3・イケメン
第8話
次の朝にはベンチの上にあった花束は無くなっていた。
美沙が取りに来たのだろうか……? 置き忘れたなら、そうだろう。
若しくは、駅員さんに回収されたか。一晩も忘れ物を放置されることはないと思えた。
普通に考えたら美沙が取りに来たのだろうと思うのだけど。
やっぱり、美沙はパーツが似ているあの女の子を知っているのではないかと思えてならない。
あの子の誕生日が昨日だったのだろうか……?
あの女の子が見つかったのは1月だった。亡くなった日なら無関係の人でも花束を置くのは分かるような気がする。
だけど6月に置くのは何か意味があるのではないだろうか。
そんな事をいくら考えても仕方が無いけど、美沙にストレートに聞こうとも思っていなかった。彼女に話すつもりがあったら、昨日のうちに話しているような気がしていたから。
それに、クラスで美沙と関わってしまうと、他の女子とも関わることになってしまいそう。できれば覚えられない人を増やすよりは、今まで通り静かに一人で行動したいと思っていた。
「香山、おはよう。長谷川海斗だ!」
ふいに後ろから自転車で海斗が現れて、ブレーキを掛けて停まった。目立つ存在の海斗が不自然に名乗ったからか、あちこちからクスクスと笑い声が聞こえた。
「おはよう、長谷川君。あのね、自転車は認識できるから、朝は名乗らなくて大丈夫かな。なんか、笑われているみたいだし」
「あははっ。別に気にしないよ。名乗らなくていいなら、名乗らないけど」
「あ、自転車が無い時は名乗ってくれないと分からないかも。とういことで、またね」
私はそう言って手を振ると、海斗が私の顔を覗きこんだ。
「なんだ、それ。一緒に歩くなってこと?」
「えっ? なんで自転車があるのに歩くの?」
学校まですぐだから歩いても負担ではないだろうけど、いつもは声だけ掛けて通り過ぎるのに。
「あっ、私になにか用事があった? 昨日の帰り、話があったりしたの? 美沙が気にしていたの」
「いや、別にそういうわけじゃないけど」
海斗は片手で自転車を押しながら、片手でメガネを直して髪をかき上げた。
「昨日も言ったじゃん。香山と話していると気を遣わなくて楽なんだ」
ああ、そんなことを言っていたな。この人と一緒にいると目立つから、できればあまり人に見られないように過ごしたいけど……。
だけど、そういうのが苦痛なのは海斗自身も同じなのかもしれない。海斗も好んで見られているわけではないだろうし、見られているからこそ、息抜きをしたくなるのかもしれない。
「長谷川君ってイケメンなんだってね。女子達が噂しているよ」
「そうか。……おまえには分からなくて残念だったな」
海斗は片方だけ口角を上げていた。これは、笑っているのだろうか?
「顔が分からないから困ることは多いけど、長谷川君の顔が分からないからこそ、普通に話せるのかも。イケメンだと話すのに緊張するんでしょ?」
「知るか。俺は男だから、イケメン男子と話しても緊張しないからな」
それは、そうかもしれない。私は思わず笑ってしまった。
イケメンってカッコイイ顔の人のことを呼ぶのは知っている。だけど、美醜の分からない私はその認識ができない。
目の形が細いとか丸いとか、そういうのは分かる。鼻が大きいとか細い鼻だとか、唇が厚ぼったいとか口が小さいとか……そういうのは分かるんだけど。
だから、具体的にくっきり二重瞼で目が大きいのは可愛い女子の代名詞、というのは認識できるようになった。私自身がそれを可愛いと思えるというわけではないのだけど。
かわいいと言われる人は、タレントでも一般人でも瞳の大きい女の子が多い。
たぶん、大きな瞳で細い鼻の美沙はかなり可愛いという部類ではないかと思っている。
だけど、男子の方は特に難しい。何がイケメンなのかよく分からなくて。目が細くてもイケメンと呼ばれる人はいるし、きっとパーツではなくてそのバランスなんだろうと思う。それが私には分からなかった。
そして、イケメンだと顔を見るだけでドキッと胸が高鳴ったり、カッコイイから赤面したり緊張したり、というのは本当によく分からなかった。
「男子は可愛い女子を見ると、顔を見るだけでドキドキしたりするの?」
イケメン男子には緊張しなくても、海斗だって美醜の認識が出来るならそういうのは分かるんじゃ無いかと思った。
「まあ、好みの顔だったらするんじゃない?」
「なんか他人事みたい。長谷川君はしないってこと? 顔の認識が出来ても、顔だけでときめいたり気になったりはしないの?」
「……おまえ、恥ずかしくないの? そんな質問」
海斗が私の髪をくしゃくしゃっとして、ちょっと赤い顔をしていた。
なんだか周りから黄色い悲鳴が上がった気がするけど……。
「周りの女子達、長谷川君を見て騒いでいるの?」
「知らねえよ」
まだ海斗は顔が赤かった。これって…………。
「大丈夫? 具合悪いんじゃない? 顔が赤いよ」
「そういう認識は出来るんだな。けどズレてるよ、おまえ」
ズレてる?
