第13話
海斗と二人で勉強するとメチャクチャ集中できてしまって、時間が経つのがとっても早かった。
雪町駅まで海斗と一緒に街灯の少ない道を歩きながら、すっかり遅くなってしまったな、と思っていた。
「長谷川君、家は学校の近くなの?」
「最寄り駅は花吹雪学園だけど、学校からはチャリで十分くらいかな」
「じゃあ、帰ったら九時半過ぎちゃうね」
「あれ? おまえの家、通り過ぎてない?」
改札まで来て、ようやく気付いたように海斗が通って来た道を振り返った。
「うん、長谷川君を駅まで送って来てあげたの」
「もう暗いから、家まで送るよ」
また戻るつもりなんだろうか? と思うと可笑しくなって、笑って首を横に振った。
「大丈夫。家まで大通りで危険じゃ無いから」
立ち止まると、私は改札から見えるホームのベンチを指差した。
「ねえ、三年前にあそこで女の子の遺体が見つかったの、知っている?」
「ああ、この駅だった? そういう事件あったよな」
「ちょうど、睦月と同じくらいの年頃の女の子だったんだよね。その事件があった早朝、この辺一帯に警察が車でアナウンスして回ったの。『七、八歳くらいの女の子の遺体が駅で見つかりました』って。私と両親で慌てて睦月の部屋に飛び込んだのを覚えている」
睦月はそんなことも知らずに、無邪気にベッドで眠っていて安心したのだけど。
あの時、睦月じゃなくて良かったと心底思ってしまったけど、知らない子だったら良いわけじゃないのに、という気持ちでいっぱいになったのも覚えている。
「結局、名乗り出た家族はいなくて……。テレビで全国にも流れていたのに、あの子は未だに身元不明のままなんだよね」
海斗は身体ごと私の方を向いて、真っ直ぐと私の目を見て話を聞いていた。
「なんかね、私とは逆だなって思ったの」
「……逆って?」
「だから、私は人の顔が分からないでしょ? 人にはみんなきちんと顔があるのに、私には誰の顔も分からない。あの女の子はきちんと存在していて顔だってあるのに、誰もあの子の顔が分からない。真逆なんだけど、なんだか私に似ている……って、よく考えていたの」
私がそう言って俯くと、いきなり海斗が抱きしめてきた。
反射的に両手で海斗の胸を押して「何してんの?」と睨んだ。
「ああ、ごめん。泣くのかと思ったから」
「泣くかっ」
少し大げさにケラケラと笑ってみせた。
「っていうかさ、目の前で女子が泣いたら抱きしめるんだ、長谷川君って」
「……女ったらしみたいに言うなよ」
不愉快そうな口調で横を向いた海斗を見ながら、私は「ちがうの?」ともう一度笑った。
まあ、彼が本当に抱きしめたい女子は私みたいな女子じゃないだろう。
そう思うと、海斗の優しさを感じてほっこりする。
だけど、本当は少し泣きたかったのかもしれない。
死んだ時に自分を知っていると名乗り出てくれる人が誰もいないって、とっても哀しいことだと思ってしまう。
きちんと顔も名前もあって存在していた人のはずなのに、死んでしまって顔も名前も無かったものになってしまうなんて……。
それに、私は自分の身近な人が死んでも、遺体を見てその人だって思える自信が無かった。その人の死に顔が分からないと、その人が死んだ実感を得られないような気がする。
「やっぱり、送って行く」
海斗が私の肩を押して、さっき来た道を戻ろうとした。
「えっ、いいよ。大丈夫」
そう言って拒否したけど、海斗に腕を掴まれて家の方へ向かった。
「おまえさ、あの小松って子とか、クラスの女子には話していないの? その、人の区別がつかないこと」
「女子にはなかなか言えないかな。色々とトラウマがあって。まあ、女子は美沙としか仲良くしていないんだけどね。家族以外で理解してくれたのって長谷川君だけだから」
「……俺は、まだ会った時に名乗らなきゃいけないんだよね?」
その言葉で少し考えてみたけど、海斗はほぼ毎回名乗ってくれているし、自転車があれば分かるんだけど……。
「手掛かりが自転車とメガネだけだったら、同じ制服を着た男子の中では難しそうだな。声が覚えられたらいいんだけど……」
声はよほど特徴がない限り、慣れるまでは確実にその人だと思える自信が無かった。
視覚がダメなら聴覚が鋭くなると聞いたことがあるけど。
私の場合は顔の認識ができないだけで見えないわけじゃないからなのかな。残念ながら声の聴き分けに長けているわけでもなかった。
「たとえば人混みの中で私服だったりしたら?」
「絶対に無理。分からないと思う」
そんな話をしているうちに、家の前まで着いたけど、海斗は手を離さずに私の方を向いている。
「あのさ、赤いシマシマ模様の『ウォーリーを探せ』ってやったことある?」
「絵本の? あれは同じ絵を探せばいいだけだから出来るよ。二次元のものは大丈夫」
「じゃあ……実写版ウォーリーを探せ、やってみない?」
私は意味が分からず海斗の目を見ると、海斗は私から目をそらした。
なんでそらしたんだろう? 表情から意図の読み取りはできないから、こういうことを深く考えるのは苦手だった。
「葉月、帰ったの?」
玄関の電気が点いて母の声がしたから、海斗は掴んでいた私の腕を離して「またLINEする」と言って片手を挙げて駅の方へ走り去った。
「ずいぶん遅かったわね。お夕飯は食べてきたんでしょ?」
母がドアを開けたから、私はゲートを開けて中に入った。
「うん、長谷川君って頭が良くて。一緒に勉強していたら凄く集中できた」
「あら、長谷川君っていうのね。お母さん、紹介してもらえなかったわ」
そうだったかもしれない。睦月には紹介したけど、母は家に入れようとしていたから、それを阻止することしか頭に無かった。
「次回があれば、また紹介するね。でも、家の中には入れないから、今日みたいなことはやめてよね」
二階の自分の部屋に入るとLINEの受信音が鳴った。
スマホ画面を見ると海斗からだった。さっき別れたばかりから、歩きながら送っているの?
