8・待ち合わせ

第16話

土曜日は気乗りしない私の気持ちとは裏腹にとってもよく晴れていた。


 とは言え、雨だったら傘を差した人の中で海斗を探すのは余計に困難だったから、晴れてもらって良かったのだけど。


 待ち合わせは雪町駅の改札口だった。雪町はショッピングセンターがある大き目の駅だから、土曜日の人通りもかなり多い。


 目印の赤いシャツを探すと、改札のすぐ横に一人真っ赤なシャツを着た人がいて、少し離れた柱の所にエンジ色に近い赤いシャツを着た人がいた。それから、券売機の横にも赤いポロシャツの人がいたけど……ポロシャツだし少し背が低くてシルエットが丸いから……海斗ではないだろうと分かった。


 真っ赤なシャツの人は背格好は似ているけど、メガネをかけていない。でも、エンジ色の彼もメガネが青いフレームだった。背格好は二人とも似ているんだけど……誰かを待っている様子で動いていないし、二人とも決め手が無くて違うような気がする。


 約束の時間の五分前だし、まだ来ていないのかもしれない。私は改札の近くの壁にもたれて海斗が来るのを待った。


 五分経っても他には赤いシャツの人は現れず、携帯メールが来た。


「ウォーリーからは声を掛けないぞ。おまえが見つけろよ」


 海斗はもう来ているのだろうか。じゃあ、あの真っ赤かエンジ色かどちらかだ。


 私はエンジ色のシャツの人の方へ寄って、チラリとその人へを視線を送った。携帯でも出してくれたら、海斗のは分かるのだけど。黒いスマホでスポーツショップで貰ったという、青いストラップがついている。


