5・友達

第11話

次の朝、雪町駅の改札へ向かうと階段横にある、あの女の子の写真が目に入った。

 やはり美沙の鼻と口はよく似ている……。

 あのベンチに白い花束を置いた意味を考えると、あの子と美沙が無関係だとはどうしても思えなかった。


 そんな想いを巡らせているうちに花吹雪学園駅に着いていた。


 改札が見えると、女子達が集まっている賑やかな様子が見えた。私は出来るだけその女子達の顔を見ないようにして改札を通って足早に学校へ向かおうとした。

 あの子たちが美沙や昨日少し話したクラスの女子達じゃなければいい、なんて思いながら。


 そのとき改札の横でチリンチリンと、煩く自転車のベルを鳴らす音が響いた。


 ああ、思い出した。海斗と改札で待ち合わせていたんだった。

 そして、その海斗に女子達が群がっていたんだ、ということも、彼を振り向いて理解できた。


 女子達の顔は判別できなかったけど、「葉月ちゃん、おはよう!」という明るい声たちに、まとめて「おはよう」と笑いかけたら何とかその場をしのげたようだった。


 海斗が私の方へ近づくと、また黄色い声を上げながら女子達はそれぞれ散るように学校へ向かって行った。


「おまえ、普通に一人で行こうとしなかった?」


「女の子達が沢山いたから、それを避けて長谷川君を探そうと思っただけだよ」


「そうか? 素通りしたようにしか見えなかったな」


 海斗はまた片側だけ口角を上げて、私には読めない表情をした。


「ま、ここで待ち合わせは難しいかな。なんで女子達はあんなに俺とおまえに興味があるんだろうな」


『俺とおまえ』じゃなくて、明らかに海斗に興味があるんだと思うけど。海斗が私に構い始めた途端に、みんなが私に声を掛けるようになったんだから。


「お陰さまで、目立たないようにしていたのに、最近メチャクチャ目立って困るんだけど」


 海斗は少しの間、私の顔を見ていた。表情は全く分からなかった。所謂、無表情というものだろうか……?


「葉月は入学した時から目立っていたよ。別に俺のせいじゃないと思うけどな」


 目立っていた……?

 できるだけ人に接しないようにしていたのに。


 もしも目立っていたとしたら、恐らくそれは悪目立ちだろう。


 確かに友達を作らない人が目立つのは分かる。女子は群れる生態を持つ生き物だから、違う行動をすると新種の生物並みに目立つかもしれない。

 それでも、そういう目立ち方のうちは放っておいてもらえた。


 だけど、そんな新種の生物がイケメンで友達も沢山いて女子にも人気の高い、逆の意味で目立つ人と一緒に居たりすると、その途端に興味を持って話し掛けられてしまうのかもしれない。


「それとも、俺と一緒に居るのが苦痛だったりする?」


 そういう気にされ方をされると、それは違うと思えた。海斗と話すようになって楽しくなったのは確かだった。


「ううん、それは無い。私のこういう変なところを知っても理解を示してくれる人なんて貴重だもん。私も長谷川君と話していると楽だから」


 ただ、心を開きすぎてしまうと、また閉じなければいけなくなることを警戒してしまうのだけど。いつでも一人で過ごす日々に戻れるように、心の準備をする必要があった。


 友達って移り変わるものだというから。私には友達ができなくても海斗には沢山いる。私への興味が薄れたら去って行く、ということを常に念頭に入れておこうと思っていた。


 普段は澄まして友達はいらないと思っているけど、私は傷つくのが恐いのだ、ということは自覚が出来ている。

 傷つくくらいなら一人でいるほうが楽だから。


「それなら良かった」


 海斗はたぶん、笑ったのだろう。目はきちんと見えなかったけど、そんな感じの声だった。

 そして、また私の頭に手を乗せて髪をくしゃくしゃっとした。


 キャアッ! という黄色い歓声が上がって、やっぱり周りでは女子達が注目していたのか、ということに気付きながら校門を通った。


「長谷川君と話すのは楽だけど、やっぱりこういう環境は精神的に楽じゃない。そういうことするのはやめて」


「こういう環境って?」


 海斗が周りを見渡した。


「ああ、女子達がチラチラ見ているから?」


「それもあるけど、さっきの『キャアー』ってやつ。あれ、何度聞いても慣れない」


「……ふうん」


『ふうん』って……。

 キャアキャア言われたくてやっているのだろうか?


