016 何もなかった高校時代



「うんまぁ~い♪」


 もっしゃもっしゃと口を動かす有倉。その表情はとても幸せそうだった。


「このハンバーグ、メッチャ美味しいんだけど!」

「そうか。それは良かった」


 本当に作ってやった甲斐があったというものだねぇ。数週間前から、この光景を見るのがひそかな楽しみになっている律くんだったりします。


「――にしても、今日はいろんなことがあったもんだな」


 ふと俺はこの数時間を振り返っていた。


「色々と予想外の連続で、濃ゆい夜だったよ」

「ホントだよねぇ。まさか片瀬くんに後輩のことを話す日が来るなんて……」

「いや、それは些細なもんだから。七割以上はお前さんだから」

「えーっ!?」


 そこで『心外だ!』と言わんばかりの声を出されてもなぁ。実際そのとおりとしか言いようがないと思うんだがね?


「時間配分で言えば、この部屋の大掃除と晩飯作りの割合のほうが大きいだろ」

「それは、そうかもだけど……むぅ」


 有倉が押し黙ってしまった。ついでに言えば、さっきもクローゼットの中身を軽くぶちまけておいてそのままになっているが、それについてはまだ触れていない。

 何だったら触れるつもりもないがな。

 流石にそこまで面倒見るほど、俺もお人好しなんかじゃないし。


「……ホント、私も想像していなかったよ」


 深いため息をつきながら有倉が言う。


「片瀬くんと出会った時なんて、こんなふうになるなんて思わなかった」

「あぁ、それは俺もメッチャ思ってる」

「高校一年の時かぁ……同じクラスで席は近かったけど……」

「それだけだな。最初の一学期なんて、喋ったことすらなかった」

「アハハッ、そうだったね」


 そういう意味では、まともに出会っていたとは言えなかったかもしれないな。有倉と二人でまともに話したタイミングというのは、確か――


「文化祭……だったな」

「うん。実行委員の仕事だったね」


 俺も段々と思い出してきた。割と濃ゆい経験だったはずなのに、こうして言われるまで忘れていた。

 ま、人の記憶なんてそんなもんなのかもしれないがな。


「本来一緒にやる子が、トラブって参加できなくなっちゃって……」

「そうそう。それで俺が代理で参加したんだ」

「何で片瀬くんだったんだっけ?」

「たまたまその時、何も作業がないのが俺だけだったんだよ。どうせその一回だけだからって、殆ど無理やりな感じだった」

「あー、そうだっけねぇ」


 まさに偶然に偶然が重なった結果だと言えるだろう。もっとも、あまり嬉しくない偶然ではあったけどな。


「しかも翌日には、俺が本来受け持つはずだったクラスの仕事を奪われてたし」

「そうそう! トラブった子が戻ってきて、片瀬くんの代わりに作業を引き受けてくれたとか言ってたよねぇ」

「迷惑かけた恩を返すためだとかなんとか言ってたけど……絶対そうじゃねぇよな」

「間違いなく実行委員の仕事を、片瀬くんに押し付けるためだったね」


 これも後になって知ったことだが、ソイツは最初、実行委員になれたことを心から喜んでいたらしい。大方、有倉という可愛い女子と一緒だったからだろう。

 しかし実際に参加してみた実行委員の仕事は、思いのほかキツいものだった。

 そこで堂々と逃げるために、一計を案じたというわけだ。俺に白羽の矢が立ったのは本当に偶然であり、クラスの中心的人物でなければ誰でも良かった――明言こそされてはいないが、恐らくそれで正解だと思う。


「それで俺は、晴れて最後まで実行委員として働く羽目になったってわけだ」

「なんだかんだで真面目にやってたよね」

「やらざるを得なかったんだよ」


 改めて思い出し、俺は大きなため息をつく。


「アイツがバックレたってこと、実行委員側が速攻で気付いてたからな。おかげで俺は先輩たちから見張られ、なんとも窮屈な日々を過ごしたもんだよ」

「でも片瀬くん、先輩たちから褒められてたじゃん」

「……まぁな」


 正直、それも予想外のことであり、俺は改めて苦笑する。


「まさかPCで書類をカタカタって打ち込んだだけで、あんなに評価されるとは思わなかったよ」

「ん、アレは私もビックリした」

「けどまぁそのおかげで、実行委員でも色々と仕事がもらえたもんだったがな」

「途中参加であんなに頼りにされる姿は珍しいって、先生も言ってたよね」


 ちなみにこれは余談になるが――後にも先にも俺が実行委員的な仕事をしたのは、これっきりである。

 二年生と三年生の時は、実行委員を率先して引き受けたヤツがいたのだ。

 一年の時の不安はあったが、ソイツは最後までやり切った。大学受験を推薦で受けるために内申点を稼ぎたかったらしいが――まぁ、俺からすれば面倒事から免れることができたため、正直どうでも良かった。

 おかげで残り二年間は、クラスの出し物のほうに参加していた。裏方で買い出しとかのサポートに徹する形でな。

 ちなみに俺と有倉も、同じ出し物に参加していたのだが、特に何もなかった。

 そう、本当にこれと言って何も――


「でも私たち、見事にクラスメートのままだったよねぇ」


 有倉も同じことを考えていたらしく、頬杖を突きながら苦笑する。


「三年間も同じクラスで、何かと一緒に作業することもあったっていうのにさ」

「全くだな」

「これがマンガとかだったら、恋愛的な関係に発展して然るべきだよ?」

「見事にそういうのはなかったな」

「うん。ビックリするくらい何もなかったよね」


 思わず二人で笑ってしまうのも無理はあるまい。青春真っただ中であるはずの場面だというのに、お見事と言わんばかりにサラリと通り過ぎてしまったのだから。

 まぁ、だからこそ今の俺たちがいるとも言えるんだけどな。

 別に何の自慢にもなりはしないが。


「今の出来事だけ切り取れば、普通に私たちって主人公とヒロインなのに」

「現実はそんなもんだってことじゃないか?」

「確かにねぇ。私もよく話す男の子はいたけど、あくまでクラスメートってだけで、それ以上の関係になったこともないし」

「……デートとかは?」

「何回か誘われたけど、普通に全部断ってたね」

「どうして?」

「面倒だったから」

「ほぉ」


 それはそれは――なんとも素っ気ない答えを聞いて、俺は笑ってしまった。


「有倉らしいな」

「あ、それ絶対イジってるでしょー!」

「してないしてない」


 何にもなく青春が過ぎてしまった俺たちが、こうして顔を合わせて雑談をする。

 これはこれで、なかなかにレアなことではないかと――残りのハンバーグを頬張りながら俺は思っていた。


「今更かもしれんけどさ――」


 だからだろうか。俺は自然とこんなことを口走っていた。


「飯を食べながら誰かとこんなに喋るのって、有倉が初めてかもしれんわ」

「……私だけ?」

「親とかを除けばな」

「ふぅん」


 ただ相槌を打つだけの反応となった。変なことを言ったかと思ったが、別にそうでもなかったらしい。

 と、思っていたのだが――


「その……私も正直なことを言えば、片瀬くんと同じかも♪」


 時間差で有倉も、どこか恥ずかしそうにそんなことを言ってきたのだった。



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