005 休日の朝ご飯談義



「くかぁ~……」


 目覚めた俺の視界に飛び込んできたのは、寝息を立てる有倉の姿だった。

 俺が貸してやった大きめのタオルケットにすっぽりとくるまり、まるでミノムシのような体勢でぐっすり眠っている。


 昨夜の出来事は夢ではなかった――それが俺の率直な感想だ。


 何を馬鹿なことを、と思われたかもしれない。しかしながら無理もない話だと、声を大にして言わせてほしい。

 学生時代の同級生……しかも女が、俺の家に泊まったんだぞ?

 それも普通に飯を食ってシャワーを浴びて、お互いに寝間着に着替えて畳で雑魚寝という形でだ。

 本当に何もなかった。むしろ何事もなさ過ぎたとすら言えるかもしれない。

 恋人同士でも何でもない俺たちの関係性だからこそ、おかしいだのあり得ないだのを通り越して、実に不思議な状況だという表現が正しいだろう。


 友達――と呼べるかどうかも、正直怪しいくらいだ。


 そこまで深い交流があったわけでもない。それこそ昨日の再会ですら、本当に何年ぶりという感じだった。

 まさかそこからこんな展開になってしまうなど、一体誰が想像しただろうか?

 有体に言って意味不明だ。

 混乱も一周通り越せば冷静になれる――それを俺は今、学習している。


「んにゅうぅ~」


 もぞもぞと動きながら、寝息なのか寝言なのかよく分からないうめき声を出す。そんな有倉を見て、俺は無意識に苦笑していた。


「……平和なもんだな」


 どうしてそんなコメントが出たのか、俺にも全く分からない。ただ自然と、そう思えてならなかった。

 恐らく俺は、色々と麻痺していたのだろう。

 そうじゃなければ、有倉が寝ているすぐ傍で、堂々と着替えたりはするまいさ。


 ――俺、今どえらいことをしたんじゃね?


 着替え終わった寝間着を洗濯籠に放り込んだところで、ようやくそう思った俺は、さぞかし間抜けな姿だっただろう。

 だからこそ気づかないフリをしてしまうのも、まんざら無理もない話だ。


 そんなしょーもない言い訳を心の中で呟きながら、俺は朝飯の準備に取り掛かる。


 トーストとコーヒー牛乳、そしてカットフルーツの盛り合わせという、実になんてことないメニューだ。パンに塗るバターやジャムも忘れない。

 学生時代は白飯に味噌汁と納豆を、それはもうガッツリ食べていたものだった。

 朝はずっとこれしかないと思っていたくらいだったのに、いつしかそれらも朝から食べられなくなってしまった。

 年齢によるものなのか、それとも気持ち的な問題か。

 正直そこらへんは『よく分からない』としか言いようがないのが事実である。


「……あー、あさごはんできてるー」


 間延びした声が聞こえてくる。有倉がタオルケットにくるまったまま、ぼんやりとした顔で起き上がっていた。

 恐らくコーヒーの香ばしい匂いにつられたのだろう。


「おはようさん。まずは顔でも洗ってきな」

「んー、あらってくるー」


 のっそりと起き上がり、フラフラと洗面所に向かってゆく。完全なるボサボサ頭な無防備さは、完膚なきまでにリラックスしていることがよく分かる。

 ここが自分の家じゃないということ、ちゃんと分かっているんだろうかね?

 目を覚まして戻ってきてからも反応は変わらず、寝間着のまま食卓の席にポスッと座り込んでしまった。

 とりあえず気にしないでおくことに決め、俺も向かいに座る。

 そして二人で一緒に手を合わせた。


「「いただきます」」


 特に示し合わせたわけでもないのだが、当たり前のように声が重なった。互いにそれを気にすることもなく、黙々とトーストやフルーツを食べ進める。


「はぁ~、なんか落ち着くわぁ」


 バターとイチゴジャムを塗ったトーストをコーヒー牛乳で流し込んだ有倉は、満足そうにため息をついた。


「こんなちゃんとした朝ご飯は久しぶりだよー♪」

「ん? 普段何食べてんの?」

「朝は眠いから、大体食べないね」


 その瞬間、俺は顔をしかめた。それほどまでに聞き捨てならない内容だったのだ。


「そんなんじゃ体がもたないだろう? 朝飯くらいはちゃんと食べなさい」

「全くってわけじゃないよ。行きがけにコンビニでスムージー買って、始業前に飲むくらいはしてるって」

「それは食事とは言わない」

「……片瀬くん、やっぱり母親っぽいし! 朝からお説教は嫌なんだけどー!」

「言われたくなけりゃ、普段からちゃんとしなさいっての」

「むーっ!」


 悪いが今回ばかりは譲れんぞ? そうやってむくれても無駄ですからね。


「そーゆー片瀬くんこそ、朝ご飯ちゃんと食べるわけ?」

「あぁ。どんなに遅く起きても、朝だけはしっかり食べてるぞ」


 反撃を試みたつもりなのだろうが、そうは問屋が卸しませんってな。これでも食事に関しては、何かとちゃんとしているつもりなんだよ。


「まぁ仕事が忙しい時は、たまに昼飯食べなかったりはするけどな」

「あ、私もだわ」


 サラッと言ってのける有倉。私もとは言っているが、明らかにその中身は大きく違う気はしている。

 そしてそんな俺の勘は、どうやら正しかったようであった。


「仕事が忙しいと食べる時間も惜しいし、結果的に食べないケースが多いねぇ」

「……つまり晩飯しか食わないと?」

「えっと……」


 気まずそうに視線を逸らす有倉。ここでの言い逃れは許しませんよ?


「ここ最近はその、はい……そんな感じです」

「はぁ~」


 もはや深いため息しか出てこないレベルだな。だが昔馴染みとして、ここはちゃんと言ってやらねばなるまい。


「それは流石になんとかしたほうがいいぞ。いくらなんでも健康に悪い」

「そう言われても……」

「別に三食取れとは言わんよ。ただせめて朝飯はしっかり食え。そして夕飯をできる限り軽くしろ。これを続けるだけでもかなり変わる」

「……まるで見てきたような言い方だね?」

「本人で立証済みだ」

「あ、そう」


 これは紛れもない事実である。会社を辞める前の俺は、言ってしまえば不健康の塊そのものだったからな。

 よくもまぁ、悪い病気にならなかったもんだよ。


「でも、うん……ありがとう」


 有倉が意を決したように頷いてくる。


「流石に片瀬くんの言うとおりだと思うし、ちょっと頑張ってみる」

「あぁ。それがいい」


 俺も自然と笑みが零れる。少しでも分かってもらえたみたいでなによりだ。言ってやったかいがあったってもんだな。


「まさか片瀬くんにお説教される日が来るなんてね……ホント予想外だよ」

「俺もだ」


 そもそもこの状況自体が、予想外の塊でもあるんだがな。まぁ、もはや気にしても仕方ないんだろうが。


「ところで、話は変わるけど――」


 ようやく落ち着いたと思ったその時、有倉が唐突に切り出してきた。


「片付け終わったら一緒に遊びに行こうよ。昨日のショッピングモールとかさ」

「……へっ?」


 あまりの予想外な提案に、俺は思わず間抜けな声が出てしまった。



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