第5話

この季節は、眠れない。



ロシアの自室のクローゼットに隠れ、あの男の靴音を怯えて聞いていたあの頃。



鮮明に、私の脳裏に焼き付いている。



真っ暗なクローゼット、聞こえるのは私の息遣いと、


『ティアナ、出ておいで?』


楽しそうに【母】を呼ぶあの男の声。



私の目の前に広がる暗闇はその声の主によって簡単に破られ、



私は、毎夜、快楽と嫌悪に溺れ続けた。



夏は、苦手だ。



龍綺様のお屋敷は、和風の造りで、


もちろんクローゼットなどない。



ベッドと机しかない私の部屋。



押し入れがあるのにクローゼットなど必要ないと、私自らが断ったからだ。



仕方なく、この季節は押し入れの中で夜を過ごす。


暗闇が広がり、押し入れの引き戸の隙間から日光が見える頃、止まっていたのではないかと錯覚させるほど潜めていた吐息を解放する。



不安定になるのはこの季節のみ。


眠れないのは年中。


この不眠が、あの男の温もりが無いせいであるとは、思いたくない。



そんな、季節を過ごし、龍綺様のお側に今日もいられる事に感謝しながら、更に2年の月日が経った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る