018 帰り道での考え事
『次は、白金台です――』
電車が目黒駅を発車した。終電近い時間で人はいっぱいいたが、運良くすぐに座ることができた。
このまま終点まで快適に乗って行けるのは、実にありがたいものである。
――それはそうと、今日は本当に盛りだくさんな一日だったなぁ。
実際は夕方から夜にかけての出来事でしかなかったというのに、なんか朝から晩まで動いたような気分だよ。有倉の家で晩飯を作って一緒に食べて帰る――それだけのはずだったんだがな。
まさかアイツの家がタワマンだったとは……予想外だった。
正直、ああいうお高い部屋に足を踏み入れる機会は、一度もないと思っていた。
有体に言えば『金持ちが住むマンション』というイメージしかなく、自分ではまず手の届かない領域と言わざるを得ない。
有倉の部屋に上がらせてもらっても、恐らく緊張しっぱなしだと思っていた。なんだったら、一刻も早くこんなところを出たいとぼやきまくる――そんなみっともない姿をさらすのが関の山だろうと。
そんなタワマンの部屋で、まさかいきなり大掃除を始めてしまうとはな。
今にして思えば、別にスルーしても良かった。俺もそこまで綺麗好きっていうわけでもないし、晩飯を作って食べるだけなら問題はなかった。
けれど俺は見過ごせなかった。
気がついたら『掃除する』と宣言して、体が動いてしまっていたのだ。何故だと問いかけられても、恐らく俺は答えられないだろう。
しかしそのおかげで、タワマンに対する苦手意識が吹き飛んだのも確かだ。
その後は普通にアイツの部屋のキッチンで、いつもどおりのハンバーグを作っていたからな。よその家のキッチンだから使い慣れておらず、多少なり手間取ったがその程度でしかない。
二人で食べていた時なんて、本当にいつもの週末の時間って感じだった。
それこそ本当に、何の疑問も抱いていなかった。
散らかり放題の部屋を目の当たりにして、一気にモヤモヤが抜け落ちたからか。
それとも――
『お客様にご案内いたします。ただいま車両の安全確認を行っております』
そんな車内放送が聞こえて我に返る。どうやら随分と物思いに耽っていたようだ。電車は少し遅れるようだが、急ぎでもなんでもないので何の問題もない。早く帰りたいって人も少なからずいそうではあるけどな。
帰るって言えば――有倉のヤツ、俺が帰るのをかなり渋ってたな。
朝飯のおにぎりを作り置きしてやったにもかかわらず、いざ俺が帰ろうとすると、またしてもあれこれ理由を付けて泊まっていかないかと言い出してきたのだ。
また遊びに来るからと、完全に子供に対するなだめ方をしたが、有倉はしょんぼりしながらも頷いた。
納得してくれたのはなによりだが、有倉は本当にどうしたのだろうか?
ここ数週間でアイツの子供っぽさは把握していたが、それにしては今回のアイツは何かがおかしい気がする。
幼児退行――は少し言い過ぎか。
いやでも、割とそれに近い感じはしていた。もしアイツに言えば、全力で怒りながら否定してくるだろうけど。
――まぁ俺は俺で、少し絆されそうにはなっていたんだがな。
正直、有倉の甘えてくる姿に、ほんの少しだけ飲み込まれそうになっていた。それでも帰らなくてはいけない事情もあったため、なんとか歩き出した。
週に一度のゴミ出しは、やはり逃したくないからな。
だがそれでも、やりようはあったんじゃないかと少し思ってしまう。
思い浮かぶのは有倉の表情。コロコロ変わりながらも明るく笑ってきて、あんな寂しそうな顔までしてくる。
なんとか一緒にいてやれないものだろうか?
あんな豪華な部屋に住む気はないから、やはり俺のところか。通勤時間がどうしても長めになるが、始発で座っていけるのは良いだろう。家から駅までは遠いが、車を買えば十分に解消はできそうだ。
そうなった場合、運転するのは俺の役目になってくる。
だとしたら、やはり教習所へ行って、ペーパードライバー講習を受けないと――
『大変お待たせいたしました。まもなく発車いたします』
ハッと我に返った。思わず周囲をキョロキョロと見渡してしまう。開いていたドアも閉まり、電車が再び動き出していた。
しばらくの間、目の前の床をジッと見つめていた。
――俺は今、何を考えていた?
少しばかりどうかしているのかもしれん。別に俺と有倉は、そこまで色々と考えるような間柄でもないだろうに。
全く、どこぞのラブコメ系主人公じゃあるまいしな。
有倉も仕事で疲れていたのだろう。立場を得ているからこその大変さは、それはもう凄まじいと聞くからな。おまけに例の後輩ちゃんの存在もまた、ストレスの種になっていそうだ。
「次に会ったときは、もうちょっと手の込んだものを作ってやるか……」
終点の浦和美園に近づくにつれて、車内がどんどん空いてゆく。そんな中俺は、無意識にそんなことをひっそりと呟いていたのだった。
「アイツ、他に好きなものあったっけかな? 今度聞いてみよう」
次の週末でも、子供のようにはしゃぐ姿を出してやりたい――そんなことを考える時間は、正直かなり楽しいものがあった。
結局俺は家に帰るまで、ずっとそのことを色々と考えていたのだった。
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