002 片瀬くんの部屋で一緒に飲もうよ



「それにしても、すっごい偶然だよねー♪」


 電車のロングシートに並んで座る中、有倉が機嫌よく切り出してきた。


「あんなところで片瀬くんと再会するなんて思わなかったよ」

「まぁ、そうだな」


 土曜日とはいえ、人が多い時間帯であるため、俺たちは声を落としている。気を紛らせる意味も兼ねて俺は、一つの疑問を投げかけることに決めた。


「今日は土曜日だけど、有倉の会社って休みじゃないのか?」

「基本的にはね。今日はたまたま出勤日だったんだよ」

「新宿にあるんだっけ?」

「ううん、目黒。お客さんが急に打ち合わせしたいって言うもんだから、さっきまでちょっと出向いてきた感じ」

「なるほど」


 本来なら休みのはずの曜日ですら出勤か――そりゃまた大変なことで。

 あぁでも、俺も前に勤めていた会社もそんな感じだったっけか。俺は可能な限り、有給使ってでも行かないようにはしていたけどな。我ながらよくやっていたものだと思えてならないよ。変な意味でだけど。


「ところでさぁ……」


 すると今度は、有倉のほうから切り出してきた。


「片瀬くんの住んでる浦和美園って、どんな感じ?」

「埼玉県の郊外だけど、駅周辺は割と綺麗だよ。ここ何年かで新しく開発されて、家やマンションも多くなってる」

「へぇー。てっきり田んぼとか畑が多いのかと思ってた」

「それも間違ってはないな。少し歩けば普通にたくさんあるし、遠くまでしっかりと広がってるよ」

「そうなんだねぇ」


 なんとなく自然と会話が続いているけれど、正直どうしてこうなっちまったのか、今でも誰かに教えてほしい気分だったりするんだな、これが。


 ――折角の週末だし、どこかで一緒に飲まない?


 ってな感じで、急に有倉が俺を誘ってきたのが始まりだったっけな。まさかいきなりそう来るとは思わず、俺も呆気に取られちまったよ。

 有倉と俺は高校時代からの知り合いだが、それ以上の関係性は特になかった。

 久しぶりに出くわして互いに驚き、そのまま「偶然って怖いね」と笑い合いながらその場で別れる――なんて展開が関の山だろうに。まさか向こうから飯の誘いがくるとは予想外にも程があるぞ。

 学生時代から普通に陰キャの類である俺からしてみれば、普通に心臓が跳ね上がったくらいだ。


 まぁ、当然ながら断ったけどな。


 別に嬉しくないとか、そういうわけじゃないぞ? ただ飲むとなると、金という名の先立つものが、どうしても多めに必要となってしまう。あいにく今の俺は、そこまで財布の中身が豊かというわけではないのだ。

 ついでに言えば店が閉まる前に、食材の買い出しもしておきたい。

 時間も時間だから、売れ残った総菜に値引きシールが貼られているだろうし、それもちょいと狙いたいところだ。

 俺はその旨を、包み隠さず正直に有倉に告げさせてもらったのだが。


 ――そっか。じゃあ私も一緒に行くよ。


 なんてことを言い出してきたから、尚更ビックリってもんだ。

 気がついたらこうして一緒に電車まで乗っているし、流石にドッキリの類ではないと判断しても良いんだよな? そう言われたら言われたで、今でも普通に納得してしまう自信はあるが。


「念のために聞くけど……ホントに俺んちに来るのか?」

「うん。食材買って帰るって言ってたよね?」

「まぁな」

「だからさ! 私がお金出すから、片瀬くんの部屋で一緒に飲もうよ」

「…………」


 有倉って、こんなに押しの強い女だったっけかな? むしろ控えめ――とは、少し違うか。男女問わず誰かと一緒にいることは確かに多かったが、特定の誰かと一緒にいることはなかったな。

 けれど、それにしては何か――


「片瀬くんだって、ご飯代が実質浮くわけだし、悪い話じゃないでしょ?」

「そりゃー……言えてるな」

「じゃあ、別に何の問題もないよね♪」


 ないと言われれば確かにそのとおりかもしれないが、それで済ませていい問題かどうかといわれると、物凄く微妙な気もする。

 しかしもう、こうして一緒に電車に乗っちまっているわけだしな。もはや撤回するチャンスなんざ逃しているか。

 はぁ――しゃーない。ここは一つ、奇妙な機会を楽しむっきゃなさそうだな。


「……ゴチになります」

「うんっ♪」


 なんとも微妙な返事しかできなかったが、有倉は嬉しそうだ。うーむ、これがいつもの姿なんだろうかね? どうにも違和感的なものが見え隠れしているような――俺の気のせいだったら良いんだが。


