第4話
人を見た目で判断するな!
フィリピンの刑務所に収監されている指示役、いわゆる「ルフィ」による一連の強盗事件が数ヶ月前、社会を騒然とさせた。フィリピンでは、金さえあれば、エアコン付きの独房に入る事ができるのだ、そしてスマホを持つ事もできるのだ、更にそのスマホで犯罪を指示する事もまたできるのだ。フィリピンの司法が一体どれだけいい加減なのか、聞くに恐ろしい話である。ところで、実は僕には、恐らくはこの「ルフィ」の一味と思われたのであろうがために、全く真実だったのにも関わらず警察から職務質問を受けた事があった。しかし僕はそれを完膚なきまで返り討ちにし、国家権力との闘争に見事に勝利したのであった。その時の事を書き記そうと思う。
それはコロナに罹患してしまったため、年末年始の長期休暇をツレと二人でただ無為に寝て過ごしてしまった後の事であった。一月中旬頃、ようやく出かけられるようになった僕らは、やや遅い初詣と、日帰りの貸切温泉へ行く事に相なった。その事を会社の先輩に話すと、毎年詣でている神社の近くに昔からやっている洋服屋さんがあると教えてもらったのだ。その話を聞いた僕は、貸し切り温泉が12時からだったので「時間を潰す必要もあるしな」と思い、初詣の後その洋服屋さんにも行ってみる事にしたのである。ところが、てっきり10時には開店しているはずだとばかり思っていたのに、店に着くと窓ガラスには10時30分オープンと書いてあったのだった。時間を潰したいのとトイレに行きたいのとで、僕はツレを愛車・ストリームの車内に残したまま、すぐ隣にある中古のブランド品を扱っている大きなお店に入った。当初の目的どおりトイレを借してもらった後、ロレックスの時計やルイ・ヴィトンのハンドバッグなどといった高級ブランド品や、またもう少しカジュアルなブランドだとノースフェイスのダウンジャケットやリーバイスのジーパン、そして高価なブランデーやバーボンなどを眺めたあと、店員に「どうも」と礼を言って店を後にした。
自動ドアが開くと、なんと目の前に二人の警察官がいたのであった。恐らくは僕が入店する瞬間を見ていて、出てくるのを待ち伏せしていたのであろう彼らは、僕と目を合わせるなり、いきなりこう切り出してきたのである。
「今、お店のショーウィンドウをバールやハンマーなどといった硬い物で破って金品を奪うという事件が東京や千葉で起きているのはご存知ですよね?」
「はい、ニュースでやってますね」
「何か、そういった硬い物を持っていないか確認させてもらいたいのですがよろしいでしょうか?」
あ、要するにオレ、疑われてるのね、そう思った僕は少し挑発的な態度で、
「ど〜ぞ?」
と両腕を広げて見せた。だがしかし、彼らが僕を疑う気持ちも、実を言うと少しは分からなくもなかった。そのとき僕はバンソンのライダース風の黒いボア・ジャケットを羽織っていた(ツレはこのボアのサラふわとした感触が好きで、これを着るといつも腕を組みたがるのであった)。背中には大きく
「まず初めに持っている物を全てこの黒い網の中に入れてください。ケータイもです」
彼が「ケータイ」と強調したのは、仲間を呼ばれるのを恐れての事なのだろうと僕は思った。しかしその時、僕はそもそもスマホしか持っていなかった。この店に寄ったのは、前述のとおり、あくまでトイレを借りたかったからに過ぎない。
「荷物は、本当にこれだけなんですか?」
「ええそうですよ」
そう答えると、二人のうちの一人が、僕の体に服の上から手で触れてボディチェックをし始めた。何も持っていない事が判明すると、
「今何をされていたのですか?」
今度はそう質問された。僕はそのまま、「もともと隣の洋服屋を見に来たのだがまだ営業していなかったため、時間を潰したいのとトイレを借りたかったのとでこの店に寄ったのだ」と答えた。すると今度は、
「どこに住んでいるのですか?」
と聞かれたのでその質問に答えた。何も危ない物を持っていない時点ですでに問題はないはずなのに、あくまでも僕を悪人として追求する気でいる様であった。