そっか、海斗の言いたいことが少し分かるかもしれない。きっと表情を見て分かるような何かがあるということだろう。
だけど、私は表情を読み取ることが難しい。
「ごめん。たぶん、長谷川君は私と話していても楽じゃないと思うよ」
さっきまでの顔の赤みが一気に引いて、海斗が私の方に首を向けた。そして、海斗の瞳は私の顔を見ていた。
「どういう意味?」
「だから、他の子たちみたいなハイテンションではないのは確かなんだけど……。普通なら分かることが私には分からないから、違う意味で疲れると思うって言ったの」
「だから、違う意味ってどういう意味?」
いつの間にか校門を過ぎて、もう自転車置き場まで来ていた。私は黙ったまま、海斗が自転車を停めるのをただ見ていた。
「おはよう!」
ふいに聞き覚えのある声の人に背中を叩かれて、振り向いたら大きな瞳が飛び込んできた。セミロングのゆるいパーマがかかった髪を下ろしているけど、きっとこの口元のホクロは美沙のはず……だよね?
だけど、昨日はしなかった彼女から漂うローズの甘い香りが私を混乱させた。
「おはよう、キミは葉月の友達の小松さんだ」
まるで私に説明するかのように海斗が美沙に声を掛けた。
私が戸惑っているのを見兼ねたのかもしれない。
「あ、おはよう長谷川君」
また少し上ずった声で、美沙が目いっぱい目尻を下げて口角を上げていた。
「じゃあ、また昼に行くから」
海斗は私の肩を叩くと、足早に昇降口に消えて行った。
「ごめん、また邪魔していない? 私」
美沙が両手を合わせて上目遣いで私を見た。
「邪魔って? 助かったくらい。ありがとう、美沙」
私は海斗に『表情を読み取ることが出来ない』と伝えるべきかどうか迷っていた。昨日知り合ったばかりの人に言うことではないような気がしたし、海斗は結局、気楽に話せる相手を探しているのだから、これ以上面倒な話は嫌だろうと思ったのだ。
それに、表情を読めないと気持ちを察するのが難しい時がある。私が気持ちを察するのが苦手だと分かったら、楽な相手じゃないと分かって話しかけて来なくなるかもしれない。
それはそれでいいのだけど、そうなると、顔の認識が出来ないと話してしまったことが気になるから。海斗は女子と違って不必要な情報をベラベラと他人に喋らないとは思うのだけど……。
結局、少しでも誰かに心を開きそうだと気づくと、どうしてもブレーキを掛けてしまうのだった。
昇降口に入ると、顔の識別を出来ない女子達数人が、なんだかいつも以上にテンション高く集まってきた。
「ねえねえ、香山さんって長谷川君と付き合っているの?」
「さっき、髪くしゃくしゃってされていたよね?」
きゃあっ! って、さっきも聞いたような黄色い声を出しながら、女子達が私の周りを囲んだ。
そっか、さっきの黄色い声は髪くしゃくしゃに反応していたんだ。って言うか、意外とよく見ているんだな。だから、人気者と歩くのは困る。
入学したての頃は色んな人が声を掛けてきたけど、私が人を避けているうちに声も掛けられなくなった。今は久しぶりに女子が周りに来たような気がする。
「ねえ、ねえ、香山さんってば!」
「長谷川君の彼女になったんでしょ?」
そうだった、人気者の海斗の彼女が私みたいな友達のいない人だと思われたら申し訳が無い。ここは全力で否定しておかないと。
「彼女のわけないじゃん。長谷川君はあんなイケメン男子なんだから、可愛い子しか相手しないでしょ? 誰にでも気さくに話しかける人だから、私にも話しかけているだけだよ」
私は大げさに笑いながら上履きに履き替えた。
「ええっ? 違うの?」
美沙まで大きな目を見開いて……恐らく驚いているのだろう。
周りにいた数人の女子達もみんな、大きく開けた口に手を当てて驚いているようだった。
毎日海斗を見ている人たちなら、いつも私と何の接点も無くて、昨日から急に話し出したって知っていると思うんだけど……。