 海斗はそんなタイプだとも思えなかったから、少し不思議な気がした。



「今日さ、放課後に一緒に勉強しないか。期末試験も近いし、出来れば数学と古文のノートを見せて欲しいんだ」


 自転車置き場に自転車を停めると、海斗は私の肩を軽く叩いて昇降口へ促した。


「いいけど、数学のノートは家に置いて来ているかも。今日、数学ないし」


「そっか。じゃあ、おまえの家に行ってもいい?」


 友達を家に連れて帰ったりしたら、母も妹も大興奮で勉強どころじゃないかもしれない……。しかも男子だったら尚更。

 そのうえ、海斗は超イケメンってことだし……とてつもなく大騒ぎになることは間違いないだろう。


「すっげえ、困った顔しているな。無理だったらいいって。葉月ん家の近所のファーストフードとかファミレスでも行こう」


 海斗にゲラゲラと笑われた。そんなに変な表情をしていたのだろうか?


 昇降口で海斗は男友達数人と合流したから、そこで手を振って別れた。その途端、またクラスメートらしい女子たちに取り囲まれた。


「やっぱり、付き合っているんじゃないの?」


「長谷川君とどんな話をするの~?」


「また、髪くしゃくしゃしていたね!」


 きゃあっ! って、歓声のような悲鳴のような声が上がって、テンション高く盛り上がっていた。


「長谷川君とはいい友達で付き合ってはいないよ。ノートを貸して欲しいとかそんな話をしたかな。髪くしゃくしゃは迷惑しているからやめてって本人に伝えている」


 と、一応全部に答えると、女子達は私の方に顔を向けて口を閉じた。


「じゃあ、私ちょっとトイレに寄ってから教室行くから、先に行っていてね」


 笑顔を作ってそのまま昇降口で上履きに履き替えて、教室へ行く階段とは別の方向のトイレへ逃げ込んだ。


 ああやって囲まれてしまうと、対人恐怖症かと思うくらい変な緊張感に襲われる。

 というか、本当にこれは対人恐怖症と言えるのかもしれない。そういうのに負けたくないという気の強さが普通っぽく装ってしまうのだけど。


 トイレの鏡に向かっても、自分の動きと鏡の動きが合うかを確認して、初めてこれは自分だと認識できる。鏡を何度見ても、目の前にいる女子高生が自分だという自信が持てない。


 私は通学バッグからヘアブラシを取り出して、胸まであるストレートヘアを梳かした。前に美沙に言われた『髪が綺麗』は分かる。元々は本当の直毛ではないけど、ヘアアイロンでストレートパーマ並みに綺麗に出来るから。


『肌が綺麗』も分かる。日に当たらないから日焼けもしていなくて白く、毛穴も開いていないしニキビも出来ない体質だから。


 でも、顔の美醜は相変わらず分からない。分からないだけ幸せなんだと思うけど。



「なあに? 鏡を見つめて。『この世で一番美しいのは誰?』って言っているの?」


 からかい口調の、聞き覚えのある鼻に掛かった声が女子トイレに響いた。


 ドアの方を振り向くと、白いフリルのついた黒いシュシュでポニーテールをしている女子が立っていた。口元のほくろに大きな瞳、こんな風に気さくに話しかけてくる女子はほぼ美沙で間違いが無いだろう。


「まさか、私の目は大きくないなって思って。美沙は大きいよね。きっと可愛いんだろうな」


 思わずそんな言い方をしてしまったから、美沙は大笑いした。


「本人を目の前にして『きっと可愛いんだろうな』って、変な言い方」

「ああ、そうだね。ごめん、可愛いよ」


 正直言って私には分からないから、『可愛い』なんてとってもいい加減な言葉なんだけど。


「もう少し小顔だったら、きっとじゃなくて、本当に可愛かったんだろうけどね」


 顔が小さかったら……? 


