6・届かない声
第12話
放課後、家に寄って数学のノートを取ってから近所のファミレスに行くことにした。
海斗と一緒に家まで行くと、小さなゲートの前にある階段に小学生の女の子が二人座っていた。たぶん、どちらかが睦月でもう一人はお向かいに住む
二人とも髪の長さは同じくらいで肩まである。
一人は下ろしてカチューシャをしていて、もう一人は編み込んだアレンジヘアで二つに結んでいた。洋服も二人でよく取り替えっこして着ているから、どっちがどっちか本当に分からない。
「葉月ちゃん、お帰りなさい! 何、この王子様みたいな人!」
「このすっごいカッコイイ人、誰? 葉月ちゃんの彼氏?」
似たようなテンションの甲高い声で二人が同時に話し掛けるから、余計にどっちがどっちだか分からない。たぶん、顔のパーツからカチューシャが睦月だとは思ったけど自信は持てなかった。
「同じ高校の長谷川海斗君。長谷川君、私の妹の睦月とお向かいに住む陽菜。二人とも六年生。私は部屋に数学のノート取って来るから、睦月と陽菜は自分で挨拶しておいてね」
私は妹さえどちらか分からなかったけど、本人がちゃんと自己紹介するだろう。
「お帰り、早かったのね」
母がキッチンから顔を出した。少し距離があると、顔のパーツさえもハッキリ見えない。
だけど、距離があれば顔を気にしなくて済む。ただそこに人がいると認識するだけだから。
「友達とそこのファミレスでテスト勉強してくるね」
「えっ? 友達?」
声の調子で母のテンションが上がった事が分かった。もうずっと友達なんて連れて来なかったから、当然といえば当然だろう。
だけど、まだ思春期が終わったと言うには早い女子高生には、そういう母の反応をうっとおしく感じながら階段を上がって部屋に行った。
「あらぁ、家で勉強していったら? どうぞ、上がってちょうだい」
階下からそんな母の声が聞こえて、私は慌てて階段を駆け下りた。
海斗が玄関まで入って来ていたけど、靴は脱がずに「もう行きますから」と言っていた。表情は読めなくても、困っているのはよく分かった。
「お母さん、ファミレスで勉強して来るから。行って来るね!」
強い口調で母に言うと、私は海斗の腕を引っ張って家を出た。海斗はまだ家の前にいる睦月と陽菜に手を振りながら、ゲラゲラと声を上げて笑っていた。
「長谷川君がいたら、家じゃ勉強になんてならないの、分かったでしょ?」
私は少しふて腐れて、すぐ近くにあるファミレスまで案内した。
「いや、いいお母さんに可愛い妹がいていいよ」
もう笑い声は立てていなかったけど、海斗はたぶん笑顔だった。目が三日月になっていたから。
「ところで、カチューシャしていた方が妹の睦月だった?」
「ああ、当たり。あの二人は背格好も声質もよく似ているよな」
「そうなの。だから、いつもすぐには見分けられなくて。実の妹なのにね」
私は小さくため息をついて、案内された窓際のソファー席に座った。
「俺は、実の親の声が分からなかった」
海斗は向かい合って座ると、窓の方に顔を向けて頬杖をついた。
私は何を言われたのかよく分からなくて、海斗の横顔を見つめた。黙って横を向いて静止してしまうと、また真正面とは違う印象になって同じ人なのか自信が無くなる。
「俺さ、実は葉月と一緒にいて楽な理由がもうひとつあるんだ」
相変わらずこちらを見ずに、窓の外へ視線を送っている。
「日常生活にはそんなに支障は無い……ようにしているんだけど。俺はさ、高い音が聞こえにくいんだ。特に女子の声が聞き取りにくい。男子でも声質によっては割れて聞こえたりして。つまり、人の声を聞き取るのが得意じゃない」
それから、ようやく私の方へ顔を向けた。海斗の瞳が私の方を向いているのがわかる。
「だけど、葉月の声はハッキリ聞こえる。アルトの澄んだ声で、俺には凄く聞き取りやすい音なんだ。人との……特に女子との会話でストレスが無いって貴重でさ」
「――そうだったんだ。じゃあ、もしかして今朝の女子達の黄色い声も聞こえてなかったの?」
「ああ、そういう声はほとんど聞こえない。ごめんな、俺が知らないうちに、葉月は騒がれて嫌な思いをしていたんだな」
海斗は手を伸ばして、私の頭の上に手を置いてポンポンと軽く叩いた。こういうの、クラスの女子達が見たら黄色い声が上がるところかもしれない、と思うと苦笑いしてしまう。
