1・変化
第3話
昼休みになると、いつも一人で校舎裏の日当たりが良い場所でお弁当を広げて食べている。ここは決して人が来ないから。
だけど、今日に限って先客がいた。当然、顔の認識は出来ないのだけど……。男子生徒が一人、お弁当を広げて座っていたのだ。
彼女でも待っているの――――?
私と目が合うと、その男子生徒は驚いたのか目を見開いている。
ちなみに、私は人の表情も読むことが難しい。笑っているのか怒っているのかは目や口の形で判断しているけど、微妙な表情は全くわからない。
「香山葉月、おまえ毎日ここで昼飯食っているの?」
なんとなく聞き覚えのある声だった。同じクラスの男子かもしれない。とはいえ、私のことを認識しているこの男子が誰なのか、私の方は全く心当たりが無かった。
「そうなの、いつもここで食べているの。だから彼女と二人で食べたいなら、出来れば他の場所に行って欲しい。今日は私があとから来たけど、ここを気に入っているの。私は別に近くに誰がいて何をしていても気にしないから、そちらも私が居ても良ければご自由にどうぞ」
そう言って、私はその男子生徒の前を横切って少し離れたところで食べようと思った。
「いや、誰も来ないからとなり座りなよ。おまえも、ここの生徒が苦手なクチだろ?」
その男子生徒に促されるまま座ってしまった。けど、どうしてもこの人が誰か分からなくて、私は話を続ける自信が無かった。
「私、ここの生徒に限らず人が苦手なの」
「だろうな。友達と一緒にいるところ、見たこと無いもんな」
暗にあっちに行けと言ったのだけど、この男子には通じていないようだった。
「俺は同年代の人が苦手なんだよな。どうも、ノリについていけない。騒いだりはしゃいだりってのが性に合わないのかな。ハハッ」
ああ、そういうのは私も苦手かもしれない。友達がいないから、騒ぐ楽しさというものを知らないだけかもしれないけど。
それでも、意味もなくテンション高く騒いでいるのは理解できない時がある。
「おまえって落ち着いているよな。かといって、人を小バカにしたようなクールさもなくて」
この人は私のことをよく知っているみたいな口調だ。やっぱり同級生なのかもしれない。でも、私の方は彼が誰なのかさっぱり分からない。
「あのね、今更なんだけど……同じクラスの人……?」
言いにくかったけれど、この人はどこへも行く様子が無かったから思い切って聞いてしまった。
少しの間があって、やがて大爆笑された。
「ひっでえな。入学して二ヶ月以上経つぜ。おまえ俺のこと認識していなかったんだな」
ゲラゲラ笑いながら、その男子は目尻に溜まった涙を拭いた。
やや長身で短髪というほどは短くない黒髪。黒いフレームの細いメガネを掛けている。
細かく特徴を観察してみるけど、残念ながら心当たりは無かった。
誰だろう…………?
「じゃ、香山は毎朝、誰に声掛けられていると思っていたの?」
「あっ、もしかして、黒い自転車に乗っている人?」
聞いた事がある声だと思ったら、毎朝「おはよう」と声を掛けてくる唯一の人だ。
そっか、メガネを掛けていたのね。顔は覚えられないから、自転車で特徴を覚えていた。
「いつも気になっていたの。どうして、毎朝私に声を掛けてくるの?」
その言葉を聞いた彼の表情は読めなかったけれど、笑っていなかったのは確かだった。
「……おまえ、この学園に次席合格で入学しているよな?」
私は彼の表情を読もうと目を見つめたけど、やっぱりよく分からなくて黙って頷いた。
「入学式の日、壇上で挨拶させられただろ? その時、隣にいて少し話したの覚えていない?」
入学式に壇上で――?
あの時は主席入学の子と話した。入学の挨拶をするのに全く緊張しないって笑っていた男子だ。
そう言えば気さくな子で、毎朝挨拶してくれる男子とも確かにイメージが重なる。
そっか。今ここに居る彼がその時の男子ということだよね……?
「つまり、主席入学した人?」
「そう、長谷川
だけど、この気さくな主席入学の人は友達が大勢いるのを知っている。
入学したばかりで挨拶をしていたのに、もう友達っぽい人たちが冷やかしの声を上げていた。
それに、長谷川海斗という名前は人気者男子として女子の中で名前が上がっている一人だと思う。
「長谷川君は友達も沢山いるよね? 苦手ってどういうこと?」
「まあ……、せっかくの高校生活だから楽しく過ごそうとは思ってはいるけどな。本音を言うとさ、時々みんなのテンション高いノリに疲れるんだ」
なんとなく分かるような気がした。無理矢理合わせようと思うと疲れるから、私も気楽な一人でいることを選んでいる。海斗とは理由が少し違うのだろうけど……。
「けどさ、入学式の時も思ったけど、香山は話していても疲れないんだよな。そういうの貴重だから、実はもう少し話してみたかったんだ。けど、昼休みに教室に行ってもいないしさ。この2ヶ月間、香山は昼休みにどこで昼飯食っているのか、あちこち探していたんだ。やっと見つけたよ」
海斗の目が三日月のような形になって口角が上がった。これは笑っているんだってすぐに分かった。
「いつもここで食っているなら、俺もまたここに来ていい?」
拒む理由は思いつかなかったけど、次に海斗と会っても判別できるか私には自信が無かった。
「……私ね、明日でも明後日でも……お昼休みにここに来れば、長谷川君だと分かるかもしれない。それは、他の人はこんな所に来ないって思っているから。だけど、他の時間に廊下とか昇降口とか、人が大勢いるような所で会ったとしても……気付けないかもしれないの」
少しの沈黙があって、海斗の瞳がしばらくの間こちらを見ていた。
「それって、人の顔を覚えるのが苦手ってこと?」
「苦手ってレベルじゃないの。『顔』とか『体型』ってものを殆ど認識が出来ないんだ。だから、人を識別できない」
海斗はまた暫く黙って私を見ていた。
「……別に俺のことを忘れるわけじゃないんだろ? 顔が分からないだけで、こうやって話したのは覚えているんだよな?」
「もちろん。記憶がなくなるわけじゃないから。ただ、顔は家族でさえ認識できないの」
「じゃあさ、俺が話しかける時は名乗ればわかる?」
私は少しの間、海斗の目、鼻、口、首元辺りまでをしっかりと見た。
「名前を聞けば分かると思う。慣れれば、話し掛けられたら、わかるかもしれないけど……暫くは名乗ってくれたら有難いな」
「じゃあ、そうする。またな」
海斗は食べ終わったお弁当箱を持って、軽い足取りで校舎の方へ走って行った。
私はまだ残っているお弁当に箸を運びながら、彼のうしろ姿を見つめて大きく息を吐いた。
顔がわからないって話して家族以外の人に認められたのって初めてだ、と思った。
海斗は相当、心の広い人なんだろう。
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