第3話 大切なもの

 今日の理科の授業は実験だった。


 黒板の実験手順を書き写そうと、ノートを開いたとき


 ……あ、これはマズイ。


 校則にはないけれど、文房具などの持ち物にキャラクターグッズは禁止、という決まりがあった。

 でも、女子の間では、下敷き代わりのハードクリアケースの中に、お気に入りのアイドルやアニメキャラクターの切り抜きを、こっそり挟むのが流行はやっていたのだ。


 私のは両面をびっしりと埋め尽くしたお気に入りの数々、学校には持ってこないようにしていたのに、紛れ込んでしまったらしい。


 見つからないように、そーっとノートの間に挟み込んで隠そうとしたとき、横から手が伸びてきて、あ! と思う間もなく取り上げられていた。


「はーい、皆さん。ちょっと注目してください。学校に、こんなものを持ち込んでいる人がいますよ。いけないですね〜」


 山﨑先生はクリアケースの表と裏とを何度もひっくり返して、皆に見せつけるようにした。

 あちこちから、クスクスと小さく笑い声がする。


「ほら、恥ずかしい? こんなもの、恥ずかしいでしょう」

 ヒラヒラと手でもてあそぶようにして、そう言われ、頬の熱さを感じた。


 ……恥ずかしい? 恥ずかしくなんか、ない!


 ひとつひとつ大事に切り抜いたイラスト、自分で一所懸命に真似して描いたもの、大好きなお気に入りが汚されて、踏みにじられた気がした。


 頭には一瞬、血が昇っていたかもしれないけれど、心の中はスーッと冷めていくのを感じた。


『誰かが大切に思っているものを大切にしてあげられる、そういう人になれたらいいと思ってる……』

 パパの言葉を思い出す。


 この先生は、私の困っている様子が楽しいだけなんじゃないだろうか。まるで、小学生男子のメンタル並みだ。


 知らず知らずのうちに立ち上がっていた。

「……返してください」

 低い、けれども届く声。自分でも今まで出したことのない響き。


 ……教室の中が静かになった。


「返してください。それは、私にとって大切なものです。間違えて持ってきたことは謝ります。申し訳ありませんでした。でも、他の人の大切な物をバカにするような人からは、たとえ教師せんせいであっても、これ以上、何かを教えてもらうつもりはありません」


 唖然としている先生の手からクリアケースを取り戻すと、手早く机の上を片付けて、自分の持ち物を手にした。

「失礼します」

 一礼して、実験室を出た。


 理科は大好きな科目だったのに、山﨑先生のせいで嫌いになりそうで、それがイヤだった。

 だから、これ以上の授業には出ないと決めて、学校をあとにした。


 次の日、ママにはお腹が痛いからと嘘をついて(ママ、ごめんなさい)、学校に休むと連絡してもらった。

 実際に、ちょうど生理が来ていて、お腹が重かったこともある。


「温かくしているとラクになるから」

 ママは痛み止めとホットパックを用意してくれてから、仕事に出かけていった。


 明日からはどうしよう。欠席が続くと進級できなかったりするのかな。

 それに、明日も休めるような口実が見つからない。


 利理子ちゃんから、メッセージが来た。

『永遠ちゃん、大丈夫? 明日は来れそう? 待ってるね。お大事に』

 彼女のお気に入りのピンクウサギのキャラクターが、ナース服で「お大事に〜!」とお辞儀している可愛いスタンプが送られてきた。


 明日は学校に行こう。どうするかはそのとき考えよう。


 —— 結局、私はそれからの授業には一度も出ることなく、その時間を保健室で過ごすことになった。


 今はオンラインの講座もたくさんあるし、勉強は教室でなくてもできる、と思う。


「橘さん、今日はどうする?」

 保健室登校の子は他にも何人かいて、先生に聞かれるから、自分で予定を決めなくてはいけない。


 自習、本を読む、お昼寝をしてもいい。でも、SNSやゲームをするのは、休み時間だけという約束だ。


 最初、私は保健室で寝てばかりいた。ここではよく眠れたから。

 お昼は、利理子ちゃんが来てくれて、保健室で一緒に食べながら、おしゃべりした。彼女がクラスでの出来事を教えてくれた。


 中学は義務教育だから、余程のことでなければ、進級できないとか、卒業できないということはないらしい。


「義務教育というのはね」

 やよい先生(保健室通学者は先生ではなく、名前で呼ぶ。そう決めたのは、先生自身らしい。笑)が教えてくれた。

「よく勘違いされているけど、『子供は学校に行かなければならない義務がある』のではなくて、『大人には子供に教育を受けさせる義務がある』ということなんだよ」


 先生は続ける。

「生徒には教育を受ける『権利』がある。だから、橘さんの教育の機会を奪った教師の方にこそ、責任が問われていい、と私は思う」


「でも、生徒に先生を選ぶことはできないですよね」

「中学生では、まだそうだねぇ。橘さんの場合は、そこが解決できれば良いのにね」


 そして、期末試験を保健室で受けて、迎える中学2年の夏休み。


 —— 夏が来た。










 




 


 

 


 


 


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