004 有倉みぎわという女



 有倉みぎわという女は、とても不思議な存在である。


 こうして改めてその実態を見ていると、何故かそう思えてならないのだ。

 高校時代から可愛い部類には入っていたが、大人になった今では、普通に美人という言葉がよく似合う。

 スタイルが抜群なのも、高いポイントだと言えるだろう。

 特に胸だ。

 ブラウス越しでも一目見ただけでよく分かるほど、その二つの塊はしっかりとした盛り上がりを披露している。今ではもうメロンくらいはあるか――少なくとも大学を卒業してから、また更に大きくなっているようだ。


 それなのに男の影を全く感じないから、尚のこと不思議なのだ。


 少なくとも高校や大学では、有倉に『彼氏』という存在はいなかったはずだ。俺が知らないだけという可能性も否定はできないが、もしそうなら大学の時、俺の部屋に一人で定期的に遊びに来たりはしないってもんだろうよ。

 え? それで何もなかったのかって?

 至極当たり前のように、何事もなく知り合いのまま今に至りますが、何か?


「――あぁーっ! 片瀬くんってば、私のおっぱい見てるー!!」


 ぼんやりとしていた意識が、有倉の声によって強制的に覚醒させられた。両手で胸を隠しているポーズを見せてきているが、それだとより大きな塊を強調させているようにしか見えないんだがね。


「見てないフリして誤魔化そうとしてもムダだよ! 女の子はそーゆーの普通に分かるんだから!」

「……そうなのか?」

「そうだよ。あまり女の子をナメたらあかんですよってね!」

「あぁ、うん。そりゃすんませんでした」

「まったくもー!」


 プンプンという擬音が聞こえてくるかのように、分かりやすく怒って見せる有倉。しかしその表情も数秒のこと――


「ところでさぁ」


 有倉はさっさと話を切り替えてくるのだった。まぁこっちとしては、普通にありがたい限りではあるが。


「片瀬くんって、彼女さんいないの?」

「……いるわけないだろ」


 とかなんとか思っていたら、これまた変なことを聞いてくるもんですね。おかげで深いため息までついてしまったぞ。


「俺、在宅だよ? 基本的にここで『ぼっち』極めてんだけど」

「今日みたいに出版社に出向くことだってあるでしょ?」

「それはそうなんだが、女性の知り合いが見事にいなくてな。むしろどうやったら出会えるんだと言いたいくらいだ」

「マッチングアプリとかあるじゃん」

「なんかそういうのイヤだ。変なのに引っ掛かりそうだし」

「随分だねぇ。まぁ、分からなくはないけど」


 ていうか、さっきから俺のことばかり聞かれているな。これは流石に不公平だと思うのは自然なことだろう。

 というわけで、今度はこっちから尋ねてみようじゃないか!


「そういう有倉はどうなんだよ?」

「えっ?」

「それだけ美人でスタイル抜群だったら、言い寄ってくる男も多いだろ?」

「いやいやいないから」


 有倉が即答してきた。手をひらひらと振りかざしながら、それはもうあっさりと。

 これには俺もポカンとしてしまう。そんなに『あり得ない』と言わんばかりの反応をされるとは思わなかった。

 すると有倉は、新しいロング缶をプシュッと開けながら苦笑する。


「確かに私もね? 少しはそーゆーの来るかなぁとは思ってたよ? ラノベとかでもそんな感じのオフィスラブものとか、結構多いしさ」

「あぁ。それが有倉の場合、リアルでも普通にあるもんかと」

「ないんですな、これがちっとも」


 にわかには信じ難いが――有倉の様子からして嘘は感じられないんだよな。片手でやれやれのポーズを決めてくるところも、普通にリアルな感じがする。


「実際にお仕事してると、意外と周りのことなんて気にしてるヒマもなくてねぇ」

「社内恋愛とかは……」

「今じゃもう珍しいくらいだよ。私の会社でも、そーゆーの全然いないし」

「マジか」


 むしろ社内恋愛こそが最後の砦だとすら思っていたんだが、もうとっくに瓦解していたということなのか?