「うちの母親の声はすげえ高音でさ。小さい頃は聞こえていたみたいなんだ。でも、物心がつく頃にはほとんど聞こえなくて。音として聞こえても、言葉としては聞き取れない。振り向くと母親が泣いていることもあったな。親父の声も兄貴の声も聞こえるのにな。色々と試して、ボイスチェンジャーのソフトを使って話が出来るようになった」
海斗の口元は口角が上がって笑っているように見えるけど、目は泣いているように見えた。今はどんな気持ちなんだろう……。
「今でも母さんの本当の声はほとんど聞こえなくて、スマホやパソコンを通さないと喋れないんだ」
やっぱり涙は出ていないけど……。海斗の目が哀しそうに感じて、泣いているようにしか見えなかった。
今にも涙が出てきそうで、私は思わずポケットの中からハンカチを取って海斗に差し出した。
「なに? 俺、泣いているように見えるの?」
海斗の目がいつもの三日月になって、まるで笑っているんだとアピールしているようだった。
「涙は見えなかったけど、これから泣くような気がした」
「泣くかよ」
声を出して笑いながら、海斗はメニューを私に見せるように広げた。
「まだ注文もしていなかったな」
私は気付かなかったけど店員さんが注文を待ち構えていたようで、メニューを広げたら呼び鈴を押してもいないのに寄って来た。
「でさ、数学と古文だけど、あの担当教師二人も声が高いじゃん? 俺、ほとんど聞こえないんだよな。だから、中間試験は酷くてさ」
注文を取って店員が去った後、海斗は笑い声交じりに話した。
「あの高校さ、えげつないよな。今は競争させないって意識の強い世の中だろ? なのに、進学校だかなんだか知らねえが、相変わらず主席と次席だけは発表するだろ?」
「――――中間もやっぱり学年トップだったじゃん。主席だったでしょ?」
「いや、数学と古文だけはおまえがトップだったんだ」
私はそうだったかな? と首をかしげて考えた。
「総合的に学年で次席だってことしか記憶に無いけど」
たぶん中間試験が終わった後に、廊下に主席と次席だけ貼り出されたのと、先生に口頭で次席だったと言われたくらいだと思うけど。
「そんな細かい情報、なかったよね?」
「ハハッ。個人的に聞きに行ったんだよ。満点じゃなかったのが数学と古文だったから、それがトップだったのかどうか」
「……そうなんだ」
わざわざ聞きに行くんだ、と言いたくなったけどそこは本人の自由だと思えた。
よくわからないけど、なにか順位にこだわりがあるのかもしれない。
「だからさ、あいつらの声を聞き取りにくくて、ノートをきちんと取れないから写させて欲しいんだ。葉月のクラスも教科担当は一緒だろ」
私は二冊のノートを鞄から出して「どうぞ」と差し出した。
「サンキュ。すげえ見やすいな、葉月のノート。字もしっかりしていて葉月の字って感じだな」
そんなことを言いながら三日月の目を見せる海斗を見て、私は少しだけ親近感が湧いた。
この人もコンプレックスをバネにして勉強を頑張ってきたのかもしれない、と思えたから。
「だけど……おまえにしてみたら、ライバルに協力しているみたいなものなのかな」
私が英文法の問題を解き始めた時、ふいにノートを写す手を止めて海斗が顔を上げた。
「ライバルに協力?」
「だって、俺が聞き逃さずにちゃんと勉強したら、数学も古文も全部トップになっちゃうだろ」
海斗は清々しいほど自信満々だった。
「別に、順位争いをする気は無いから。長谷川君が実力でトップを取れるならそれがベストでしょ?」
「確かに、葉月はトップとか関係無さそうだったもんな」
持っていたシャープペンシルを片手でクルクルと回しながら、海斗の目が私を見ている。
「長谷川君は順位に興味あるの?」
「順位というより、いつも満点を取るつもりでいる。だから、トップで当然なんだ」
たしかに、全て満点だったら自動的にトップになる。
「中間では古文も数学も授業で話したことを聞き逃していて、満点では無かったんだ。葉月も全教科満点を取って、一緒にトップになろうぜ」
海斗はまた三日月の目になったから、きっと笑っているんだろう。
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