「ここへは車で来たんですか?」
「そうですよ」
「じゃあ運転免許証を見せてください」
「いいですよ。隣の洋服屋の駐車場に停めてある僕の車の中にあるんで、そこへ行きましょう」
僕は二人の警官を伴って悠然と歩いた。当然である。やましいものなど何一つとしてないのだから。その道中、背後を歩く警官たちから、更にいくつかの質問を受けた。
「車の鍵はどうされました?」
「エンジンかける所に差しっぱにしてます」
背後にいる警官たちに見えるよう、手首を回してエンジンをかける仕草をしながらそう答えた。
「その上着は10万円ぐらいするんですか?」
上着? トップスと言えよ! ダセェ! そう思いながら僕はこう答えた。
「そんなに高くないですよ。確か五分の一ぐらいの金額だったんじゃないかなぁ」
事実、確か20000円ぐらいであった。大袈裟なやつだな、と思った僕は思わず「へっ」と少し笑ってしまった。
「そのペンダントとネックレスはクロムハーツですか?」
今度は錫でできた鈴のペンダントの事を質問された。頂上から落ちそうになった猫がそれ以上落下しないよう、壁に爪を立てて傷をつけているデザインの物で、アメリカン雑貨の品物を売っているネット上の店で買った物だった。鈴の音には道路にいる悪魔を退散させ、事故を未然に防いでくれるお守りとしての効果があるとされているそうで、本来なら車やバイクのキーホルダーに着ける物なのだが、僕はこれを他人の視覚と聴覚、その両方に訴えかけるアクセサリーとしてシルバーのボールチェーンで首にぶら下げて愛用していた。
「いや、クロムハーツではありません」
もちろん、いつかはクロムハーツの一つぐらい買いたいと常々そう思っているのだが、生憎そこまでお金持ちではない。
「バイクに乗ってるんですか?」
恐らくブーツを履いているのを見てそう思ったのであろう、今度はそんな質問をされた。
「いいえ乗りません」
エンジニアブーツは、見栄で履いているだけだった。
やがて車に辿り着いた僕は、
「あの白いストリームが僕の車です」
相手の仕事に全面的に協力する事で、「やましいものなどなりもありませんよ」という姿勢を前面にアピールしながら後部座席のドアを開けた。そして助手席に座っているツレに笑いながら声をかけた。
「よお、職質かけられちったよ」
僕は武勇伝を語る悪ガキのような気分でいたのだが、お嬢育ちのツレの顔は、警察を見るなりたちまち恐怖で引きつり出した。ツレに言わせると、歴代の彼氏の中でもっとも不良性の高い男は僕なのだそうだ(僕の一体どこを見て不良性があると思っているのか大いに疑問ではある)。
「奥さんですか?」
結婚していると勘違いされるのはこれで何度目だろう。二人で行動を共にすると、例えばお店の店員などから、いつも決まって「旦那さん」「奥さん」と言われる僕らであった。歳も歳なので、そう勘違いされるのは致し方ないのだが、ともあれそのまま正直に「違います」と答えた。
アヴィレックスのバックから財布を取り出し、更にその中から免許証を取り出した。それを受け取った警官は、
「ゴールド免許で、違反歴もないのですね。申し訳ないのですが名前を住所を控えさせてください」
恐らくこの車が本当に僕の物なのかを無線で照会して確かめる気でいるのだろう、僕はそう思った。調べても調べても、叩いても叩いても、埃の一つすら出てこない僕を見て、振り上げた拳を一体どこへ降ろしたらいいのか分からず苦し紛れにそうしているようにさえ思えた。むろん、正真正銘、僕の車である。調べられて困る事など何もないので、
「どうぞ」
と答えた。「これだけ正々堂々と対応しているのに、それでもまだなお疑うのかよ」と、正直、怒りを覚え始めていた。
「ところで…」
疑われっ放しのまま終わるのは嫌なので、ここで一つ反撃をしてやろうと試みた僕はこう切り出す事にした。
「…アンタ達の仕事には全面的に協力したんだし、こっちのお願いを一つだけ聞いてはもらえませんかね?」
そう、ついにここで国家権力に対する壮絶なる闘争の狼煙が上がったのであった!
