第2話 教育委員会を訴えた訴訟の内容

さて、第1話で述べたように、一種のパワハラを理由として(具体的には民法709条の不法行為を原因として)、私は政令指定都市の教育委員会(被告は市長)の63年前の行為に対し、一円の損害賠償と謝罪を求めて訴えを提起した。提訴の理由については、当時の教員の方たちの性モラルとも関連することから、具体的な事実と関連付けて述べていきたいが、現在、裁判所に審理判断を願っていることから、事件・事案における固有名詞は出来るだけ避けさせて貰い、可能な限り抽象的な表示に留めさせて戴く。


政令指定都市もS市にして、小学校名もF小学校。セックス三昧に耽っていた元校長名もKY君として(さすがに彼を先生と呼ぶのは抵抗がある)、論述を展開していきたい。なお、私のポリシーとしては、公務員ないしこれに準ずる公的地位にある方々やあった方々については、プライバシーや名誉権は表現行為に対し、一定の譲歩を余儀なくされるという立場に立っていることをお断りしておく。


以上を前提に、事件・事案の概要を述べて、それらの社会的背景や対立する主張とともに、私なりの法的構成や被告側の主張、それに三人の裁判官の結論(判決)に対する私の素人的予測等を述べてみたい。なお、争点は63年前の行為を原因としているため、不法行為に関する3年の時効を定めた民法724条1項及び20年の時効を定めた同2項との関連で、もはや原告である私の請求は認められないのではないかという点である。


それでは、まず事案の内容を知って戴くため、以下に訴状を記載するが、上述したように、ここでは人物の具体的特定を避けるため、固有名詞は極力使わず、抽象的な表示に留めた。


               訴状


収入印紙

                    令和6年7月17日


大阪地方裁判所S支部 御中

〒OOO-OOO4 大阪府OO市OO町OO

原告 南埜純一 印

                       電話 固定OOO-OO-OOOO

携帯080-OOOO-OOOO

                       FAXOOO-OO-OOOO


(送達場所)

〒OOO-OOO4 大阪府OO市OO町OO


〒OOO-OOOO 大阪府S市OO町O番O号

被告 S市(教育委員会)S市長OOOO


名誉棄損による謝罪及び一円の損害賠償事件請求の趣旨


請求の趣旨 被告は原告の名誉を棄損し続けていることに対し、原告に謝罪し、金一円を支払え


訴訟費用は被告の負担とする


請求の原因 F小学校において、昭和37年発行の卒業論集〈ふなで〉において、6年1組のMY記載の内容が、事実に反し、また原告の名誉を著しく害していることが、未だに続いていることが判明した


証拠方法 


1、 甲一号証 請求の原因に記した〈ふなで〉の6年1組MY著の該当箇所


2、 甲二号証 〈ふなで〉表紙


以上の訴状に、被告答弁書に対する原告である私の反論書を掲載して、本件事件・事案の内容をより詳しく読者に知っていただきたいと思う。被告の答弁書は省略するが、私の反論書から被告答弁書のあらましは知って貰えるであろう。


令和6年8月23日提出の被告答弁書に対する反論


1、 第2の1に対する反論


現存する卒業記念文集〈ふなで〉の表紙と該頁を甲第1及び2号証として提出してあることから、現存は確認できるのであり、必要ならば〈ふなで〉を提出することについてやぶさかでないので、被告の不知の陳述は通らない。


2、 第2の2に対する反論


① 事実に反するとの点は、後に具体的事実を上げて主張・反論するが、原告の主張は、もしたとえ万が一事実であったとしても担任教員において、当事者(原告たる南埜純一及びF)にかようなトマト盗みという事実があったかを少なくとも確認し、しかる後に、たとえ事実であったとしても固有名詞の記載が果たして妥当であるか、この点の判断が為されるべきであり、恐らくたとえ事実であったとしても、固有名詞の記載は控えるのが教育的配慮ではなかったか。この観点からは、MYの記述内容が事実に反する点が不知、との被告答弁は、教育委員会の答弁としては原告には時代錯誤的で正に驚天動地の答弁である。


