私の小さな大冒険

若葉エコ(エコー)

私の小さな大冒険


「前髪ヨシ、洋服ヨシ、参考書ヨシ、靴は……靴箱っ」


 日曜の朝。

 こんなにドキドキする休日は初めて。

 えーと、バッグにハンカチもティッシュもリップも入れた、と。


 あれ、勉強会にリップなんているかな。

 まあ仕方ないよね、今日の勉強会には吉田くんも来るんだもん。

 私は、吉田、克彦……くんが好き。

 それを知ってる親友も内村美緒、ミオシャが気を利かせてくれたんだけど、やっぱり緊張してしまう。

 おっちょこちょいで内気な私だけど、今日はミオシャと約束した目的がある。

 吉田くんを「カツヒコくん」って呼ぶこと。

 ハードルは高いけど、今日は頑張るんだ。



 ──勉強会がもうすぐ終わるって時、ミオシャにトイレに誘われた。


「ねえミコ、ちゃんと吉田くんと話さなきゃだよ」

「わかってるけど……」


 なのにカツヒコくんって呼ぶどころか、話しさえ出来ないでいる。

 だって吉田くん、私の隣なんだもん。

 もうね、緊張しちゃって。

 しかも今日やる教科と全然違う参考書とか持ってきちゃうし。

 でも吉田くんが参考書を見せてくれて、思わぬラッキーだった。

 クラスでも優しいんだよね、吉田くん。

 みんなカツって呼んでて、クラスの人気者で。

 カッコよくって、でも笑うとちょっと可愛いくて。

 私以外にも吉田くんを好きな女の子はきっとたくさんいて。


 でも、私は吉田くんと仲良くなりたいだけ。

 恋人になって欲しいなんて、高望みだもん。

 吉田くんの友達になれたら、それでいい。


 そんな消極的な思いで鏡の前に立つと、普通じゃない私がいる。

 それを打ち消そうとリップを──


「それ、スティックのり」


 ミオシャが大きな溜息を吐いて、足首を見る私の顔を覗く。


「はぁ……戻ろうか」


 私はミオシャの後をトボトボと着いていくしか出来なかった。

 席に戻ると。


「──で、ミコはどうする?」


 え? え?

 なに? なんの話?


「ミコの意見も聞きたいなーって」

「わ、私もそう思うにぇ」


 わ、やばい。

 なんの質問かもわからないのに答えちゃったよ。

 どうしよう、どうしよう。

 あれ、なんかミオシャが悪い顔して笑ってる。

 もうやな予感しかしない。


「じゃあ、佐倉さんは俺が送って行くよ」


 え? どうしたの吉田くん?

 佐倉さんって、私のこと?

 それに、送って行くって──




 ──いつも通る並木道が、まったく違って見える。

 鋪道のタイルもアスファルトも、今日は違う。

 この状況は、なんなのだ。


「どうした佐倉さん、疲れてない?」

「だだだだ大丈夫れしゅ」


 車道側を歩いてくれるのは、大好きな吉田くん。

 私は、吉田くんに肩が触れないように慎重に横を歩く。

 並木道が終わり、交差点に立つ。

 私の家は、この信号を右。

 吉田くんは緑町だから、左に行くだろう。

 ここで、お別れ。

 そう思った途端、すごく寂しくなって。

 こんなことなら、もっと吉田くんとお話しすればよかった。

 それにまだ、カツヒコくんって呼べてない。


「ん? どうした?」


 吉田くんの優しい声音が、私の涙腺を揺さぶる。

 やだ。

 このまま帰るのは、やだ。

 一歩だけ。

 ううん、半歩だけでいい。

 勇気を出すんだ。


「なんでもないよ。送ってくれてありがとう、カツヒコくん」


 頑張って笑顔を作って、私はドキドキしながら吉田くんに告げた。

 でも吉田くんは、お腹を抱えて笑い出した。


「あー笑った。佐倉にもカツヒコだと思われてたのか」


 どういうこと?


「俺の名前は、克彦ヨシヒコって読むんだよ」

「え、でもクラスの男子が──」

「ああ、アレは面倒だから訂正しないだけ」


 そんな。

 私、ちゃんと確かめないで、読み間違えた名前を言っちゃったんだ。

 取り返しのつかない失敗だ。

 揺れていた涙腺が、決壊する。

 きっともう、吉田くんに嫌われた。


「泣くなよ」


 え?

 顔を上げると、優しい顔の──ヨシヒコくん。


「名前、次までに覚えておいてくれよな」


 も、もちろんですっ。

 ぜったい間違えませんっ。


「じゃあな、ミコ」

「うん、ヨシヒコくん」


 別れの挨拶のあと、ヨシヒコくんは帰っていった。

 って、あれ?

 私、もしかして、名前で呼ばれた?

 そう思った途端、私は交差点で固まってしまった。


 どのくらいボーっとしていたのだろう。


「あれ、佐倉さんとこのミコちゃんかい。靴下、左右バラバラだよ」


 聴き覚えのある声で我に返った私は、足元を確認し……あ。

 左右バラバラの靴下を見て、顔から火が出そう。

 声の主は、近所のおばあちゃんだった。


「な、なんでもないよ。おばあちゃん、帰ろっ」


 私は、おばあちゃんに顔を見られないように少し前を歩いた。


「ミコちゃん、そっちじゃないよ」

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