「12〜3年くらい前に、〇〇東警察署が、速度計の誤設定でスピード違反していない人たちを4500人以上捕まえた事がありましたよね? 覚えてます?」
まだ若い警察官たちは、「覚えています」ではなく、
「知りません」
と答えた。
「実はオレ、その約4500人のうちの一人なんですよ。んで、実はその時の事をネタにして小説を書いた事があるんです」
「小説?」
警官たちは、僕の事を明らかに馬鹿にしたような顔をして見せた。
「何です? 小説を書くようなタイプには見えないとでも? それとも、無実の罪で警察に捕まえられた時の事をネタにして小説を書いたらいけないとでも? 別にその事自体は、公務の執行を妨害してはいませんよね? それに、言論の自由は憲法で保障されているはずですよ? 違います?」
「それはまあ、そうですね」
「それに、これでも一応、長編小説を二つ賞に出して二つ同時に予選を通過した事もあるんですよ。この時点ですでにもう、オレがそこそこの物を書いているって事を十分証明していますよね。アンタたちの仕事には全面的に協力したんだし、一つぐらい、こっちのお願いを聞いて貰えませんか? 今から言う二つのキーワードを、その名前と住所をメモった紙についでに書いて欲しいんです。んで、帰ったらそれをネットで検索して欲しいんですよ」
「何ですか?」
「一つ目は『魔法のiらんど』、そしてもう一つは『如月トニー』です。これだけ分かっていれば、予選を通過した小説と、警察批判の小説が両方読めますから」
警官たちは互いに目をパチクリさせながら顔を見合わせた後、
「でも、これがあなたの書いた物だという証拠はありませんよね」
「そうそう、他人の書いた物をさも自分で書いたかのように言っているという可能性だってあるじゃないですか」
と言い出した。
「ここまで事細かくディティールを説明しているのに、それでもまだなおこれがオレのオリジナルではないと言うんですか? もしそうならよっぽど性格が悪いか頭が悪いかのどちらかですよ。まあ、その両方という可能性もありますけどね…」
警官たちは、あからさまに苛ついたような表情をしてみせた。
「…オレ、その事さえなかったならゴールド免許になってるはずだったんです。ところが警察署にその事を言ったら"いったんブルーで通してくれ"って言うんで言うとおりにしたんですけど、その後の
笑いながら言い放って見せた。彼らの表情は更に苛つき始めた。
「…んで、その時の事をネタにして書いたのが、このサイトにある『紫の
「要するに、一体何が言いたいんですか?」
「人を見た目で判断するなって言ってるんだよ! オレに職質かけた事にしてもそう、小説の事にしてもそう、どうせ全部見た目で判断したんだろ? 違う? まだ神奈川にいた頃、電車の中で、ミニスカとルーズソックス履いてる女子高生が、おばあちゃんに"どうぞ"って席を譲った後、隣に座ってる彼氏の膝の上にちょこ〜んて座っておばあちゃんとニコニコ笑い合ってるのを見た事があったぜ」
「見た目で判断するなと言うのなら、一体どうやって判断したらいいと言うんですか?」
「そんなのは自分で考えろ。バーカ! さあ、これでもう用は済んだろ。オレの貴重な休日をもうこれ以上邪魔しないでくれ。心配するな、オレはガキじゃない、警察は正義の味方だなんて夢にも思っていないし、そもそもそんな妄想からは高校の時にもうとっくに目覚めて卒業してるよ、つまり警察のイメージなんてそもそもの最初からこれ以上下には落ちないぐらい底付きしているんだよ、社会の大人たちはみんなそう思っているよ、だから安心したまえ。あ、それともう一つ、今回の事を逆恨みしてオレを別件逮捕して冤罪を被せようたってそうはいかないからな!」
僕は中指を立てた後、まるで動物を追い払う時のように掌を払って彼らを追い返した。
かくして僕は、国家権力との壮絶なる
少なくとも、自分ではそう思っているのであった。
ところで彼らは、僕の小説をチェックしたのだろうか? 恐らくしてはいないであろう。事前に「警察批判だ」と聞かされている物を彼らが素直に読むだなんてまず考えられない。そもそもあんな見るからに頭の悪そうな若造どもが、小説を読むようなタイプだとはとても思えないのだ。
…おっといけねぇ、人を見た目で判断しちまったぜ!
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