② 被告の答弁と密接に関連することから、少し紙面を戴くことにするが、MYの記述内容には「諮って」などの表現があるように、担任教師の意見が色濃く出たものであり、当該内容は六年生時の赤目四十八滝への林間学舎の思い出の作文にも、何故か掲載されたものであった。ただし内容はかなり違っていたが、その作文集を書庫で探し求めたが見つけることはできなかった。ただ記憶に残っている限りでは「ため池に泳ぎに行っていた南埜純一君とFY君に頼んで、禁止されていることは知っていたが、僕も連れて行ってもらうことにした」との内容で、そこでトマトとりの事実を告白していて、「南埜君とFY君は一個とって食べていたが、僕はたくさんのトマトをもいで抱きかかえていたところ、おじさんに見つかって捕まえられた」というものであったと記憶している。そして私・南埜純一とFY君が自分をほって逃げたということ。それに、もう二度とこんな悪いことをしないと心に誓った、という決意も述べられたものであった。いずれにしても林間学舎での記念作文集は見つからなかったので、正に被告答弁書にあるように、不知との答弁は甘んじて受けようと思うが、原告が主張したいのは、6年1組の担任が「諮って」などの表現を使いMY君の文章をかなりの範囲でサポートしていて、また林間学舎での作文集に大幅に訂正を加えているのは、MY君が大阪教育大学を出て中学校の教師になったことでも分かるように(教育大卒業後、泉大津市立中学の教師になったものの、精神分裂症を患い、担任を維持できず、ただ学校へ出るだけの毎日を送っていたらしいが、57歳で亡くなったと彼の近隣の人たちから聞いている。詳しいことは泉大津市教育委員会に問い合わせて戴ければ容易に判明することである。私はMY君を責めたことは一度もないが、小学校卒業後は、私を見ると隠れるように避けていた。なお、FY君は20代前半で自殺したと聞いているが、私には中学時代、「MY、あんなこと書きゃがって」と苦々しく述べていたFY君の記憶が残っている)、MY君は小学校の時から担任に相当気に入られていたようで、〈私たちに無理にねだって禁止されている溜め池へ泳ぎに行くのに連れて行ってもらったこと〉などは敢えて〈ふなで〉には記載されていない。


③前提の 話が長くなってしまったが、【本件文集中の記載内容が事実に反するとの点は不知】との被告答弁書に対する反論を試みたいと思う。私は一歳の時に両親が離婚し、南埜家へ養子に入ったものである。実家の中尾家には異母妹と異母弟がおり、すでに定年を迎えたが、異母妹は大阪教育大学を出て、長らく小学校の教師をしていて名はNS。異母弟は大阪府立大学を出て、中学校の教師をしていて名はNYである。実父中尾悦治郎が亡くなってすぐ、私の相続放棄書が偽造され私の相続権が消されていたのに気づき(大学で行政法を教えている者が、相続放棄書の偽造により権利が消されているなんて、と友人たちに散々笑われたが、全くその通りで、素人は怖いと痛感させられた事件だった)、私の持ち分である二億円余りの財産(土地及び金銭)を回復してから既に20年以上の歳月が経つ。


以上の事実から分かるように、実家はかなりの資産を有していたのであり、陰から見守ってくれていたのは実祖父の中尾豊三郎であった。その実祖父が所有し貸していたのが文集に出ている土地であったのであろう。さり気なく私に近づいて「あんた、南埜さんとこの子やな。泳ぎに行った帰りに一個くらいやったら貰って食べてもええんやで」と伝えてくれていたのである。


MY君は以上の了解事項に反し、いきなり大量のトマトをもぎ取り、しかも聞いていた二人のはずが、三人だったので、当時トマトは大した商品価値もなかったが、トマトの作付け人と思われる人物が怒ってMY君を拘束したというのが事件の顛末であった。私は中尾豊三郎と思しき人物(当時は深い事情を知らなかったので、優しいおじいちゃん程度の認識しかなかった)のところへ駆けて行き、事なきを得たのに、MY君は「純ちゃんとFY君は僕を置いて逃げたー!」と泣くばかりで、取りつく島もなかったのだった。