『まもなく浦和美園、浦和美園――終点です』


 おっと。いつの間にかここまで来ていたのか。まぁ、あれこれ考えても仕方がないと言えばそれまでの話。もういっそ開き直ってしまったほうが楽だろう。

 そうだよ――最初からそうすりゃ良かったんだ。

 別に変なことしているわけじゃないんだし、堂々としていれば良いんだもんな。


「へぇ……浦和美園って、駅は地上にあるんだ。ショッピングモールあるし……」


 物珍しそうに見渡しながら、有倉がゆっくりと立ち上がる。


「予想よりも都心から結構遠い感じだね」

「ハハッ、割とへんぴなところだろ」


 有倉の反応を見て、俺も何故か笑いが込み上げてきてしまった。そしてホームを出ると、妙な安心感を抱いてしまう。

 都心からやっと帰ってこれた――そんな気分になるのだ。


「さてと……じゃあ買い出しへ行こうか」

「ショッピングモール?」

「あぁ」

「ちなみにそこって、無印的な雑貨屋さんとかある?」

「あるけど」

「じゃあ、そこも寄らせて」


 自然と立ち寄る店が追加されてしまったな。まぁ、別に構わんが。


「さ、行こう! 早くしないと、お店が閉まっちゃうよ!」

「はいはい」


 そしていつの間にか仕切っているし――新宿駅から終始、有倉のペースに掴まされている気がするのは、果たして俺だけだろうか?


 とかなんとか思っている間に、買い物はサクサクと行われていった。


 まずは雑貨店に向かう。そこでどうしても買いたいものがあるとのことであり、特に用のなかった俺は、入り口で待っていることにした。

 女性の買い物ってのは長くなりがちだと、昔の偉い人が言っていた気がする。

 しかし思いのほか有倉は、さっさと会計を済ませて出てきた。本当に必要なものを急ぎで買ってきただけだったらしい。

 そしていよいよ、メイン目的である食料品売り場に突入。

 俺がカートを押す中、有倉がレモンサワーのロング缶やら、冷凍枝豆やから揚げなどの総菜やら、次から次へと放り込んでゆく。

 金は出してもらうとは言え、流石に栄養のバランスを考えないのはよろしくない。

 サラダリーフとポテサラも追加させてもらったよ。ポテサラは嬉しそうな表情を見せていたが、緑の葉っぱがたくさん敷き詰められたパックを入れた時は、あからさまに不満そうな態度を見せていた。


 ――私がお金出すんだよ? それを分かってて葉っぱさんを入れたの?


 そんな無言の視線を向けてきていたが、俺は華麗にスルーさせてもらった。野菜は体に良いんだから、そのような文句は受け付けません。

 どうやら有倉もすぐに諦めてくれたらしく、渋々ながらそれも会計に回していた。

 そして買い出しを無事に終え、ショッピングモールを出たのだが――


「今日みたいな日ってさ、健康を気にしたら負けだと思ってるんだよね」


 完全に拗ねた、恨みがましいといっても過言ではない口調で、有倉がボソッと切り出してくる。


「わざわざグリーンサラダも付けるなんて、私のテンションは爆下がりだよ」

「はいはい。いい子だから野菜はちゃんと食べましょうね」

「……あなたは私の母親か!」

「せめてお父さんと呼んでほしかったもんだがな」


 いや、これはこれで返答としては、何か違っているような――まぁ、別にいいか。


「そんなことより、ここからちょっと歩くぞ」

「むーっ。話逸らしたー」

「逸らしてない。打ち切っただけだ」

「同じことだよぉー」


 やれやれ困ったお嬢さんだ。とてもアラサーとは思えない反応を見せてくれるな。相手が俺という同級生だからこそなのかもしれないが。


「……それで?」


 有倉もようやく諦めてくれたらしく、ため息をとともに話を切り替えた。


「ここから片瀬くんの家って、どのくらいかかるの?」

「駅からだと最短でもニ十分くらいはかかるな」

「えっ……あぁ、そう」


 どうやら予想以上に遠いと思ったらしい。仮に俺が有倉だったとしても、同じように言葉を詰まらせたことだろう。


「でもまぁ……たまにはのんびり歩くのも悪くないか……」


 しかしすぐに気持ちを切り替えてくれたのは、本当にありがたい限りであった。そこは俺も素直に安心しつつ、大通りの道をまっすぐ進んでいくのだった。



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