011 厄介な後輩



「さっきの子はね……私の直属の後輩なの」


 近くの川沿いへ移動し、歩行者専用の路地を少し入った。そこで二人して真っ暗な川を見つめながら、有倉が切り出した。


「新人の頃から『誰かに仕事を押し付ける』常習犯でね。愛嬌だけはいいから、他の上司たちからの受けは凄くいいのよ」

「まさかとは思うけど、その後輩ちゃんに説教したら逆に責められる的な?」

「ピンポーン」


 感情の込められていない正解音が、有倉の口から解き放たれた。


「私も上司として、あの子を注意しなきゃいけないこともたくさんあった。けれど、その度にパワハラだのモラハラだの言われて……そーゆー時に限って、上はあの子の本性を理解していないし……もう堪ったもんじゃないよ」

「ご愁傷様、としか言えないな」

「ホントそう思うわ」


 俺もなんとか言葉を絞り出したも同然だった。有倉が苦笑してくれたのは、本当に幸いだったと思う。

 そして有倉はため息とともに、話を続ける。


「新人の頃なら、まだそれでも理解できないわけじゃなかった。けれどそれも二年目を過ぎれば話は別なんだよね」

「ちなみに、その後輩ちゃんの年数は?」

「三年」

「……新人とっくに過ぎてるどころじゃねーじゃん」

「そうね。だから今は『若手』という言葉を駆使している感じよ」

「あらまぁ」


 なんとなくその姿が想像できてしまうから怖いもんだ。

 私は若手なので、まだ難しいんですよぉ~……みたいなことを言って、男の社員にすり寄る姿が浮かんでくる。

 ついでに言えば――


「そういうのに限って、同じ女に対しては容赦なかったりするんだよな」

「えぇ。私相手がまさにそれよ」


 やっぱりな。今の話を聞いていて、なんとなく俺もそう思ったわ。


「ちなみにさっき、あの子が私になんて言ってたと思う?」

「さぁ?」

「行き遅れ、ですって」

「…………」


 もはや言葉も出せなかった。ハッキリと物事を言う子だ――なんて感想じゃ済まされないってことくらい、俺でも分かるぞ?


「それなのに定時退勤する私が気に入らなかったみたいでね。わざわざ追いかけて、人が見ている前で堂々と文句を付けてきたのよ」

「後輩がこんなに困っているのに、センパイはさっさと帰っちゃうんですかー、みたいな感じで?」

「まさにそれ言われたわよ。もしかして聞いてた?」

「いや。聞こえはしなかったけど……なんとなくそんな気がしてな」


 ていうか、そんなヤバい子が本当にいるんだな。動画サイトの恋愛マンガでしかない話だと思っていたぞ? ここまで聞いた限りではその後輩ちゃん、思いっきりそういうストーリーに出てくるお邪魔系キャラそのものだし。


「にしても酷いもんだな」


 だからこそだろうか――無意識に率直な感想が漏れ出てしまったのはさ。


「人に仕事を押し付けておいて、行き遅れはないだろうに」

「……信じてくれるの?」


 やや自信なさげな問いかけに振り向いてみると、それをよく表している表情を有倉が浮かべていた。


「ここまで話しておいてなんだけど、私がウソを言っている可能性もあるんだよ?」

「まぁ、確かに確証自体はどこにもないもんな」

「だったら……」

「でも有倉は、そういうタイプの人間じゃないだろ?」


 再びきょとんとする同級生に、俺は思わず苦笑しながら言ってやる。


「いつからお前のこと知ってると思ってるんだよ? 高校一年の時からだぞ? 大学の時も全然変わってないし、社会人になっても大概同じだって、ここ最近でハッキリしている。訳もなく人を貶すことはしない……お前はそういう人間だよ」

「え、えっと……」

「ついでに言わせてもらえば――」


 どうやら俺も、少しばかり苛立ちを覚えていたらしい。ここでハッキリと言っておかねば気が済まないと、そう思っていた。


「あの後輩ちゃんがお前を見上げている表情……嫌な感じしかしなかった。あざといことをしてくると聞いて、むしろすぐさま納得しちまったほどだよ」

「……そんなにイヤ?」

「あぁ。もしあの女に言い寄られても、すぐに手を振り払ってやる自信がある」

「私は?」

「お前は――」


 無意識に何かを答えようとした。しかしそれが喉元に引っ掛かった。

 一瞬――本当に一瞬だけ、脳内で迷いが生じていた。しかし俺はすぐさまそれを振り払いつつ、しっかりと深いため息をつく。


「本当に嫌だったら、こうしてわざわざ出てきて、話聞くようなことはしないよ。ちなみにこれ、社交辞令じゃないからな?」

「――ありがとっ♪」


 ポフッと柔らかい衝撃が腕に走った。有倉が腕に抱き着いてきたのだ。

 ちなみにその感触は冗談抜きで柔らかく、ほのかな温もりと良い匂いがふんわりと漂ってくる。

 それでいて俺は、本当に軽く驚いただけだった。

 何が起こったのか理解した瞬間、スッと頭の中が冷えたのだった。

 果たしてそれがどういう意味なのか――それを今の俺が理解するには、いささか何かが足りないようである。

 そんな俺の感情などお構いなしと言わんばかりに、有倉が笑いかけてくる。


「やっぱり持つべきは腐れ縁、ってことなのかな?」

「知るかよ。それより話はもういいのか?」

「うん。もう十分スッキリした♪」

「そりゃなにより」


 とりあえず落ち着いたということで良さそうな感じだ。なんとなくスマホに表示されている時計を見てみたんだが、もう集合してから一時間くらい経過していた。


「……ていうか、すっかり話し込んじまったな。いい加減に腹減ったぞ」

「そうね。じゃあそこのスーパーで買い物して行きましょ♪」


 有倉は軽快な足取りで、俺から離れつつ歩き出す。俺も苦笑しつつ、有倉の後ろについて歩き出した。


「ようやく私たち二人っきりのお楽しみが始まるわね♪」

「ははっ」

「あー、バカにしてるー!」

「してないって」

「むーっ!」


 どうやら有倉もすっかり元通りになったらしく、それ自体は安心した。けれど問題そのものは、何も解決していない――それも確かなんだよな。

 まぁ、どのみち俺は部外者に過ぎない。

 有倉にこれ以上、厄介事が発生しないことを祈ろう。俺にできるとしたら、それくらいだもんな。


 こういうのがフラグになったりするとかは――流石にないだろうし。



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