第16話

道を歩けば犬が鳴きながら逃げ出し、女も男も泣きながら逃げ出す。血肉を食らうのを好んでいるというとんでもない噂まで信じられるほどの恐ろしい容貌に、最近8歳と年頃になった妹まで怯えている始末。


家族にすら安らいだところを見せたことのない彼に弟たちもひたすら萎縮するばかりで、気を使ったイーサンは今離れの家に一人で住んでいた。



しかしグレイ伯爵は分け隔てなく彼らを愛していたし、この事態に困ってはいるが彼らのことを尊重し、現状維持を続けてきた。


イーサンは騎士団長となった時、騎士爵を賜っている。これから武功を重ねれば爵位も騎士爵から上がるかもしれない。騎士爵は一代限りの爵位であるが、それ以上となると普通なら妻を娶り、息子を生ませ、繁栄させていかなければならないはず。しかしイーサンは妻を娶ることはないだろう。これ以上武功により出世してしまうのなら、最悪養子を迎え、後継者とすれば問題ない。イーサンにとって爵位とは、戦っていたらついてきたもの。ただそれだけなのだ。


普通ならば爵位を賜れば、分家しているのだから別の場所に住むものであるが、独り身でい続けるつもりだからなのか、身軽であるという理由でいまだ離れに住んでいる始末である。しかも時折戦場へ行き家を留守にすることを言い訳に、いまだ父親を”保護者”とし、自分宛の手紙や縁談を処理させているとう徹底ぶりである。



なんとかイーサンよりも長生きして、あの子が寂しくないよう、養子に怖がられて傷つかないよう、図らってやりたい。親心からそう覚悟までしている伯爵は、自分の息子が可愛いあまり、甘えを黙認していた。



「これは、どういう、ことだ。」



そんなグレイ伯爵の決意は、一通の手紙で大きな軌道修正を余儀なくされることになる。



もう一度、手元の手紙を読んでみる。何度目を通しても同じ内容。間違いの手紙ではないかと、グランヴィル公爵家の家紋の入った蝋封印を確認して宛先も見た。間違いなくグレイ伯爵、自分への手紙だ。



「どうされましたか、ご主人様。」



執事長であるセバスチャンの訝し気な問いかけにも、グレイ伯爵は返す言葉がなく。セバスチャンは、黙ったままの主人に困惑顔のまま、返答を待つしかない。不意に、何度も手紙を読んでいたグレイ伯爵が、深いため息を吐いた後、顔を上げた。


「イーサンは、今どこにいる?」


「イーサン様は今、離れにおられます。先ほど夕食を届けてまいりましたので。」


「そうか。」



もう一度机へと視線を落とし、ため息を吐いたグレイ伯爵の見つめる先の封蝋を見て、セバスチャンはもしや、イーサンがあのグランヴィル家の令嬢を気絶でもさせてしまったかと思い、こめかみに冷たい汗が伝う。



しかし、それは杞憂だったようだ。



「イーサンを呼べ、グランヴィル公爵家から縁談の話が来ている。」



それはイーサンの人生を良い方向へと導いてくれる天使の誘いであるのか、はたまた悪い方向へと導く悪魔の誘いであるのか、不覚にも目を見開き固まるセバスチャンには予想がつかなかった。

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