第56話

「……ねめ。」


「ん?」




今まで静かにしていた翼がなにかを呟いた。うつむいていた顔を上げると、そのキラキラした目はまっすぐに春さんを見ている。



嫌な、予感がした。




「Ma bien aimee!」



立ち上がった翼は両手を広げて天井へ向けてガッツポーズをする。



なんて?ん?まび、ね?なんて?




「お会いしたかったです!新城春さん!」



立ち上がった途端倒された椅子を蹴ってまで、翼は机の向こう側から駆け足でこちら側に回って来ようとしている。



その表情は少女のように可愛くて、まるで恋人の胸に飛び込もうとでもしているよう。



なんだろ、混乱しすぎて体が動かない。走る翼がスローモーションで見えて、私はただ、彼女が春さんの胸に飛び込む姿を目で追うことしかできないでいた。




「華、どうした?」


「え?」




というのは、どうやら私の妄想だったらしくて。なぜか自分が、春さんの腕に包まれているのに気付いた。



私を見つめる春さんは、チラリと翼を見ると首を傾げる。



「この子、誰?」


「うん。そっからですよね。」


「ん。」





両手を広げたまま固まっている翼。その表情はなんともいえないものになっている。



突然抱きつこうとしてそれを拒否されたも同然だから、恥ずかしいのは分かる。



その行為自体がおかしいのは抜きにして。

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