第4話 トマト盗みを書いてしまったMY君とのニアミス
堺市教育委員会へ一円の損害賠償と謝罪を求める私の訴え―――この訴訟の原因を作った人物であるMY君とは、小5までは両方の家がごく近くであったが、幼少時から一緒に遊ぶことはほとんどなかった。MY君も私も一人っ子だったが性格があまりにも違い過ぎて、またMY君の両親もMY君に似て静かというか、おとなしい人たちで、家同士の交流もほとんど無かった。なので、MY君の両親には、私は微かな印象しか脳裏に蘇らせることが出来ない。
11歳のときに我が家が財産を処分して鳳へ移ってからは、同じ陵南中学へ通っていても、私はMY君と一度も話をした記憶がない。私には全く頓着はなかったが(彼の担任には【ふなで】発行後は良い印象は持てなかったが)、MY君の性格を考えると、卒業論集【ふなで】に書いた〈トマト盗み〉の後悔というか負い目があって、中学でも私を避けていたのであろう。
〈トマト盗み〉に私とFY君の実名を書いてしまったことで(私は先に述べたように、担任とMY君の合作だと考えているが)、彼の精神にどのような影響を与えたかは、これまであまり深く考えなかったが、実はかなり深刻な影響を与えていたのではないかと思いだしている。
本話で述べる、MY君とのニアミス事件もそのことを証明する、というか、当時はさほど気付かなかったが、実はかなり深刻なダメージをMY君は精神に受けていたのではないかと、本話を書きながら、私はそのように感じ始めているのだ。
MY君は、私が落ちた泉陽高校を一番で合格している(らしい)。新入生主席代表として入学式で挨拶をしたので、この点は間違いないのであろう(とのこと)。ずいぶん無理をして勉学に励んだであろうことは、彼の性格を考えると大学受験も手を抜かずに励んだはずだが、当時の二期校である大阪教育大学へ入ったということは、恐らく一期校を落ちたのであろう。
私は一期校の神戸大に入学し入試の成績はトップだったと知らされたので、MY君とは大学入学時点では高校受験時の差を挽回できたのであろう。いずれにしても、秀才を絵に描いたようなMY君は教育大を出て、泉大津市立中学の教師になったのであった。が、担任(の職分)を維持できず、ただ中学校へ出るだけで、職務を全うできない不本意な日々を送り続けたという話を、私は人づてに聞いていた。
MY君がそんな日々を送っていた時に、私とのニアミス事件が起こってしまった。同い年だから、互いに二十代後半の時だった。場所は鳳の炉端店である。
柔道兄弟の店で有名な(末弟が世界選手権大会で金メダルを取得した)炉端店が、MY君と私のニアミス現場であったのだ。当時、私は予備校と塾の講師をしていて、たまに鳳の炉端店に顔を出すことがあった。塾生に格闘技も教えていたので、その関係で、柔道兄弟長兄の炉端店マスターとも気が合い、親しく付き合うようになったのだった。
秋祭りが終わり閑散とした月曜の午後10時過ぎだったと思うが、店に私以外の客が誰もいなくなった時に、ふくよかな丸顔のマスターがカウンター席の私に声を潜めて、
「南埜さんと同じ名字で、埜の字も同じ中学校の先生がお客さんにいてるんやけど、いっつも暗い顔でそこに座って、銚子一本空けて帰りはるねん。今度、その先生に『南埜さんのこと、知ってはるか』って聞こう思てんねんけど。南埜さんも、その先生のこと知ってる?」
腫れ物に触るような戸惑い顔を浮かべ、私の顔を覗き込んだ。
「僕の知ってる人物だと思うけど、僕の名前は出さん方がいいと思うよ」
「なんで?」
「恐らく、御客を一人失うと思うから」
「また、そんな冗談言うて」
マスターは本気にしなかったが、もっと強くくぎを刺して、私のことは告げるべきではないとマスターに伝えた方がよかったと反省している。当時の私はまだまだ認識が甘かったのだ。
MY君は自転車で深井の清水町から鳳へ来て、JR東羽衣線に乗り、羽衣駅で南海本線に乗り換え、泉大津駅で降りて中学へ通う。生徒の授業に携わることもなく、学校が終了するまで、職員室か控室でじっと、それこそじっと悩みながら時間を過ごしていたのであろう。その彼の唯一の楽しみが、鳳の炉端店でお銚子一本空けて、自転車をこいで妻の待つ家へ帰る。
子供のいないMY君にとっては、妻との生活が唯一、安らぎをもたらしてくれる幸せな時間であったろうに、鳳の炉端店の片隅で黙って一人、何杯かの猪口を口に運ぶ。当然、この頃には、嘗てほん近所に住んでいたFY君が自ら命を絶ったことは耳に入っていただろう。
私とよりははるかに親しかったMY君とFY君。陵南中学卒業後、一度だけ、私は職業訓練校へ通うFY君と出会ったことがあったが、当時の私は泉陽高校を落ちた雪辱を晴らすため、ひたすら勉学に励む日々で、FY君に優しい言葉をかけてやる余裕もなく、軽く会釈を交わしただけだった。
有頂天になってMY君が【ふなで】に書いた〈トマト盗み〉だったが、私とFY君の実名を出したことで、MY君は問題の深さに恐れおののく日々を送っていたのではないかと、先程も書いたが、堺市教育委員会へ訴訟を起こしたことで、私は一層そのように考え始め出したのだった。なお、炉端店のマスターは私のアドバイスを、冗談と思って聞き入れず、MY君に私のことを告げたところ、彼は翌日からピタリと店へ顔を出さなくなったのだった。
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