ベッドの上で寝転がって確認すると、『今度の週末、空いていたら〝実写版ウォーリーを探せ!〟やろうぜ』って書いてあった。
『何それ? どういうゲーム』
『ゲームっていうか、俺と待ち合わせしたらそうなるだろ? 見たい映画があるから、付き合えよ』
『断る。そういうのは可愛い子か好きな子誘いなよ』
『ホラーだから、そういう子は誘えない。ペア招待券が当たったんだ。映画なら男と二人より女子の方がいいかなって』
海斗にとって気軽な女友達なのは分かったけど、私の外で待ち合わせすることの難易度の高さを分かっていないんだろう。冗談じゃなくて、本当にリアルなウォーリーを探せ状態になる。
小さくため息をついて、またメッセージを打った。
「赤いシマシャツ持っているの? 目立つ格好じゃないと、本当に探せないんだから。待ち合わせで会えても、映画館に着く前にはぐれるよ」
「分かった。シマじゃないけど、赤いシャツ着て行けばいい?」
「そこまでして観たい映画なら、付き合ってやる!」
半ば自棄になって返信して少し後悔した。待ち合わせほど苦手なことは無い。
それでも「サンキュー」って嬉しそうなスタンプが来て、まあいいか、と思った。
私はホラー映画なんてそんなに興味も無いけど別に恐くも無い。とはいえホラーを観たいという気持ちは分からなかった。
それでも、今まであまり人が喜ぶことをしてこなかったから、海斗がちょっとでも喜んでいるならいいや、という気持ちになったのかもしれない。
それに、私自身も海斗と出かけるということに興味を持っているのだと感じていた。
だからといって、不安や恐怖の方が大きいから楽しみなわけではないのだけど……。
「葉月ちゃん、お風呂どうぞ」
部屋のドアをノックして、睦月の声がした。
「はーい」と返事をすると、ドアを開けずに「入っていい?」って聞いてきた。
睦月とは私が小学生の頃まで一緒の部屋だったけど、私の中学入学を機にお互い一人部屋になった。それからはお互いにプライバシーを守る約束で、ノックをして許可があればドアを開けるという決まりがある。
「いいよ」と言うと、睦月が勢い良くドアを開けて、私の寝転んでいたベッドの上に飛び乗った。
「ねえねえ、葉月ちゃん! さっきの王子様みたいなお兄さん、本当に彼氏じゃないの?」
イケメンだという海斗の外見がとっても良かったようで、睦月が興奮気味だった。
お風呂上りで洗い立ての髪から雫が落ちてくる。
「ちょっと、ちゃんとドライヤーで乾かしてからベッドに乗って」
「そんなことより、あの王子様とはどうやって知り合ったの?」
睦月が黄色い悲鳴のクラスメート達と同じようなテンションで少しうんざりした。
「学校に決まっているでしょ。長谷川君が主席入学で、お姉ちゃんは次席だったの」
「主席入学と次席ってなあに?」
「受験の時の成績が一位と二位だったってこと。イケメンと知り合いたかったら、睦月もお勉強頑張りなさい」
「そんなの、たまたま葉月ちゃんの学校はイケメンが一位だっただけでしょ?」
睦月が大笑いして、私に抱きついてきた。この子はすぐに抱きついて甘える癖がある。顔は分からなくても、そういうのは可愛いと思えた。
「お姉様とお呼び。……私はイケメンって分からないから全然普通に話せるけど、クラスの女子達はみんな、イケメン過ぎて緊張するみたいだよ」
「そうなんだ。あんな素敵な人の顔も分からないんだね。足も長くてカッコいいよね」
素敵でも素敵じゃなくても、私には誰の顔も分からないからね。
顔もだけど足が長くてカッコイイ、というのも実は分からない。『足が長い又は短い』までは分かるのだけど。
どうして長いとカッコ良くて短いとカッコ悪いのか、その感覚は分からなかった。
ずっと興奮気味の睦月を置いて、私はお風呂に入る準備をした。
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