010 みぎわからの呼び出し



 あれから、数週間の時が過ぎた――


 学生時代からの知り合いでもある有倉からは、平日でも定期的にメッセージが送られてくるようになった。そして週末には、ほぼ確実に俺の家に泊まりに来る。しかも決まって浦和美園に向かう電車の中で連絡してくるため、選択の余地などないも同然だったりするのだ。

 あの怒涛とも言える週末の出来事は、決して夢などではなかったということがよく分かってしまう。

 これといって不都合な部分は何もないから、別にいいんだけどな。

 むしろ多少なり食費も浮くため、有倉が来てくれたほうがありがたいという気持ちも確かにある。なんかヒモみたいな言い方になるから、あまり考えたくはないが。


 けれどそれを抜きにしても、俺自身に嫌な気持ちが全くないのも確かだ。


 もう少し稼いで車を購入するのも良さそうだ。

 今までは買い物とかに便利そうだなぁ、という程度にしか思っていなかったけど、有倉が遊びに来た時、速い足の一つでもあったほうがいいだろう。それに車一台持っていれば、電車では行きにくい遠くへも遊びに行けるしな。

 そうなったら、ペーパードライバー向けの講習も通ったほうがいいだろう。

 大学の時に免許取って以来、碌に運転していないからな。ここ数年はサッパリもいいところだし。


『――まもなく、目黒です。出口は右側です』


 おっと、そろそろ着くみたいだな。

 帰宅ラッシュの時間帯だけに、電車の中も人が多くなっている。ホームに止まってから立ち上がり、そのまま人の流れに合わせて下車した。


 何故、俺が目黒に来たのか――有倉からメッセージで呼び出されたのだった。


 たまには私の家でゆっくりご飯食べようよ――そんなお誘いを受け、こうして俺は電車に乗り、はるばる都内に出てきた。ここ何年かは、仕事以外で都内に来ることも本当にないため、なんだか新鮮な気分であった。

 もっとも今回ばかりは、何故か妙にワクワクしている気持ちもあるんだが――まぁ別に大したことはないと思うので、とりあえず置いておこう。


 さてと――肝心の有倉さんはどこかいなっと。


 目黒駅の西口に来てくれと言われているが、ここもなかなかに人が多い。目の前が横断歩道だから尚更だな。

 現在の時刻は夕方の六時半。恐らく有倉はもう到着して――あ、いたいた。


「……ん?」


 本人はすぐに見つかったのだが、どうやら誰かと話しているようだ。

 見たところ女性であり、スーツを着用している。ふんわりとしたセミロングな栗色の髪の毛――あれはきっと染めてるな。雰囲気的に有倉の同僚で、先輩……という感じはあまりしないな。恐らく後輩だと思うが、実は逆だという可能性もワンチャンありそうな気がする。

 まぁ、それはともかくとして――


「どうすっかなぁ……」


 無意識に呟きながら様子を見る。

 このまま普通に声をかける選択肢もあるにはあるが、流石に無遠慮が過ぎるよな。明らかに話しているというのは分かるし。

 けれどそれにしては、なんとなく妙な雰囲気に見えなくもない。

 どうも有倉が相手さんに追い詰められているような――いや、正確に言えば迷惑そうにしている感じか? 相手さんは相手さんで、なんか意地悪そうな笑みを浮かべて下から覗き込むように近づいている。


 何を話しているのかは分からないが――どうにも嫌な感じだ。


 有倉が悪いことをしたというのであれば、確かに同情の余地はない。俺が庇うという選択肢もなくなるわけだが、どうも目の前の事態は、それとは全然違うような気がしてならない。

 無論、これはあくまで俺の直感だ。

 故に決めつけるのも良くないとは思っているんだが――


「有倉ー!」


 俺は話しかけることにした。何故かそうしたほうがいいような気がしたからだ。


「ごめーん。おまたせー!」

「……片瀬くんっ!!」


 有倉も俺の存在に気づいて駆け寄ってくる。心なしか嬉しそうであり、俺に抱き着く勢いであった。

 実際にそうなったら、有倉の持つ柔らかい感触でも味わうことができただろう。こんな馬鹿なことでも考えていなければ、この状況下で落ち着いていられる自信がない俺もどうかとは思うけどさ。


「遅いよぉー!」

「おっと」


 あ、ありのまま今起こったことを話すぜ! 有倉が俺の腕に抱き着いてきた! その柔らかいモノを惜しみなく俺に押し付ける形でだ!

 つまりそれは、俺の想像どおりの結果を得られたということになる。

 何を言っているか分からないと思うが、俺も何をされたのか――


 いや……まぁとにかく、そういうことだ。


 ネタを長々となってもウザいだけなのは目に見えているし……俺はこんなところで何を言っているのか。

 うん、そろそろ現実に戻れってことですよね、分かってますよ。


「ゴメンゴメン。思いのほか時間かかっちまった……それよりもいいのか?」


 どうにか俺は取り繕いつつ、視線をお相手さんに向けてみる。マジで驚いてますと言わんばかりに、あんぐりと口を開けているんだが、本当に大丈夫か?


「なんか話してたみたいだったけど……」

「大したことじゃないから大丈夫。それよりも早く行きましょ♪」


 そして有倉はそのまま、俺を引っ張って歩き出す。当然お相手さんは、その場に置いていく形だ。


「あっ! ちょ――有倉センパイっ!?」


 お相手さんが呼び止めようとする中、俺たちは横断歩道を渡る。人の流れも激しくなっていたためか、後ろから追いかけてくることはなかった。

 やがて駅が見えなくなるまで歩いたところで、ようやく落ち着いた。

 有倉も軽く息を切らせており、俺も後ろを振り返るが、特にそれらしい人物は見当たらなかった。


「――ゴメンね片瀬くん」


 息を整えながら有倉が謝罪してきた。


「急にあんなことしちゃって、ビックリしたでしょ?」

「それは別にいいけど……」


 俺のほうこそ話の邪魔をしてしまった――そう聞こうと思ったが、言葉が喉の奥から出てこようとしなかった。

 まるで『そうじゃないよね?』と、体中の細胞が訴えているかのようだった。


「さっきの人……もしかして厄介系だったりする?」

「っ!!」


 有倉が即座に目を見開いた。どうやら正解だと見て間違いないらしい。

 ここは勿体ぶらず、俺の率直な感想を告げるとしよう。


「話してるところを少し見てたら、直感的にそう思ったんだが……」

「うん。間違ってはない、ね」


 どうやら簡単に話せるようなことではなさそうだな。今もなんとか答えを絞り出したって感じだし。

 けれど、このまま明るく流すっていうのは、正直ちょっとできそうにない。

 有倉の下手に溜め込む姿も、見たくはないからだ。


「もし良かったら、話してみないか? 俺は立派な部外者だから、今日聞いたことはここだけの話にもできる。無理にとは言わんけど――」

「ううん」


 有倉は首を左右に振り、そして顔を上げてくる。


「ありがとう、片瀬くん……私もちょっと、誰かに話したかったみたい」


 その浮かべた笑みは、明らかに疲れている様子であった。



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