第62話

そんな中でただの騎士であろうとするイーサンにとって、騎士団長という地位は身に余るものだった。しかし、人手不足なせいか、上官になる上位貴族の者など現れない。理不尽な状況に国自らがイーサンを据え置いておいて、その地位に居座るのを厚かましいとこき下ろす。



家族が咎を受けないのならば、イーサンは喜んで宰相を切り捨て、国を出奔していただろう。




しかし、そんな中で降臨した女神。エラ・グランヴィルは不思議な女だった。



誰もが怖がる自分を世界一の男だと賞賛し、淑女の鏡である彼女が普通の女のように自分に甘えてくる。その表情に、目の奥に嘘など存在せず、一心に向けられる好意に疑うことも忘れ、溺れていく自分がいた。



「まぁ。イーサン様ったら!」



そしてこうして、戦場に向かう自分を心配し、涙し、愛の言葉に頬を染める。そんな女を残して戦場で死ぬなど、そんなもったいないことができるはずもない。死ぬならばこの女に看取られ、その涙で自分の頬を濡らされたい。そんな自分勝手な願望すら沸く。



出仕は明日。いつものように自分が死ねばよいと思っている宰相の嫌がらせでそうなっている。今騎士団は急なことにてんてこ舞い。その合間を縫ってイーサンはエラに会いに来ていたのだ。



ギュッとエラを抱きしめ、その甘い香りを吸い込む。解放してすぐ振り返ったのは、悲しむ自分の顔を見られたくないという卑怯な考えのせいだ。



「騎士とは、命を賭けるもの。しかし、生き残ってみせる。」


「はい。お待ちしております。」



どうしても残りたくなるだろうと、エラの顔は見ずに歩を進めた。その時彼女が浮かべていたその表情を見れば、惚れ直しただろうに。

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