 確かに、美沙の顔は小さくは無かった。大きい方かもしれない。

 だけど、それと可愛い可愛くないがどう繋がるのか、私にはよく分からなかった。やっぱり、目が大きいイコール可愛い、というほど単純なものではないのだろうか?


 それでも私の経験上、目が大きい子は可愛いと言われてきたんだけどな。


「葉月って、やっぱり面白いね。こうやって一対一で話すと全然感じないけど、本当はコミュ障か何かなの?」


「こみゅ……何?」


「だから、コミュニケーション障害。けど、普通に会話も成り立つし、話していると全く変な感じもしないんだけどね」


 美沙が首をかしげながら、こちらに顔を向けている。


「ああ……、それに近いかも。複数の人と話すのって苦手なの。誰が何を言ったかとか、そういうの記憶するのも苦手だし。多分、それほど人に興味が持てないんだと思う」


 いい人を演じすぎても疲れる。どうせ顔が覚えられないから、そのうち化けの皮は剥がれるだろう。

 だったら少し好感度を下げて、私と仲良くしたいと思わせないようにしたいと思った。


「なんとなく沢山で群がっていて周りに友達がいると人気者、一人でいると友達がいない暗くて寂しい人って構図があるけど、私はそういうのどうでもいいんだ。沢山の人と一緒に居ると疲れるし、一人の方が楽なの。多分、私を仲間に入れてくれようとする子達にも、そのうち失礼なことを言っちゃうのも分かっているからね」


「そう……葉月は正直だね。羨ましいな、そう言えて実行できるって」


 美沙の目は泣きそうだけど、口元は笑っているように見えた。これは、どういう表情なんだろう……?


「だけど葉月は別に一人でいても、暗くて寂しい人だなんて誰も思っていなかったよ。なんていうか、一匹狼っぽい他人を寄せ付けないところはあるけど。多分、私が喋ったり一緒に買い物に行ったり出来たから、みんなも葉月と友達になりたいって思って声を掛けてきたんだと思う」


「えっ? そうなの? 長谷川君と一緒に居るようになったからじゃなくて?」


 そういえば美沙と話し始めたのも、海斗と話し始めたのと同じ日だった。


「長谷川君はね、イケメン過ぎて成績も学年トップでしょ? 女子の間では手の届かない存在なんだよね。だから、長谷川君が葉月を好きなんだろうって噂が出ると、それを応援することで楽しんでいるというか、テレビドラマとか少女漫画の主人公を応援するようなノリで……。まあ、葉月には迷惑な話だろうけど」


 たしかにそれは迷惑かも。私と海斗がそんな関係じゃないといくら否定しても、その噂が消えないのはそういう事情なのか……。


「だけど、みんなが葉月に声を掛けるのは、長谷川君じゃなくて葉月と友達になりたいからだよ。大体、長谷川君って女子が集まって何か話しかけても、困った顔してあまり話してくれないし」


「えっ? そうなの?」


 海斗はフレンドリーに誰とでも話すタイプだと思っていたから、私には少し意外だった。


「でも、私はやっぱり複数の女子の中でお弁当を食べるとか、みんなでお喋りとか、そういうの難しいんだ」


 予鈴が鳴ったから、私はブラシを鞄に仕舞って美沙と一緒にトイレから出た。


「個別ならいい?」


 美沙が低い声を出したけど、表情は読み取れなかった。笑っていないことだけは確かだ。


「個別って、友達希望の女子みんなと個別で喋るの?」


 それって拷問並みにキツい。一人ずつ会って喋ったにも関わらず、次回会った時に誰か分からなくなる可能性が大きいのだから。


「……じゃなくて、私は葉月と仲良くなれたと思っているんだけど。また一緒にお茶したり買い物したりできる?」


「うん、勿論。私も美沙と仲良くなれて嬉しいし」


 それは本心だった。やはり女同士のお喋りというものは楽しい。何より美沙は落ち着いていて話しやすいし、気遣いのある優しさを持っていて好きだと思えた。


 私の携帯のアドレス帳に二人目の友達の名前が登録された。


 だけど、同時にもう一度心を閉じる準備をする人が一人増えたのだとも言える。それでも、美沙には自分の事情をカミングアウトはしていないから、まだ自分を守っているように思えた。

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