ先にしたほうがいいのはよくある話だ。

 というわけで――


「念のために聞くけど、有倉は電子レンジって使えるんだよな?」

「失礼ね! 私だってそれくらい使えるもん!」


 うん。やっぱり余計だったかもしれない。疑問が晴れて良かったけど。



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