003 味があって落ち着くらしい



「……え? ここが片瀬くんの家?」


 ショッピングモールからニ十分ほど歩き、到着した場所を見た有倉は、それはもう呆然としていた。

 ちなみに『見た』であって『見上げた』わけではない。そもそも見上げるほどの高さもない建物だからな。


「あぁ。平家は初めてか?」

「うん……そうだね」

「そんなに驚くほどでもないだろうに」

「えっと、うん……てっきり、アパートか何かだと思ってたから」

「なるほど」


 言われてみれば、小さな平家とは言え、一軒家に一人暮らしっていうのは、流石に予想できなかったってことか。

 ま、それならそれで納得はできるってもんだわな、うん。


「とにかく上がってくれ」


 俺は鍵を取り出し、古ぼけたドアを開錠する。


「見てのとおり狭い家で悪いがな」

「お、お邪魔します……」


 真っ暗な部屋の電気を付けつつ、俺は早速買った食材をキッチンに置く。そして手早くエプロンを身に着けた。


「じゃあ、俺はちょっと飯の用意をするから、有倉は座って待っててくれ」

「うん。ありがとー」


 有倉の間延びした言葉を背中で受けつつ、俺も動き出す。まずはすぐに使わないものを冷蔵庫へ閉まっておこう。夜とはいえ夏は暑い――酒も出しっぱなしだとぬるくなってしまう。

 と言っても俺は、酒なんざ全然飲まないんだけどな。つまり今日買ってきたのは、有倉が飲む分だということになる。

 まぁ、それは一向に構わないんだが――


「今更思うのもなんだけど……また随分と酒を買ってきたもんだな」

「えー? だって飲みたいじゃーん」


 ストロング的なロング缶がビニール袋から何本も出てくるのを見ると、流石にげんなりとしたくなる。

 酒を全く飲まないからこそ、と言えるかもしれない。

 もしかしたら俺だけかもしれないが、とりあえず細かいことは気にしないでおく。


「ていうか片瀬くん、ホントにお酒飲まないの?」

「あぁ。俺はメシをしっかり食いたいんでね」

「お酒弱かったっけ?」

「何年か前は、少しだけ飲めてたよ」


 俺は素直に白状することにした。こんなところで強がっても、何の意味もないことくらいは分かる。


「でも酒の味……というか、アルコールの香りがどうもダメでな」

「あー、なんかそーゆー人いるよねぇ」

「おかげで酒そのものを楽しむってことができなくてな。会社の飲み会なんざ、本当に苦痛でしかなかったよ」

「それはそれは」


 苦笑している有倉がどう思っているかは分からんが、俺からしてみれば死活問題みたいなものだった。

 なんなら大学のゼミの飲み会ですら、普通に苦痛だったりもしたわけだが。

 そこで気づいておくべきだったのかもしれないな。大学の飲み会が駄目だったくせして会社の飲み会で上手くいく? そんなわけないだろうに。


「で、会社辞めてからは、酒を飲む機会が自然と消えちまったってわけだ。こないだ実家に帰った時、久々に飲ませてもらったんだが……想像以上に飲めなくなっちまってるってことが判明したんだ」

「どれくらい?」

「アルコール度数が『三』程度のチューハイ一缶を、ギリギリ飲めるかどうか」

「あーらら」

「酒は飲まないと弱くなるってことを、その時初めて知ったよ」


 数年前と同じ気持ちでいた結果、大いに後悔した瞬間をとくと味わった。過去と今は違うというアレなのかね? よく分からんけど。


「じゃあそれ以降は、全く飲まなくなっちゃった感じ?」

「そうなるな。というわけで悪いが、このロング缶とかは俺は飲めないんで」

「いいよ。私が責任もって平らげるから」


 平らげるって――これだけの量を一人で飲むつもりなのか?

