第61話
「イーサン様、ご機嫌麗しく存じます。」
このような時でも淑女の礼を忘れないエラの完璧なカーテシーを見て、イーサンを除いたその場にいる者たちは揃って痛ましいものを見るように視線を逸らした。しかし、イーサンだけが違った。彼女のカーテシーなど関係ないとばかりに走り出し、そのたくましい腕で彼女の華奢な肢体を抱く。
「っっ、イーサン様っ。」
「エラ、すまない。」
「っっ。」
イーサンの謝罪は、それだけではないすべてが詰まっていた。それを察したエラの顔はたちまち淑女の笑顔が剥がれ、年相応の泣き顔へと変わる。淑女たるもの、常に笑顔でいなくてはならない。淑女たるもの、人前で泣き顔を晒してはいけない。そんなことは、この場にいる者はもちろん、エラも承知だった。彼女を腕に抱くイーサンもまた。
しかし、この場の誰もがエラが声を挙げて泣く様を咎める者などいない。彼女が自ら掴んだ最愛の男の腕を押し、戦場へと見送らなければいけないその心情を、見送られるイーサンでさえ、理解しているのだから。
「必ず、帰って来る。」
「…その言葉はあまり好ましくありませんわ。」
この世にはフラグという言葉は存在しない。しかしエラはその言い方を不吉なものとしてとらえた。涙目で自分を可愛らしく睨むエラに、イーサンは思わず噴き出してしまう。
「笑いごとではありませんわ。こう言ってください。愛している、と。」
「ふはっ、それはそれで不吉な予感がするが?」
愛の言葉を囁き、帰ったらなにかを成し遂げようと宣言する。そのような約束など、戦場という無常の場所では儚く散らされてしまうものだろう。しかし、言わないという選択肢などない。
「愛している。君は俺を救ってくれたから。」
イーサン・グレイとは、騎士としての矜持以外を全て捨てた男だった。実の弟妹にまで怯えられ、なにもしていないのに忌み嫌われる。宰相には過剰なほどに嫌われ、国王はそんな自分を黙認していた。身分というものは、選べない生まれで決まる。ついこの間まで子爵だった者が何らかの理由で伯爵になろうとも、結局は子爵上がりだと指をさされる。血統がすべてを語り、上の者が下の者を蔑むのが当たり前の世界。
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