第5話
高校の先生を認識するのは簡単だった。顔なんて覚えられなくても、各教科ごとに教室に現れるのが教科担当の先生なんだから。
たとえ誰か分からない先生と廊下ですれちがっても声なんて掛けられないし、用事があっても職員室に行って呼び出せばいい。
クラスメートも同じ要領で付き合えたら楽なんだけど、そう簡単じゃないのが学校生活というものだった。
とりあえず、仲が良い友達じゃなくても接しなければいけない時間がある。だから、出来るだけ出席を取る時や授業中に容姿の特徴と声を覚えて名前と一致させるようには努力している。
「ごめん、これ北村に返しておいて」
教室に入ろうとした時、いきなり他のクラスであろう男子から歴史の教科書を渡されて、そのまま走り去られた。
こういうのが一番困るんだけど……。
クラス名簿はほとんど覚えているから、『北村』が北村和樹という男子生徒だということは知っている。席が分かれば教科書をその席に持って行って、本人が座っていなくても机の上に置いておけばいい。
でも、席替えをして間もない今、北村和樹がどこの席なのかまでは分からなかった。
「北村君って今この教室にいる? 教科書を返すように頼まれたんだけど、まだ顔を覚えていなくて」
私は目の前を通った女子を捕まえて聞いてみた。髪をサイドでひとつ結びしているところに、手作り風の花柄のシュシュをしている私より少しだけ背の高い子。
「いないみたい。私、席が近いから渡しておくよ」
その女子生徒は、少し鼻に掛かるような特徴のある柔らかい声でそう言うと、片手を差し出して私から歴史の教科書を受け取った。
「ありがとう」
私が笑顔を作ると、その女子も目を細めて口角を上げた。たぶん、笑ったのだろうと思った。
「香山さん、はじめてしゃべるよね? 私のことは覚えた?」
そう言われて彼女の顔をよく見ると、なんとなく知っているような気がした。
目――じゃない。多分、鼻と口元に見覚えがあるんだ。口元のホクロが印象的だから……? それに見覚えがあるのかもしれない。
クラスメートを必死に特徴を覚えたからというより、それ以前にどこかで見た事があるような、そんな印象を持った。
だけど名前まではわからなかったから、私は笑って誤魔化した。
「やっぱり、私のこと知らないんだね」
その女子はくすくすと笑った。
「私、小松美沙。入学してから席替えをする前まで、二ケ月以上も隣の席だったんだけどなぁ」
えっ? そうだった? 隣の席はたしか、吉野悠太って男子だったはず。隣の席と前後の席の子の名前くらいは覚えていたから間違いない。
だからといって識別までは出来ていないけど……。
「私の隣は吉野君だったと思うけど」
「あ、やっぱり覚えていないんだ。私は反対側の隣の席だったの。通路挟んで隣」
ああ、そっちはノーチェックだった。だって、そっちは女子同士が並んだ席で仲良くやっていたから、私は関わらなくて大丈夫だと思っていて……。
たしかにそんなに近くにいて覚えてないって失礼だよね。
「ご、ごめんね。私、小松さんだけじゃなくて、誰に対しても興味が持てなくて……」
笑って誤魔化しながら自分の席に戻ろうとしたら、美沙が私の手を取って引き止めた。
「へーえ、香山さんって面白いね。今日の放課後、ちょっと買い物に行きたいんだけど付き合ってもらえない?」
「なんで?」
いきなりの誘いに私は戸惑った。とりあえず、今日ならこの髪型とシュシュを目印に美沙を認識するのは可能だとは思うけど……。
美沙がどんなタイプの女子かは知らないけど、私は女子は噂好きだから警戒してしまう。
私が普通と違うと勘付くと、すぐにクラス中に広められてしまう恐れがある。顔を認識できないなんてわかったら、もう尾ひれがついてどんな噂が立つのか――――?
そんな先入観がある。
そして黙ってクラスの女子を観察している限りでは、意外と先入観だけで終わらないような気がして警戒して正解だと思っていた。
「なんか、香山さんって落ち着いていて、クラスに居ないタイプで話してみたかったの。いつもひとりでいるから暗い人か人嫌いなのかと思っていたけど、実際に話すと話しやすくてどっちでも無いような気がする。買い物は嫌い?」
「そんなことはないけど……。まあ、いいよ」
美沙も落ち着いたタイプの女の子に思えて、一緒に居て疲れるタイプではないから……。
私はたぶん、昼休みに海斗と会話したことで、家族以外の誰かと一緒に出かけるということに興味を持ったのかもしれない。
この選択が良かったのかどうか、今の時点では自信が持てなかったけれど。
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