いずれにしても、小学校六年のMY君の担任は、MY君の性格は当時から十分認識できたはずなのに、MY君可愛さにこのように文集に手を加え、あまつさえ私とFY君に事前に問い合わせさえすれば真実は容易に判明するのに、このような末代にも残る問題文集を作成させたのであった。


この不快極まりない事件が後々まで尾を引き未だに誤解に基づく評価が悪用されていることを知り、当時の教員のモラルと関連させて今回訴訟を起こしたのである。が、被告答弁書を見る限りでは、そのような反省は微塵も感じられないので、ここに反省を促す意味で、当時のF小学校における教員のモラルについて少し触れてみて、その後、答弁書3の、原告の名誉が著しく害され、かついまだに続いている点へ繋げてみたい。

 

私が知る限りにおいて、かつ証拠(証人であるが)も提出できる範囲では、私より四年前までのF小学校の一部教員たちは、神聖であるべき教室でセックスにふけっていたという事実である。例えば私より四歳上のT氏は忘れ物に気付いて教室へ取りに戻ったところ、自分の担任と隣の女性教師がセックスの真っ最中であった。余りの出来事に驚き、二人が帰ってから黒板に「○○先生とXX先生が教室でボボしてました」と書いたところ、翌日、教室へ入って来た担任に顔が変形するほど殴られたのであった(教員の氏名は容易に分かることなので、被告の申し出があれば、証人から氏名を問い合わすことにやぶさかではない)。


ただこんなことは序の口で、後に校長になるKY君などは三日に空けず女性教師をとっかえひっかえして、放課後の教室でのセックスを楽しんでいたということを上級生から伝えられると、まさに開いた口がふさがらないのである。しかもKY君の場合、生徒(児童)が見るのを知っていて、それを見せるのを楽しんでいた節があるから呆れてしまう(見ていた人から、何人かで見るのを楽しんでいたとの供述を得ている)。今も、彼が住んでいた町で、助べえ校長って誰のことか? と尋ねると70代以上の人たちからはすかさず、KY君の名前が口から出るありさまである。小学校の修学旅行の後、KY君の細君が、美人先生で有名だったS先生(尊敬していた先生なので、さすがに固有名詞を出すのは控えたが、問われれば名前を出すことにやぶさかではない)のところへ怒鳴り込んで、彼女の髪の毛を掴んで職員室内を引きづり回したのを多くの人たちが目撃している(既に亡くなっている人たちが大半だが、当時児童会の役員をしていて、職員室にいた六年生の児童は生存している)。


いずれにしてもこんなことは序の口で、いかに教育者にあるまじき行いが為されていたかは明らかで、これら以外でも、証拠を出せと言われれば、例えば、文集にも載っている清々しく溌剌とした印象が生徒(児童)によって語られているU先生などは、担任をする女児の祖父の借家に入っていたのだが、毎日、彼女の無料家庭教師をしながら、「中学を卒業したら、加代子と結婚させて下さい」と執拗に、親族が呆れるくらい懇請していたのである。それこそ私もそれを聞いて、本当に開いた口がふさがらなかった。


このように、F小学校においては教員としては呆れんばかりの人たちの話は数え上げればきりがないのであるが、私にはほとんど興味のないことで、ただ当時の教員のモラルを知るには以上で十分ではないかと思う。証拠の提出を要求されれば、証人名を挙げるが、裁判で証言をしてくれるか否かは既に証言者は高齢に至っていて、また未だに閉鎖的な因習が支配している土地柄ゆえ、自信がないのは事実である。

 

以上、本件文集のMYの記述内容(甲第1号証)が、事実に反する点は不知との被告答弁書(第2の2)に対する反論を試みたが、結論は裁判所の判断にお任せする次第である。原告としては、当事者に事実の確認もせず、しかも刑事責任能力に至っていない者であっても、窃盗罪の構成要件に該当する事実を教師の指導の下に書かせる行為そのものを問題としているのであって、事実が真実であるか以前の問題としての位置づけである。


