第61話

手水舎は、簡易的な授与所の左隣にある。

石造りの手水には、水が満ちていて尚も注がれている。

だが、柄杓を探しても見当たらない。

その代わりに、手水の脇に『秋葉の切り火で心身をお清めしましょう』と書かれた看板と木製の机が置かれていた。

机には、陶器の器が置かれ、その中に真っ白な石と木製の板が入れられていた。

それが、2組ある。


「慎くん、これって火打石?」


緋音にそう言われて俺も合点がいった。

丁度、机には写真付きの案内が置かれている。

『切り火のやり方』と書かれている。


「この白い石が火打石で、板が火打金って言うんだな」

「そうみたい…えっと、火打石を左手で持って、火打金が右手」


緋音が、やり方を見ながら火打石と火打金を手に持つ。

そして、火打金を火打石にカツカツカツと3回打ち付ける。

それと共に、小さな火花が上がった。

俺も、それを見ながら切り火をやってみる。

3回打ち付けるとその度に火花が散った。

俺達は、火打石と火打金を返却して脇にある階段を上っていく。


「火打石なんて初めてやったよ」

「俺もだよ」


今時火打石など自宅に備えている人はそうそういないだろう。

秋葉山でも、先のコロナ感染症の折に手水から切り火へと切り替えたらしい。

でも、これはこれで貴重だと思える。

階段を上がっていくと、視界の上の方で金色の何かが見えた。


「え?なにこれ」


俺は、驚きの声を上げる。

金色の鳥居。


「えっと、幸福の鳥居だって…うーん、前に来た時も見た気がするけど」

「そうだっけ?もう覚えてないや」


割と、記憶が定かじゃないこともある。

そりゃあそうだ。

20年なんて時間が経てば、些細なことは忘れてしまう。

きっと、昔は何の感動も覚えずにここを潜ったんだろう。


「慎くん、折角だし写真撮ろ、ねっ?ねっ!」


俺は、されるがままに鳥居の前に座らされる。

緋音は、自撮り棒を階段の下から覗き込むように伸ばし鳥居をローアングルから写し込む。

そして、彼女は俺の頭に自身の頭を擦り合わせるように近づいてくる。

フローラルの香りが、俺の鼻腔を衝く。

気が付くと俺は、緋音の肩を抱いて寄せていた。


「慎くん、大胆」


いつの間にか、シャッターは切られ緋音のスマホの中では肩を抱き優し気な笑みを浮かべた俺が映し出されていた。

彼女は、少し照れた表情をしている。

俺達は、幸福の鳥居を潜る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る