「昨日、告白されたんじゃないの?」
長身のショートカットの女子がいきなりそんなことを言った。
昨日知り合ったのに、いきなり告白なんてされるわけ無いじゃん、と思ったけどそれは言わなかった。
「どうしてそんな話になっているの?」
「だって……ねえ?」
「長谷川君って主席入学で香山さんは次席だったから、入学式の日に壇上で仲良く話していたでしょ?」
「そうそう、すごくお似合いだったよ」
ああ、そうか。私が認識していなかっただけで、それが初めて話した日だった。仲良かったかどうかは微妙だけど、とりあえず海斗がフレンドリーな人だからそう見えたのかも。
「で、その後も長谷川君は毎朝、香山さんに声掛けていたじゃない?」
『おはよう』の一言だったけど、確かに毎朝声は掛けてくれていたと思う。っていうか、よく見ているな。
「昨日は一緒にお昼食べたって……」
「誰が言っていたの? そんなこと」
私はショートカットの……名前が分からない、クラスメートなのかどうかも知らない、その長身の女子生徒に顔を近づけた。
「それは、長谷川君が。昨日、二組の男子達が『どこで弁当食っていたんだ』って聞いたら、『好きな子と食べて来た』って言ったんだって」
確かに昨日は一緒にお昼は食べたけど。
そっか『好きな子』なんて言ったのは、きっと周りに合わせたハイテンションのノリだ、と私にはピンときた。
友達と一緒にいるのが疲れるから、とは言えないよね。
「確かに一緒にお昼は食べたけど、そういう関係じゃないから安心して」
私がそう言うと、女子達は何やらヒソヒソと話し始めた。それから、みんな頬と口角を上げたから笑顔になったのだろう。これは、海斗がフリーで安心したという笑顔だろうか?
「分かった。ごめんね、香山さん。私達が言ったこと、気にしないでね」
女子達はそんな事を口々に言って私のクラスに入って行ったから、みんなクラスメートのようだった。ただ一人、目尻も口角も下がったまま、私の肩に手を回してため息をついた女子がいた。
これは美沙だ、ということも一瞬分からなかったけど、彼女の香水かコロンか何かのローズの香りで識別できた。
「だけどね、女子の間では長谷川君は葉月が好きなんだろうって、ずっと噂していたんだよ。みんな応援モードだったし」
「なんで? 昨日今日と少し話す機会があっただけで、別に親しくないよ、私たち」
大体、どんなに海斗がイケメンでも私には認識が出来ない。私が彼女だなんて言われるせいで海斗に彼女が出来なかったら、イケメンの持ち腐れになってしまう。
「多分、あの子たちはまだ葉月が告られていないって知って、これから長谷川から言われる日が来ると信じているから、“気にしないで”って引いて行ったんだと思うよ」
美沙は片方の口角だけ上げた。これ、さっき海斗からも見た表情だけど、笑っているのかな? 私にはこの表寿がどういう気持ちの表れなのかよく分からない。
「まあ、実は私もそう思っているんだけどね」
その鼻に掛かる声でクスクスと笑いながら、美沙は私から手を離すと自分の席へ向かった。私はそのうしろをついていくように美沙の席まで行った。
「それはともかく、昨日は妹さん喜んでいた? 白い花束」
そう言いながら、椅子に座った美沙の目を見た。美沙は私から目をそらして、鞄の中からペンケースやらノートやらを机の中へ移し始めた。
私が雪町に住んでいるのは知っているから、あのベンチに花束が置いてあったのを見たことも察しがついたのかもしれない。それでも美沙は特に何も言わなかったから、私もそのまま自分の席へ行った。
なにも言わないってことは、やっぱり美沙はあの花束をベンチの上にわざと置いていったのではないかと思えた。
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