7・好きな人

第14話

「それって、デートのお誘いじゃない?」


 休み時間に教室前の廊下で美沙に海斗と映画へ行くと話したら、美沙は私の耳元でそう囁いた。


 どうしても、そっちへ持って行かれてしまうのか……。


「違うよ。だって、ホラーだから好きな子や可愛い子は誘えないって言っていたもん」


「だって、長谷川君の好きな子って……」


「私じゃないからね。それはみんなが勝手にそう思っているだけで、お互いに一緒にいて楽な友達なの」


 異性の友達が成立するかどうか、そういう議論って時々聞くけど……。

 きっと美沙は成立しない派なんだろう。表情は分からなくても、納得していないのが伝わってくる。


「どうした? 険しい顔して。何の話?」


 この声とこのメガネは海斗でほぼ間違いないとは思うけど、名乗らないとやっぱり自信が持てなかった。


「あ、丁度良かった。長谷川君の話をしていたんだ」


 美沙が少し高い声を出して名前を言ったから、やっぱり海斗だったと分かった。


「ん? 何の話?」


「長谷川君って好きな人いるの?」


 美沙がま声が上ずったから、海斗はよく聞こえなかったようで私の方を見た。


 このタイミングでこっち見たら、私を好きという意味に取られるじゃない。


「長谷川君は好きな人いるの? って聞いたの」


 私は少し大きめの声で言った。海斗は耳のことはオープンにしていないから、単に美沙の声が小さかったんだよ、ということにする為に。


「ああ、なんだ。いるよ」


 海斗は美沙に向かっていつもの三日月の目を見せた。


「あ、本当にいるんだ」


 思わず私は海斗の顔を覗きこんだ。


「だったら、一緒にお昼とか映画とかって、その子に誤解されて良くないんじゃない?」


「こういう鈍感な奴だけど、こいつが好きなの、俺」


 海斗が相変わらず三日月目で美沙に向かって言った。


 少しの間、私達の立っている周りが静まり返った。


 次の瞬間、男子の冷やかしの声と女子の黄色い悲鳴が廊下中に響き渡って、私は思わず海斗の腕を引っ張って悲鳴が聞こえなくなるまで走った。


「どういうつもりなの?」


 鍵が掛かっていなかった適当な空き教室に逃げ込むように入ると、私は海斗の腕を離して睨みつけた。海斗はここまで走ってくる間も、ゲラゲラと笑い続けていた。


「いや、面白いなって思って。みんな、意外と聞き耳立てているのな」


「ぜんっぜん笑えないんだけど。こっちは必死になって否定してんのに」


 私は勢い良く走って来て息を切らしていたけど、頭にきていてゼイゼイ言いながらも言うことはしっかり言った。


「なんで? おまえの方に好きな奴でもいるの?」


「いないけど。長谷川君って、モテるのがそんなにウザいの?」


「別にそういうわけじゃないけど。やっぱり女の子の高い声って、本当に聞こえにくいんだよな。今も騒がれたんだろ? 注目浴びたのはみんなの視線で分かったけど、女子の声は何となくしか聞こえなかったな」


