4・噂

第9話

席替えの前は廊下側の席だったから、昼休みになるとすぐにお弁当を持って外へ出ていけた。だけど今は廊下から遠くなってしまって、外に出ようとした時に「香山さんもこっちで一緒に食べない?」と数人の女子達のグループに誘われてしまった。


 もしかして、今朝昇降口で一緒になった女子達だろうか? みんなで明るい声で誘ってくれた。ここで断るのは態度が悪いかもしれないけど、とてもじゃないけど顔も名前も認識できない複数の女子を相手に話が出来る自信は無かった。


 今をやり過ごすことは出来ても、昼休みが終わって放課後に顔を合わせた時には、もう誰が誰だか分からないのだから。


 私が顔面蒼白で固まっていると、「いいから、おいでよ」と美沙と思われる女子が私の背中を押した。この女子達の中に入ると、昨日一緒に出かけた美沙さえも認識が危うくなる。


「ごめん、葉月はこの長谷川海斗と先約があるんだ」


 海斗が律儀に名乗りながらドアから入って来て私の手を引くと、女子達がまた黄色い声を上げた。


 私のことを気遣ってくれたのは凄くありがたいし、実際に女子たちとお昼は一緒に過ごせないから本当に助かるんだけど。

 また誤解が膨らんでいくのが申し訳なかった。


 階段を降りて昇降口まで行くと、私は海斗の手を振りほどいた。


「ありがとう、助けてくれて。だけど今ね、すっごい噂になっているの知っている?」


「助けるって? 昼に行くって言ったじゃん。おまえ、忘れていたの?」


 そういえば、言われたかもしれない。そうか、本当に先約があっただけなのか。


 とはいえ、忘れていたと言うのはあまりにも失礼だと思えた。それに、噂のことは海斗の耳にも入れておかなきゃ。


「あのね、長谷川君が告白して付き合ったとか、そんな噂が立っているみたいなの」


 海斗は私の方は見ずに靴に履き替えて、私が履き替えるのを待っていた。


 私は立ち止まったまま海斗の目を見た。


「長谷川君って、イケメンで人気があるんでしょ? 私みたいなのがまとわりついていたら、本当に彼女なんて出来なくなっちゃうよ」


「まとわりついているの、俺の方じゃん」


 そう言って笑った表情をしたのが分かった。海斗は笑うと三日月のように目頭も目尻も下がる。


「確かに、私はまとわりついていないかもしれない……」


「ハハッ。とりあえずここにいても仕方が無いから、靴履き替えたら?」


 私は促されるまま靴を履き替えて、いつもの校舎の裏に向かった。


「それに、『私みたいなの』って言い方はどうかと思うけど」


「…………私さ、自分の顔も認識できないから、自分の顔にコンプレックスとか一切ないのね。それを大前提で話すけど、可愛い女の子って目が大きい子だっていう定義があるのは分かっているの。だから、私は目が大きい方じゃないのも知っているし、一般的に顔が可愛いわけじゃないっていうのも分かっているんだよね」


 いつもの場所に着いたから、三段ほどあるコンクリートの階段に腰を掛けた。


「長谷川君は超イケメンで人気者みたいだし、たとえ噂だけでも、友達のいない可愛くない子が彼女と言われるのは申し訳ないなって思って」


 海斗も隣に座ると、お弁当箱を広げて箸を取った。


「関係ないじゃん、そんなこと」


 何だか口調が怒っているような感じがした。海斗が暫く黙ってひたすらお弁当を食べていたから、私も黙ってお弁当を広げた。


「……大体さ、どんな噂があっても、俺に好きな子ができたらその子に本当のことを言えばいいだけだろ? 葉月は気にしなくていいって」


「まあ、そうだね。分かった。……って言うか、そうやって名前で呼んだりしたら誤解が深まるけどね」


 海斗はどこか、わざと誤解をさせて遊んでいるような気さえした。


「今朝から名前で呼んでいるんだけどな。葉月って八月生まれなの?」


「そう、単純な名付けだよね。妹は一月生まれだから睦月って名前だし」


 母親が三月生まれで弥生という名前だから、そこが始まりなんだけど。


 少しの間は、そんなどうでもいいお喋りをしていた。


「……失顔症ってヤツだよな? おまえのその顔を認識できないってやつ。意外と有名なものなんだな。ネットで調べたらいろいろと出てきた」


「ううん。そういう名前の診断を受けたこともあるけど、それには当てはまらないだろうって医者もいて。顔の美醜も分からないこともあるし、人の顔を覚えられないだけじゃなくて、顔ってもの自体が分からない。体型はわかるけど、それも区別がつきにくくて。多分ね、人だけじゃなくて三次元の生物を覚えることが出来ないんじゃないかな」


 海斗は箸を置いて、私の頬に右手を当てた。


「自分の顔も分からないの?」


「まあね。私は先天的なものだから、物心ついた頃から顔ってものが分からないの。ずっとそうだから、別に自分の顔が分からなくても不幸だと思ったことは無いけどね」


 何となく同情されたような気がして、少しだけカチンと来ていた。


 海斗が小さく声を出して笑ったのが分かった。


「いや、可哀相だと思うよ」


 私はムッとして海斗を睨みつけた。


「ところで朝言っていた、おまえと話していても俺は楽じゃないだろうって話、あれって結局どういう意味なの?」


 私の機嫌なんてお構いなしで、海斗はまた箸を持って食べ始めた。


「顔の識別だけじゃなくて、表情もあまり理解できないんだよね。目や口角の動きで笑っている顔、泣いている顔、怒っている顔……くらいは大抵は分かるんだけど、これはどういう表情なんだろう? って分からない表情が沢山あるの」


「ああ、そういうケースはネットにも書いてあった」


 お弁当に目を向けたまま、海斗はそっけない口調で言った。


「だから、人の気持ちは分からないわけじゃないんだけど、表情で何を考えているか察するのが苦手なんだよね。そういう人と話すのって、疲れると思うってこと」


「どうかな。俺はその方が楽だと思うな」


 海斗はまた三日月のような目で笑っていたようだ。そして、食べ終わったお弁当箱を閉じると、私のお弁当箱に残っていた玉子焼きを一つ取って自分の口へ放り込んだ。


「女子ってあれこれ気ぃ遣うじゃん。ああいうの、苦手なんだよね。気疲れしないのかな? って思っちゃって、こっちが気になって疲れるんだ。だから、おまえみたいに人の感情がよく分からないくらいが丁度いいな」


「……そうなの? だったら、本当に丁度いいかも。でも、無神経なことを言うかもしれないから、その時は教えてね」


 そう言った時に見た海斗の表情は読み取れなかった。笑ったような哀しそうな、何だか不思議な表情をした。

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