3、第2の3に対する反論


①次に被告答弁の3に対する原告の反論を試みる。


❶MY君の作文に手を加え(担任が手を加えたことは「諮って」などの表現から明らかで、また以前書かれた作文と大幅に変わっていることも理由に挙げたい)、しかも私やFY君に確認もせずに(たとえ確認して真実であったとしても、生徒の将来を考え、固有名詞の記載は止めるべきであったとの結論は既に述べた)卒業論集を完成させた担任教員には大いに反省してもらいたいが、このように永久に残る可能性ある作品の場合は、将来的にも被害をもたらす危険があるとよくよく認識し、慎重な態度で臨んで貰いたいと思うのだが、最初、明確な形で被害が私の耳に入って来たのは、十年近く前だった。


司法書士のMN氏から意外な事実が伝えられたのだが、実はそれ以前からも私の親族からは遠慮がちに、ひどいことを言われているとは伝わってきていた。ただ我が家がS市からI市へ転住して久しく、距離が攻撃をアブソーブしてくれていたのも事実であった。MN氏に聞くまではそれほど深刻な事態であるとは認識していなかったのである。


古くから醤油業を営んでいた私と同学年の男の母親が、醤油のレッテルを私が盗んだという触れ込みで、僅かな商品価値に過ぎないものでしかもすぐ品物は帰って来たらしいのだが、彼女は〈ふなで〉の該記載をもとにMN氏に私がまるで盗人の血筋のように非難しているというのである。盗んだところを見てもいないのに(事実私には全く身に覚えがない)、盗人呼ばわりするために〈ふなで〉が利用されているというのである。


なぜ、私にそこまでの非難を浴びせかけるのかとMN氏に問うと、不動産の取引関係のあったMN氏の回答は単純明快であった。「嫉妬やろ」という答えが返って来たのだ。かつて庄屋で、三万坪余りの所有地を持っていたが、農地改革(自作農創設特別措置)等で現在、所有地が1500坪程度しか残っていないところへ、私がそれ以上の所有地を取得し(妻名義のものも含むが)、しかも土地の価値は三倍以上の差があるとMN氏に聞かされて、彼女の嫉妬心が煽られてしまったのではないかというのだ。


もっともこれら以上に彼女の嫉妬心を掻き立てたのは、私が神戸大学の理学部物理学科へ入り、同学年である彼女の息子が甲南大学の理学部(学科の方も私と同じ物理学科のようだが興味がないので調べていない)へ入ったことであろう、とのことだった(誤解のないよう申し述べるが、甲南大学は私の好きな大学で、親友も親族も同大卒である。ただ常識をわきまえぬ同い年の男とその母親が嫌いなだけである)。


❷いずれにしてもこんなつまらないことに〈ふなで〉が利用されてきたのであるが、MY君の該記載にかこつけて、私を非難の対象にしやすいことは、村(当時はまさに村社会であった)の住人にとっては、村を出たよそ者への非難として食指が動きやすかったのであろう。いつか何らかの形でF小学校の教員のモラルについて反省を促そうと考えていたところ、六年前の台風で〈ふなで〉が紛失してしまった。そこで〈ふなで〉を借りようと、同窓生に問い合わせるべく、各地区の代表世話人になっている人たちに頼んだところ、何故か無視されてしまい、私は現在、先程述べた甲南大学卒の男の仲間たち(大半が同窓会における各地区の世話人)からは村八分的な存在になっている始末である。彼らは私の悪口雑言を並べていて、電話をかけても着信拒否が為されているありさまで、首謀的地位に立っているのが元庄屋の息子で、長らく近隣に悪臭有毒廃液を垂れ流してきた工場主・SMである。彼とつるんできたのが経歴詐称・ひき逃げ・私文書偽造・同行使及び公職選挙法違反に政治資金規正法違反まで犯した、元市議会議長だったKRである。SM及びKRの私への非難は半端ではないようだが、私が名誉棄損で訴えると一部の者に伝えてからは鳴りを潜めているらしい(彼らは地区住民に未だに強い影響力を持っていて、私の問いかけに地区住民は容易に答えてくれない)。来週中には道路に面した目立つ所有地に看板を立て(トクダ看板店で既に制作済み。台風通過後に設置するとのこと)、お願いとして、