 それで、女子避けであんな事を言ったというのだろうか。


「長谷川君、本当は今いないの? 好きな子いるっていうのは冗談?」


「――いるって言えば、いるけど」


「……それって――もしかして、声が聞こえにくい子なの?」


 海斗は目の前にあった椅子に座ってそっぽを向いた。きっと、これは図星ということだろう。


 それはちょっと哀しいなあ……。そう思った途端に、涙が溢れてきた。


「なんで泣いているの?」


 海斗が目を大きく見開いた。これはとっても驚いている、ということかもしれない。


「だって、好きな子の声が聞こえないって切ない……」

「はっ? そっちか……」


 私は海斗の隣の椅子に座ると、ハンカチを出して顔を埋めて泣いた。


「おまえ、自分のことでは泣かなかったのに、そんなことで泣くの?」


 お母さんの声も聞こえず、好きになった子の声も……。そう思うと、泣かずにはいられなかった。


「あのね、好きな子の声が聞こえないより、誰の顔も分からない方が不幸だって思えるなら、そう思ってくれていいよ」


 とっても変ないい方をしているのは分かっていたし、自分のことを不幸だなんて思ったことも無いけど、そう考えると海斗が少しでも楽になるなら、と思った。


「なんだそれ。おまえ、ひっでえ顔」


 海斗がまたゲラゲラと笑って私の髪をくしゃくしゃにした。


 結局泣いているうちに休み時間が終わって、みんなには否定することも出来ず、私達はまるで付き合ったかのようになってしまった。

 だから、海斗は好きな子に誤解をされる結果になってしまったのではないだろうか。




「ねえ、なんでここで食べるの?」


 昼休みに海斗が校舎の裏に来たから、私は思わず聞いてしまった。


「……ここに来た時は俺だって分かるんだな。さっき、廊下で名乗り忘れたら分からなかったろ?」


「分からなかったわけじゃないんだけど、長谷川君だっていう自信が持てなかった。ここには長谷川君以外は誰も来ないし、そのランチバッグは覚えた」


「ふうん」


 海斗は私の質問には答えずに、いつも通り隣に座ってお弁当を広げた。


「好きな子に誤解されても良いの?」


「俺の勝手じゃん。それより、土曜日でいいの? 映画。日曜の方がいい?」


 あ、話を逸らした。つまり、好きな子のことは触れるなってことか。


「うん、土曜日で大丈夫」


「葉月はホラーって大丈夫なの?」


「登場人物が混同しちゃって映画は全般そんなに得意じゃないけど、長谷川君がそんなに観たい映画なら付き合うってば」


 海斗は口を開けたまま、少しの間私の方を向いていた。驚いているのかな? 呆れている? やっぱり表情ってよく分からなかった。


「どうかしたの?」


「そっか、顔が分からないと、映画ってダメなのか」


「だから、はじめに断ったじゃん。待ち合わせも苦手だし。そこに気を遣ってくれるなら、今からでもキャンセルしてくれていいけど」


 私はお弁当を広げて箸を取ったけど、なんとなく食べる気持ちになれなかった。キャンセルって言ってくれたら助かるんだけど。


 普段行かない場所で私服での待ち合わせも、人の多い映画館へ行くのも、私には随分と難易度が高いことばかりだった。


「おまえさ、これからどうやって生きていく気なの?」


 唐突に漠然とした質問をされて、私は顔を上げて海斗の方を向いた。


「今はまだ高校生で親と同居しているけど、これから大学生になって社会人になるわけじゃん。どんな仕事をしてどうやって生活して……とか、結婚して……とか」


 これは、人を識別できない状態を抱えてどうやって生きていくんだ? って聞いているのかな。

 普段なら大きなお世話だと言うところだけど、その口調から海斗の心配が伝わってきた。


 たぶん興味本位とかそういうのじゃなくて、きっと友達として気にしてくれているんだ。


「漠然とだけど考えているのはね、大学は今までみたいに友達がいなくても全然目立たなくなると思うの。自分で単位をきちんと取ればいいって聞いているし。だから、何でもいいんだけど……地学でも生物学でも物理学でも薬学でも……どこかの専門課程に進んで4年間勉強すれば絶対に興味も持てるし知識もつくと思うのね」


 たとえば看護士になりたい! とか、CAになりたい! とか、そういう夢は持っていない。顔が分からなくても出来る専門的な仕事を――と、小さい頃からあれこれと考えていた。


「出来れば大学院まで行って、本当にその分野で専門家になって、あまり人と接しないでも研究とか出来るような環境に入れたらベストかな。変わり者が沢山居るような職場で」


 そんな職場を想像したら、自分が一番変わり者になりそうで思わず笑ってしまった。


「恋愛とか結婚とか、全然興味ないの?」


「分かんない。面倒なことは多そうだから、憧れは持ってないかな」


 素敵な彼氏が欲しいって乙女心が無いわけではない。

 だけど、私のことを理解して好きになってくれる人なんていると思えなかった。私の顔面偏差値が高くないならモテないってことは知っている。


 残念ながら、私はメイクというものが出来ると思えなかった。

 顔全体のバランスというものが分からない。それに、綺麗になるために施すなら余計に、その感覚を持ち合わせないと難しそう。

 日焼け止めのように塗るだけなら、ファンデーションくらいは出来るかもしれないけど……。


 メイクができないということは、いわゆる変身に期待ができないということだから。

 スッピンはダメでもメイクすれば可愛い、みたいな子にもなれないのだ。


「憧れなくても、誰かと付き合ったり結婚したりする選択肢はあるってこと?」


「どうかな。でも、結婚は無理だよね。だって、旦那さんはもちろん、旦那さんの家族とか友達とか上司とか誰も顔を覚えられないんだもん。子どもの顔も分からないだろうから……。自分が勝手に一人でいるのはいいけど、家族を犠牲にしちゃダメだよね? それに、出来るだけ人間関係を広げたくないの」


 結婚生活という未来を具体的に考えると、なんだか全然幸せじゃ無いじゃん。結婚の先の未来はすっごい暗い気がしてくる。


「なんか……さっき、おまえが泣いた気持ちが分かった」


 海斗がそっぽを向いて、頬杖をついた。私は泣くのかと思って思わず顔を覗きこんでしまったけど、目が合うと海斗の目は三日月目になった。


「泣いてないじゃん」


「気持ちが分かったって言っただけだよ。土曜日、やっぱり行こうぜ。苦手は克服するためにある! 習うより慣れよ! 何ごとも経験だから、葉月の未来は明るいって」


 いきなり海斗のテンションが高くなった。

 きっと、海斗も私と同じように私の未来が暗いと感じたのだろう。


「だけどね、私は勉強が好きだし、一人でも平気だよ。地味に見えても自分なりの生き方が落ち着いていいと思うの。無理して人の中に入って合わせるより気楽でいい。だから、全然未来が暗いなんて思って無いんだから。ただ、結婚は違うかもしれないって思っただけで」


 そう、賑やかな職場で人間関係を築いてバリバリ仕事するとか、結婚して旦那さんや子どもと一緒に暮らすばかりが幸せじゃないはずだ。私には私の生き方があると思う。


「うん、分かっているよ。でも、何も今から決めることは無いと思う。色んな選択肢からその人生を選ぶようになればいいって。人付き合いも仕事も結婚も、別に今から諦める必要は無いだろ? 可能性はまだいっぱいあるんだからな」


 海斗はそう言うと、土曜日の待ち合わせの場所や時間について話し出した。


 本当に人混みの中で待ち合わせして、土曜日の昼間の映画館という難易度の高い場所に行くのか……。


 私は一気に憂鬱になってしまった。

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