第60話

俺は、『交通安全』と書いた小皿を右手に持って、深呼吸をする。

願いを込める…事故に遭いませんように…かな?

右腕を、真上に伸ばす。

そして、的に向けて右腕を振り下ろした。

皿は勢いよく、的目掛けて飛んでいく。

が、的の右側を通り過ぎた。

結構難しい。


「あー、惜しい」

「仕方ないら…次、次入れたらいいんだから」

「うん、私も頑張る」


次は、緋音の番。

彼女と位置を変わる。

俺は、緋音の左隣…少しだけ距離を開けて的を見る。

もちろん、彼女を視界に入れる様にやや斜めに位置取った。

緋音は、胸元で手を組んだ。

あたかも、祈りを捧げるように。

一瞬の静寂が過る。

そして、緋音が大きく右腕を振り被って投げた。


「えい!」


それは、大きな声だった。

さっきまでの静寂が嘘のようだった。

だが、掛け声もむなしく的の手前で落ちてしまった。


「あー、『商売繁盛』が」


緋音が最初に選んだのは、『商売繁盛』だったようだ。

俺は、2投目へ向かう。

緋音とは、位置を再び変わる。

次は、『家内安全』だ。

緋音との生活を願う。

そして、的を目掛けて投げる。

小皿は、綺麗な軌道を描き的の中心へと吸い込まれていった。


「やった!」

「わぁ、凄い」


緋音が俺に抱き着いてきた。

そして、ぴょんぴょんと跳ねている。

テンションが上がっているようだ。


「じゃあ、私も次頑張るね」


俺は、彼女に場所を譲る。

緋音は、目を瞑り祈る。

少しだけ、長い時間祈りを捧げると彼女は投げた。


「お願い」


緋音が、そう呟くと小皿は的の下枠ギリギリの内側を通り抜けていた。

彼女は、呆然と的を見ていた。


「おめでとう、緋音」

「う、うん。えへへ、これで慎くんとの赤ちゃんが…」


あー、うん。緋音が何を投げたか分かった。

『子宝恵授』だったんだろうな。

確かに、それは想いが強くもなるな。

という事は、お互いに『心願成就』を残したってことだろう。

さて、何を願おうか。

うーん、緋音との幸せな生活…仕事…両親たちの健康。

やっぱり、緋音とのことかな。


「じゃあ、最後投げるよ」

「うん」


俺は、さっきと同じくらいの力で小皿を投げる。

結局、投げる直前まで全く願いなんて籠めていなかった。

かなり、軽い気持ちで投げた小皿は的外れな所へと飛んで行った。


「慎くん、全然違う方だよ」

「あはは、力加減間違えたかも」

「じゃあ、最後に私も投げるね」


緋音は、また胸元で小皿に祈りを捧げる。

さっきよりは、短めに祈り…そして、投げた。

小皿は、不思議な軌道を描きながら的の中央を射抜いた。

不思議の軌道…蛇行しているような軌道だ。

あたかも、風が弄んでいるかのように。

投げた緋音も、少し不思議そうな表情を浮かべていた。

一体、どんな願いを込めて投げたのだろう。


「緋音、凄いね。2つも的に入ったよ」

「うん、私も吃驚だよ」


俺達は、暫くそこからの景色を眺めてから 手水舎ちょうずしゃへと向かった。


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