① 私こと南埜純一と家族についての名誉棄損的発言を繰り返している以下の三名につき、名誉棄損による処罰を求める準備を進めていますが、証拠資料を戴きたくお願いをする次第です。民事の請求も並行しますが刑罰を科す方向での資料を集めたいのです。


② 一人は経歴詐称・ひき逃げ・詐欺・私文書偽造・同行使及び政治資金規正法違反を犯した人物で(以後「犯罪まみれ元市議」と表記)、次の一人は清水町で悪臭・有毒廃液を垂れ流してきた工場主で、最後は大阪狭山市の元職員で現在は保険代理店を営んでいます。


③ 上の三名の、私や私の家族の名誉を棄損する発言を聞いた方は、事実を知らせて貰えると、私は警察への告訴手続きを取ります(例えば犯罪まみれ元市議が、私が書籍に書いた「その節はお世話になりました」等を見せびらかして嘘八百を並べているようですが、耳原病院での父が亡くなった事件で時間をとって貰ったことへの、ただそのことの礼を書いただけで、その際、近畿大学を卒業していないのに卒業したという経歴詐称をしていたことは全く知りませんでした)。


連絡は、深井中町1247番地に区画整理資料館が建つまでは、5963nanno@gmail.comへお願いします。


以上の看板がF小学校近くの、道路に面した私の土地に立ちますから追々〈ふなで〉関連のみならずそれを膨らました悪口雑言の内容が明らかになるでしょう。もし不十分であれば、個別の思い当たる人物を証人として申請し、裁判所での証言を求める方向で進められればよいかな、と考えています。ただ、被告の答弁として呆れてしまうのは、教員たる担任の指導で私やFY君の犯罪事実に関する内容を12歳の児童に書かせ、そのこと自体、非難を受けるべき事態と思われるのに、原告の被害を一顧だにすることなく、否認ないし争うとの態勢を取っていることです。教育委員会の答弁としては信じられない主張であります。


私やFY君のような小学校卒業時から不名誉に実名をさらされ、およそ考えられない状況に置かれた者に対する配慮など考えも及ばないのでしょう。教育委員会の担当者に問いたいのは、自分の息子が私やFY君の立場に立たされたら、どう思うのかということです。私の両親には〈ふなで〉の該内容を知らせませんでしたが、卒業論集にこんな内容のものが掲載されたことを知れば、心中、穏やかではなかったでしょう。教育委員会の答弁としては信じられないもので、呆れています。金銭目的ではなく(確かに一円でも金銭ではあるが)、謝罪を求めているだけである。他に何か意図があって訴えを起こしたのではなく、積年の胸のつかえの解放として、教育委員会の誠意ある謝罪を求めたものである。本当に、放課後セックスにふけっていた当時の教員と全く体質は同じであると断じざるを得ない。


反論を書いていて不快が込み上げてくるのは、6年1組の担任が5年4組の時の私の担任で、父(養父南埜宏)経営の会社が朝鮮人の高利貸しに手形をだまし取られ資産を失ったことを知悉する人物であった。先祖伝来の土地や家屋敷を失った父に、生活保護を受けてはどうかと助言をしてきたのである。もちろん父は断ったが、ずいぶん低く見られたとの思いは子供心にも伝わって来た。なお、FY君は生活保護受給者の子供であった。6年1組の担任が、FY君と私に確認もせず、MY君の言うまま我々二人の実名を〈ふなで〉に掲載した理由が分かって戴けただろうか。この様な配慮のなさが、FY君をしてあの若さで自殺に駆り立てた一因ではないかと思うのは、私の穿った見方であろうか。