 うーむ、時代の変化は激しいとは言うが、これもその一つということかねぇ。


「そう言えば片瀬くんも、最初は会社に就職したんでしょ? 女性社員の同期とか、良さげな人はいたりしなかったの?」


 まーた痛いところを突いてくるもんですね、有倉さんってばさ。

 別に隠していることでもないから、構わないんだがね。


「……正直、そんなことを考える余裕もなかったな」


 少し思い出してみただけでも、自然とため息が出てきてしまう。人生の汚点、とまでは言わないが――もう少し考えれば良かったという後悔は拭えないな。


「とにかく周りに合わせるのに必死で、自分のこともないがしろにしてた。一年目の終わりで、割と限界は来ていたよ」

「そこで辞めちゃったの?」

「いや、流石に一年で、っていうのもあったから踏みとどまった。今にして思えば、それが正解だったのかどうか、正直分からん」

「つまり、いい方向にはならなかったと」

「そういうこと。二年目の終わりで、見事リタイアしちまった」


 辞めると決める前は凄い長く感じたのに、決めてからはあっという間だった。こんな簡単なものだったのかと、変な意味で勉強した感じだった。


「それから失業手当を貰いつつ、創作活動をしてたんだ」

「創作? マンガとか?」

「いや、絵は全然描けなかったから、とりあえず文章でやってみることにしてな。それで出版社に持ち込みに行ってみたんだよ」

「へぇー。そりゃ凄いじゃん」

「まぁ、結果は散々だったが……そこで妙な転機が訪れてな」


 酒が飲めない代わりに買ってきた炭酸水を、新しく俺のコップに注いでゆく。


「その時、担当してくれた人に聞いてみたんだよ。データ入力とか穴埋め的なコラムとか、そういうバイトみたいなものがあれば教えてほしい、ってさ」

「……よく聞いたね?」

「色々と焦ってたからな。駄目元も良いところだったよ」

「それで?」

「ちょうど手が足りなくて困ってたから、いくつか回してあげる――って言われて、今に至る感じだ」


 世の中、結構言ってみるものだ――それを俺は強く思い知らされた。

 おかげさまで今も、なんとか仕事にありつけている。流石にこのままずっと続けられるとも思っちゃいないけどな。


「まぁ、ちょっとビックリはしたけどさ……良かったじゃん」


 すると有倉が、頬杖を突きながらニッと笑ってくる。


「学生時代から思ってたけど、片瀬くんって会社勤め向いてなさそうだなって、感じしてたんだよね」

「そうか?」

「うん。むしろよく二年も勤めてたもんだよ。相当頑張ったんだね」

「……そりゃどーも」


 思わず照れ臭くなり、有倉から視線を逸らしてしまう。きっと俺は、嬉しい気持ちになったのだろう。社交辞令だとは思うが、それでも良かった。

 すると、俺はここでようやく、現在の時間に気づく。


「もうこんな時間か。結構遅くなっちまったな」

「食べ終わったら、先にシャワー浴びてきていいよ。その間に片付けておくから」

「あぁ、そりゃ助かる……ん?」


 物凄くナチュラルに言われて普通に反応してしまったが、何か色々とおかしいことに気づいた。


「ちょっと待て。まさかお前も、ここでシャワー浴びていくつもりなのか?」

「泊まってくんだから当たり前じゃん」

「……聞いてないんだけど」

「言ってなかったっけ? もしかして迷惑だった?」

「別にそんなことはないけど……」

「なら良かった。お泊まりセットもちゃんと買ってきてあるから、大丈夫だよ♪」


 無印的な雑貨屋のロゴが入った紙袋から、ニュッとそれを取り出した。

 替えの下着やらスウェットやら――どうやらお泊りに必要なものを、さっきの店で購入していたらしい。

 つまり最初からそのつもりだったというわけだ。

 色々と言いたいことはあるが――


「えへへ~♪」


 満面の笑みを浮かべてくる彼女に対して、こりゃ本気だと思うしかなかった。



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