 だけど、そのエンジシャツの人はただ誰かを待っているようで、改札の方へ目を向けていた。メガネも違うけど……この人のような気がする。でも、決め手が無い。


 次に真っ赤なシャツの人を近くで見た。だけど、この人はメガネをしていない。顔のパーツを見ても、何となく違うような気がした。

 でも、やっぱり携帯も出していなくて、違うという決め手も無い……。


 私はまた壁のところに戻って、海斗にメールを打った。


「柱の所にいる、エンジ色っぽいシャツの人が長谷川君? ただ、メガネがいつもと違うから決め手が無いの。笑ってくれたら分かるような気がするんだけど」


 笑った時の三日月の目を見れば、きっと海斗だと思えるような気がした。


 ふいに、私の前にさっきのエンジ色の青メガネ男子が立っていた。


「一人でいるのに笑えるか」


 その声は確かに海斗の声で、その目は三日月形になっていた。やっぱり、この人だったのか。


「長谷川君、いつもとメガネフレームの色が違うのはズルい。それに、それは赤じゃなくてエンジ色だよ」


 海斗だと分かった途端に気が緩んだのが分かって、不満が口から飛び出した。


「ごめん、そうだよな。メガネは昨日フレームが曲がっちゃって、いつもと違うのを掛けてきたんだ。事前に伝えなきゃ分からないよな」


「そういうこと。私との待ち合わせは面倒臭いんだよ」


 海斗が私のことを好きなんじゃないかって思ったりもしたけど、好きでもそうじゃなくても、どうせ今日一緒に出かけたら嫌になるだろうと思えた。

 顔が分からない人間の面倒臭さが嫌というほど分かるだろうから。


 もしも今、海斗が私を好きだったなら、さっさと嫌になって他に好きな子を作ったらいい。

 そう思って今日は苦手な場所でも頑張って挑もうと決めて来た。


「じゃあ次の待ち合わせから、俺の『今日のファッション写メ』を送る。そしたら、ウォーリーを探せと同じで写真と同じ服装の奴を探せばいいから簡単だろ?」


「……それ、有難いかも」


 意外と前向きに考えてくれるんだ。待ち合わせの度にウォーリーを探すのは疲れるからね。


 ていうか、さりげなく『次の待ち合わせから』とか言われていて、海斗のペースに乗せられているような気がする。

 別に海斗と次に会いたくないということは無いけど……。海斗の方に私と付き合いたいという意識があるなら、それはしてはいけないと思った。


「じゃあ、行こうか」


 海斗が改札の方へ促した。雪町にも映画館があるから、てっきりここで観るのかと思ったら違ったようで少し驚いた。


「違うところに行くの? ここにも映画館あるよ」


「雪町には葉月を迎えに来ただけ。少し遠いけど銀杏が丘駅まで行こう」


 コンパスの差だろうか、海斗は歩くのが速い。私も女子の中では背が低い方ではなくて、まあ高くも無いから普通だけど。

 海斗は背が高いうえに足も長いから余計に追いつくのが大変なのかもしれない。


 海斗はエンジ色のシャツに下はジーンズに黒いシューズという、そんなに目立つ格好ではないから、よく覚えておかないとすぐにはぐれそうだった。



「おまえ、このまえ泣いたじゃん」


 電車の中は空いていて、私が座ると海斗も隣に座った。


「あれさ、俺に好きな子がいるって聞いて泣いたのかと、一瞬だけ自惚れた」


 そう言った海斗の目は三日月ではなく、真っ直ぐ私の目を見ていた。


 なんかもう、海斗は私のことを好きなんだとしか思えなくなってきたけど、本当にそうなのか自信があるわけでも無い。

 私は思わず目を逸らして前を向いた。


「あれは……、だって長谷川君はお母さんの声も聞こえないのに、好きな子の声も聞こえないなんて……。って思ったら、すっごい辛いだろうなって切なくなっちゃって」


「うん、自惚れは一瞬で終わったから大丈夫。だけど、俺は好きな子の声は聞こえるんだ」


 やっぱり、これって私を好きだと言っているの……? それとも、全然違う子の話で恋の相談をしたいのだろうか?

 相談されてもきっとアドバイスなんて出来なくて困るけど。それでもそっちの方がいいと思った。


「長谷川君の好きな子って、どんな子?」


「めっちゃ綺麗な子」


 おっと、これは私じゃない。

 うん、100%ちがう!


 疑惑があっという間に解決してホッとした。今まで気が張っていたのが一気に緩んで、とっても楽になったのが分かった。

 私はこんなに想われることを拒否していたのか、と思うと可笑しくなる。


 きっと誰もが憧れるようなイケメンの長谷川海斗なのに。


 ということは、恋の相談の方か。

 単純なもので、楽しみながら聞いてあげようじゃないかという気持ちになる。


「綺麗な子って、それは私には分からないなあ。違う形容の仕方はないの?」


「そうだな……。けど、俺の中ではそれが一番かな。とにかく綺麗な子なんだ」


「へぇ……。やっぱり好きになるのに顔って大きいんだね」


 私は顔は分からないけど、恋愛に顔の要素が大きいということは分かる。

 別に顔の造りの美醜だけじゃなくて、笑顔が好きだとか照れた表情が好きだとか、そういう言葉をよく聞くような気がする。


「私は人の顔が分からないから、たぶん、そうやって人を好きになれないから羨ましい」


「俺は顔じゃなく人を好きになれる方が、純粋な感じがして羨ましいけどな」


 海斗は三日月目になって前を向いていた。


 そうか、海斗は顔が分からない人は心が分かるだろう、って心理なのか。


「顔が分からないと、人を好きになるのは難しいんだと思う。きっと、人ってみんな顔の表情で好きになっているんじゃないのかな? 顔がわからなくても人柄は分かるし人間としての好き嫌いはあるけど。恋とかときめきとか、そういうのって本当に分からない」


 海斗が私の方に顔を向けたけど、いつもの三日月目ではなくて表情は読み取れなかった。


「それにね、表情を読み取れないと……その人の心もよく分からないことが多いんだよね。だから、顔も心も分からないと、人を好きになんてなれない」



 暫くの間、海斗は前を向いて何も言わなかった。何か考えているのだろうか?