4、被告の主張に対する反論


① 1について


原告が言いたいのは、このような文集は潜在的な被害の創設を常に生み出す機会があり、何かの拍子にそれが顕在化するのであり、特に教職にある者はその恐れを考慮し慎重に事を進めていくべきであるということである。私の場合は、嫉妬に狂ったと思われるプライドの高すぎる女性によって被害が顕在化したことが分かったが、例えばFY君の場合は、職場で物がなくなった際に、この文集の記載を持ち出して、窃盗犯の汚名を着せられることなど考えられないと確信をもって言えるであろうか。私に関しては、育った村で物がなくなった場合、先程の女性が私を犯人と名指しする確率は非常に高いと確信している。いずれにしても原告が問題にしているのは、担任の指導の下、MY名の文書が作成されていることであり、この文集が存在する限り、原告らの被害が顕在する危険が常にあり、実際、嫉妬にかられた女性及び彼女が亡くなって後は、彼女の息子であるSMによって私の名誉は、様々な虚偽をないまぜにして毀損されてきたのである。水掛け論に陥ってしまうので、この論点はこの辺りで終わらせてもらうが、被告の主張にあるような、トマト畑の持ち主が原告らの名誉を害する行為を取っているか否かは、原告は全く問題にしていないのであり、担任がこのような論集を作成させることが、すなわち原告の名誉を棄損する潜在的危険を内包し、かつ現実に毀損されていることを主張しているのである。この点をよく認識して戴きたい。


②2については、上で述べたように、潜在的名誉棄損の危険が顕在化しているのであって、その顕在化の理由の一つに、〈ふなで〉が利用されていることから、まさに本訴請求は理由があるのである。


③被告の主張3について


❶被告は除斥期間経過による原告の権利失効を主張するが、卒業記念論集というような、未来永劫に残る可能性ある作品の場合、安易に該法条の適用を認めることは事案の解決としてはときに妥当でない結果が生まれると考えられる。確かに学校発行の記念文集ではなく、個人発行の作品であれば、除斥期間の適用により権利の失効を認めるのが法の趣旨にもかなうであろう。例えば、本件においてMYが個人で文集を発行した結果、原告の名誉を棄損していたなら、20年の除斥期間(時効期間)の適用を認め、原告の請求を棄却する方が妥当な結果が生まれるかも知れない。


❷しかし、本件においては担任である教員が手を加えていることは明らかな事実であり、MY以外の文集の内容も、ほぼすべてにおいて各クラスの担任教師が手を加えていることは明らかである。少なくとも、記載内容を知り得るというか、知っていたのである。当然、記念文集という作品の性格上、長く読み継がれていくものであり、内容に名誉棄損的表現があれば極力その排除に努めるべきであり、これが教員としての務めであると考えられる。つまり、卒業生の手元に永久的に残るであろう作品には、記載内容によっては違法行為が顕在化する危険が内包されているのである。そして、その危険は卒業論集を手にした者が悪意で使用することにより、顕在化するのである。


❸以上の事情を含め、かつ原告の請求が1円の金銭賠償と謝罪であることを考えると、本件事案において、除斥期間(時効期間)による権利失効を認めるのは事案の解決手法としては妥当ではなく、信義則(民法1条第2項)により、除斥期間(時効期間)の適用は認めるべきではないと考える。この点は、今現在、これと同じような卒業論集の発行があれば、それこそ教員に対する処分の発生を見る事案であることを考えると、先のMYの記載内容で不利益を被ってきた原告への謝罪は、60数年経った現在においてもなされるべきであると考えるのである。


被告教育委員会には、未成年者に対する異常性愛が問題となったジャニー喜多川事件による処理を思い起こしてもらいたい。時効や除斥期間を抗弁として主張することは考えられていなかったのではないか。民間でもこの処理である。S市が何故、除斥期間(時効期間)の適用を主張し、謝罪すら拒むのか。原告には全く理解できないのである。

 

以上、被告主張による除斥期間(時効期間)の適用は、原告が求めている権利回復利益と被告の被る不利益の僅かさとの比較衡量からも、信義則により排除されるべきだと考える。

  

❹なお、信義則の適用以外に、以下も副次的に主張したい。本件文集のようなものはその特徴から、新たに被害が発生する度に、その都度、その時点から時効及び除斥期間の開始が始まるとの主張である。考慮戴ければ幸いである。

                    

                                 以上


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