 まぁ、飲めるから買ってきたんだろうけど……まぁ、とりあえず置いておこう。気にしたところでキリがない。


「それにしても……結構ちゃんと掃除してるねぇ」


 まな板の上で食材を切っていると、後ろから有倉の物珍しそうな声が聞こえる。恐らく改めて、部屋の中でも見渡してみるのだろう。


「なんか大きいパソコンとかプリンターとかも置いてあるし」

「作業場でもあるからな」

「在宅だっけ?」

「あぁ。そこまで稼げてるわけじゃないが、こうして一人暮らしできるくらいには」


 冷凍ほうれん草の残りと切り分けた油揚げをだし汁に投入する。今日のおかずは殆ど買ってきた総菜ではあるが、味噌汁くらいは作ろうかと思っているのだ。

 なんやかんやで汁物は重要だからね。


「といっても、ばあちゃんから譲り受けただけだけどな」

「お婆さんの家だったんだ?」

「あぁ。俺が就職して二年目の時に亡くなって、ちょうど俺も会社を辞めたばかりの頃だったもんだから、親父に頼み込んで、名義ごと譲ってもらったんだよ」

「それはまた……妙なタイミングだったんだね」

「まぁな」


 有倉の言葉に俺も苦笑してしまう。確かに妙なタイミングではあったんだよな。まるで示し合わせたかのようなものを感じたし。


「けど俺からしてみれば、実に都合が良かったのも確かだ。会社組織で働くことからリタイアしたものの、いつまでも実家の世話になりっぱなしってのも、流石にどうかと思ってた矢先のことだったからな」

「それで駄目元で頼み込んでみたって感じ?」

「あぁ。土下座する勢いで、それはもう思いっきり頭を下げたよ。すんなり許してくれたときは、俺も思わずポカンとしちまったもんさ」

「……でしょうねぇ」


 味噌汁も無事に出来上がったし、そろそろから揚げを温めようか。サラダは――特に分けなくても良いか。

 大皿に盛って、二人でシェアする形にしよう。


「じゃあこのお家は、完全に片瀬くんのものってわけだ?」

「そういうこと」

「ちなみに、固定資産税って高いの?」

「いや、意外とそうでもない」


 お、から揚げが温まったようだな。これを皿に盛り付けて――よし、完成だ。


「ここは駅からも遠くて、再開発区域からも外れている……そのせいかどうかは分からないけど、固定資産税もそんなに高くないんだ」

「こう言っちゃなんだけど……建物もかなりの築年数だからっていうのは?」

「あると思うよ」


 から揚げとサラダ、そして味噌汁をちゃぶ台へと運んで行く。パックご飯をチンしておくのも忘れてはいけない。しっかりとお腹は空いていますからね。


「まぁでも、ネットはちゃんと繋がるし、キッチンとかの水回りも二十年くらい前にリフォームしたらしいから、生活する分には困らないんだわ」

「実質ワンルームだもんねぇ」

「そゆこと」


 そして有倉が追加で買い込んだ冷凍枝豆やら何やらも出していく。小さなちゃぶ台がどんどん埋め尽くされていくな。

 まぁ、サワーのロング缶という存在がかなり大きいわけだが。


「と言っても、大学の時に住んでたマンションよりは、圧倒的にボロいけどな」

「それは……」


 有倉も想像したのだろう。同じワンルームの学生専用マンションに、有倉も四年間住んでいたのだから、よく知っているはずだもんな。


「……ごめん、私も普通に思っちゃった」

「いや、別に謝らなくていいけど」


 俺は苦笑しつつ、有倉と向かい合わせる形で座布団の上に座る。それと同時にロング缶のプシュッと開く音が聞こえた。

 グラスに勢いよく注がれる炭酸の姿に、有倉の目がらんらんと輝いている。

 そこまで楽しみなのか――俺にはよく分からんです、ハイ。


「それではっ! 偶然にも程がある再会を記念して……かんぱーいっ♪」

「はーい、おつかれさーん。いただきます」


 まるで乾杯の受け答えにもなっていないが、俺は気にすることもなくから揚げに箸を伸ばす。

 ――うむ。やはり美味いものだね。

 から揚げの質で言えば、ショッピングモールの近くにあるから揚げ屋さんのほうが圧倒的に上なんだが、こっちはこっちで悪くないと思う。


「でも、冗談抜きで言うけどさ――」


 そんな感じで良い出だしの夕食を味わっていたところに、有倉が切り出した。


「このお部屋……割と味があって落ち着くと、私は思ってるよ?」

「ハハッ。そりゃどーも」


 俺は反射的に苦笑する。たとえ社交辞令でも、自分の家を褒めてもらえるのは、やはり嬉しくなってしまうものだねぇ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る