 私も前を向くと、電車は鉄橋を渡っていて窓から陽の光に照らされた川が見えた。


 川って好きだな。川を思い出そうとすると、キラキラと陽の光を浴びて流れる水の下に見える小石たちや、水の流れに落ち葉が揺れながら流される様子が目に浮かぶ。川の流れは一日中でも眺めていられるような気がするの。


 そんなことを考えているうちに、電車は鉄橋を越えて川も見えなくなっていった。


「じゃあ葉月と付き合う奴は、自分の心を伝えればいいんじゃないか」


 海斗も川を見ていたのだろうか? 川を通り過ぎた時に、ふいに話し出した。


「顔を見せてやることは出来なくても、心を伝えることは出来るもんな」


 気持ちがいいほど前向きな考え方をする……。

 いつでも真っ直ぐな視線の海斗と話をしていると、私は自分が生きやすいように楽に楽にと考えて、どうしても逃げの姿勢で生きているような気がして恥ずかしくなる。


 だけど、そうやって自分を守らないと生きてこられなかった……。


「じゃあ、もしも私と付き合ってくれるような奇特な彼氏でも出来たら、今の言葉を伝えてやってよ。私も相談には乗れるか分からないけど、好きな子の話をしたかったらいつでも聞くし」


「……うん。好きな子の話は本当はめっちゃしたいんだけど」


 海斗は小さくため息をついてから口を閉じた。


「なに? なんでも聞くよ」


「いや……まだ勿体無くて話せない。まあ、そのうち話すよ」


「でもさ、好きな子いるのに、いいの? 今日は私のリハビリに付き合っているつもりかもしれないけど、そんなのいいから、その子を誘えば良かったのに」


 リハビリだなんて、なんだか嫌味な言い方をしたような気がする。だけど、私は海斗がしてくるお節介が少し気に障っているのかもしれない。


「別にリハビリさせているつもりは無いよ。映画が観たかったから、おまえに付き合ってもらいたかっただけ。……降りるぞ」


 淡々と温度の無い口調でそう言うと、海斗が立ち上がった。電車は銀杏が丘の駅に着いて扉が開いていた。


 やっぱり嫌な言い方だったかな……。


 私は海斗の少し後方を歩いているうちに、海斗はどんどん先に歩いて行った。改札前でICカードをバッグの中から出した時には、完全に海斗の姿を見失っていた。


 やっぱりはぐれちゃった……。それとも、気を悪くした海斗がわざと先に行ってしまったんだろうか?


 私は改札を出てから、エンジのシャツと青いフレームのメガネの人を探したけど、雪町よりも更に大きな街の銀杏が丘は人が多すぎて、海斗らしい人を見つけることは出来なかった。


仕方がなく海斗の携帯に電話をしようとすると、「ここにいる」と手を掴まれた。


「すぐ横にいても、目に入んないんだな、おまえ」


「もっと前を歩いていると思ったから」


「先に行き過ぎたから、改札で待っていたんだ」


 またいつもの三日月目になって、海斗は私の手を繋いだまま歩き出した。


「はぐれるから離すなよ」


 私は思わず立ち止まって海斗を見た。


後ろを歩いていた人がぶつかりそうになったけど、私はそのまま立ち止まっていた。海斗が「ここにいたら邪魔じゃね?」って目を丸くした。


「長谷川君はいいの? 好きな子がいるのに、他の女子と手を繋いでも」


 もちろん、海斗はほとんど介護の気持ちで繋いでいるのは分かる。でも、私としては申し訳ない気持ちになってしまう。


「……俺さ、彼女がいるわけじゃないんだから、義理立てする誰かはいねえじゃん。彼女がいたら、絶対に他の子と手を繋いだりはしないけど。今はおまえとはぐれないことの方が重要だから、別にいい」


 私は立ち止まったまま少し考えた。


「確かに、何も間違っていないような気がする……」


「おう、俺は間違わない」


 海斗は声を出して笑いながら、私を歩かせるように手を引っ張って歩き出した。

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